2015年7月8日水曜日

木簡に「皇太子」の文字

木簡に「皇太子」の文字、即位前の聖武天皇か 平城京跡
*「二人皇」「太子」と書かれた木簡片=奈良文化財研究所提供

 奈良市の平城京跡で、「皇太子」と書いたとみられる奈良時代の木簡片が見つかった。「皇太子」の文字がある木簡が確認されたのは初めて。同時に出土した木簡の年号から、東大寺の大仏造立で知られる聖武(しょうむ)天皇(701~756)が即位する前の「首皇子(おびとのみこ)」を指しているとみられる。 奈良文化財研究所(奈文研)が「紀要2015」で報告した。

 昨年2月、平城宮跡東側の遺構で木簡や削りくず約4400点が出土。うち2点から「二人皇」「太子」の文字が読み取れた。木目の状態から元は同じ木簡で、「二人皇太子」と皇太子付の役人の人数を書いたものとみられる。
 ほかの木簡に、下級役人「舎人(とねり)」の勤務管理や「養老七(723)年」「神亀元(724)年」と読める文字があったことから、「皇太子」は724年に即位した首皇子と考えられるという。

 首皇子は、文武(もんむ)天皇と、平城京遷都を主導した当時の有力者、藤原不比等(ふひと)の娘・宮子(みやこ)の間に生まれ、今回の木簡出土地の近くにあった不比等邸で幼少期を過ごしたとされる。奈文研の渡辺晃宏・史料研究室長は「付近に首皇子に関係する施設があったことを示し、当時の土地利用を考える上で重要だ」と話す。

 一方、「天皇」と記された木簡は、奈良県明日香村の飛鳥池遺跡から出土したもの(7世紀後半)など複数点が確認されている。(栗田優美)2015730735分 アサヒ

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