2011年6月29日水曜日

パン

昭和初期の少年雑誌の冗談例です。

*パン
母「三郎や、パンをしらないかい?」
三郎「お腹のすいたかわいそうな人にあげたよ」
母「よいことをしたわね、どんな人」
三郎「ぼくだよ」

*牛と人間
母「食事してすぐ寝ると牛になるよ」
一郎「ふん。それじゃ、となりの牛は、だれがなったの?」
母「・・・」

*トマト
先生「トマトがとれるのはいつごろですか」
太郎「はい、冬です」
次郎「はい、春です」
三郎「だれもいないときです」

2011年6月27日月曜日

緑茶 2/2

緑茶 2/2
 緑茶の続きです。今回は各お茶産地の特徴を示します。
鹿児島茶(鹿児島県)
 知覧茶、溝辺茶などの銘柄で有名な「鹿児島茶」。平坦な茶園が多く摘採の効率化が進んでおり荒茶生産量は静岡県についで全国第二位を誇ります。温暖な気候を活かし新茶の摘み取りは4月上旬から始まるため「日本一早い新茶」の産地としても有名です。いろいろな品種が栽培されている緑茶の宝庫です。鹿児島のお茶は南国の強い太陽を浴び、味にコクがあり、濃厚な旨みがあります。かぶせ化(上に藁などのおおいをして育てる)が進み水色も深みがある濃い緑色のお茶が多いです。

宮崎茶(宮崎県)
 江戸時代の文献『三国名勝図会』には県南部・都城の茶の記載があります。『霧島山の大麓にして、渓谷多く、雲霧常に深く、古来都城は霧海ともいう。故に茶の品上好なり。』江戸の頃から、茶の栽培に適した都城茶はその名声を広めていたようです。北の高千穂では、鉄釜を使った昔ながらの釜炒り茶が残っています。香ばしく、さっぱりとした味のお茶で、食事の後にも適したお茶です。

嬉野茶(うれしのちゃ)(佐賀県)
 明から渡来した中国の陶工が陶器を焼きながら、自分たちが飲むために茶の栽培を始めたのが嬉野茶の始まりだといわれています。また、佐賀県の脊振山は宋より帰途した栄西禅師が、日本で初めて茶の種をまいた、日本茶の発祥の地として有名です。嬉野茶のルーツである、釜炒り手揉み茶は明時代に中国から伝来した製法を、そのまま現代に伝えています。嬉野茶はこの釜炒り手揉み茶と煎茶の長所を併せ持った蒸し製玉緑茶として生産されています。古い歴 史と新しい技術が生み出した優れた銘茶が嬉野茶です。

八女茶(福岡県):玉露の生産量全国一位
 八女玉露:玉露と煎茶の名生産地として名高く古い歴史を持つ福岡県、八女地方。八女市を中心に星野村や黒木町などで生産されている玉露は全国生産量の約半分を占め日本一である事が知られています。
 栄林周瑞禅師が筑後国鹿子尾村(今の八女郡黒木町笠原)に霊厳寺を建立し、明国から持ち帰ったお茶の種子をまいてお茶の製法を伝えたのが始まりといわれています。長崎で外国人貿易商による九州のお茶の取引が行われたことで、八女茶の生産が急激に増加しました。八女茶は全国的にも高級産地として有名で、甘く芳醇な香りとまろやかでこくのある味は全国の幅広い皆様に支持をされています。

大和茶(やまとちゃ)(奈良県)
 大同元年(806年)に弘法大師が唐より帰朝の際、茶の種子を持ち帰り、宇陀に播種して製法を伝えたのが大和茶の始まりだといわれます。大和高原は、標高300m以上の高冷地で、お茶が育つぎりぎりの条件なので、お茶がゆっくりと育っていき、香りが高く、渋みの中に旨みが残る後味すっきりの緑茶 です。

宇治茶(京都府):高級茶の産地として名声高い「宇治茶」
 京都府の宇治近郊、和束町や山城一帯は代表的な高級茶の産地として有名です。煎茶を中心に生産されていますが玉露やてん茶(抹茶の原料)、抹茶など国内における高品位なお茶の産地として有名です。
 鎌倉時代に栄西禅師より茶種を譲り受けた明恵上人が、京都栂尾の地にまき、宇治など各地に植え広めたのが始まり。室町時代、足利幕府の奨励を受け宇治茶の名声が世に広まりました。
 江戸時代中期に宇治田原湯屋谷の永谷宗円が蒸して揉み乾かす現在の煎茶製法(青製煎茶製法)を創案しました。宇治茶の製法は近年の静岡茶の深蒸しに比べ浅蒸しと呼ばれ、お茶を出す時の水色は黄色みをおびた緑色です。薄味ですが、のどを通るとお茶の旨みが広がり、すがすがしい香りを楽しむことができるお茶です。

伊勢茶(三重県):1千年の歴史を持つお茶の名産地
 静岡、鹿児島に次いで全国第三位のお茶生産量の三重県。煎茶、深蒸し茶、かぶせ茶などを主に生産しています。特に「テアニン成分」を含むほのかな甘みが特徴のかぶせ茶は全国2位、シェア30%以上の生産量を誇ります。

北勢茶(ほくせちゃ)(三重県)
 北勢地方の茶の歴史は古く、今から一千年もの昔、平安時代にさかのぼります。鈴鹿市の隣の四日市市の浄林寺の僧、玄庵が弘法大師直伝の製茶法を伝承し、茶樹を植栽したのが始まりとされます。江戸時代には、参勤交代のため東海道を往来する諸大名が茶を買い上げたことで、優れたお茶の産地となりました。ただし、今のように茶業が発展したのは横浜港開港後に茶が輸出作物になってからのことです。品種は『やぶきた』が主流で、香り高い上質な『煎茶』と玉露の味わいを持つ『かぶせ茶』が中心の産地です。

静岡茶(静岡県):日本最大のお茶の産地
 日本のお茶の40%以上の生産量を誇る静岡県。県内には牧の原台地、富士山麓、安部川、天竜川、大井川などお茶の栽培に適し自然環境を活かした銘産地が並びます。主にやぶ北茶などの煎茶や深蒸し茶の生産が主流ですが岡部町は玉露の産地としても有名です。さらに、静岡茶の中でも、川根茶、掛川茶、藤枝茶と産地限定の地域ブランドを冠したお茶が存在します。

本山茶(ほんやまちゃ)(静岡県)
 静岡茶の発祥は、北部の安部川流域とその支流の藁科川流域の山間地域にあります。今から800年ほど前(1237年)宋の国より茶の実を持ち帰った聖一国師により、この地域にお茶が導入されました。この静岡茶発祥の地域のお茶は『本家本元』という意味で『本山茶』と呼ばれるようになりました。本山茶は山間地茶特有のさわやかな香りが高く味にはこくがあり上級茶として愛用されています。徳川家康公は本山茶をこよなく愛し、その後も代々将軍ご用達のお茶として指名されました。

狭山茶(埼玉県):狭山火入れといわれる独特の火入れが特徴
 関東エリアの銘茶の産地として知られ埼玉県の狭山地方(入間市、所沢市、狭山市など)で生産されるお茶の総称です。埼玉県は寒いところなので、静岡や九州と違いお茶の葉は1年に2回しか摘みとりません。東京など関東エリアで愛飲されています。
 狭山茶が本格的に始まったのは江戸時代の中ごろからで、おもに江戸の人々にお茶が飲まれ始めるようになってからです。その後、横浜港開港とともにアメリカなどに輸出され、狭山茶は発展しました。『色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす。』と狭山茶摘み唄にも歌われる、狭山茶の深い味わいは『狭山火入れ』という独特な仕上げ技術により、甘くて濃厚なお茶になるのです。

2011年6月24日金曜日

夏至

*夜更かしした日
先生「一年中で一番夜が短くて、昼の時間が長いのは何月何日ですか」
凸吉「先生、それは早起きして、夜更かしした日です」

*蛙のお臍
弟「兄さん、蛙はどうしてお臍がないの」
兄「あれはいつも裸でいるから、雷様にとられてしまったんだよ」

*ゆでる
坊や「おかあちゃん、カニやタコはどうして赤いの?」
母「ゆでてあるからよ」
坊や「おかあちゃん、あの柿とってよ」
母「まだ青いから、だめです」
坊や「じゃ、とってゆでてよ」

*蟹
トン吉「僕、蟹を飼ってみようと思うんだけど、何を食べさせたらいいかな」
一年生のター坊「にぎりめしか、柿の種をやったらいいよ」

2011年6月22日水曜日

緑茶1/2

緑茶1/2
 世界のお茶は、植物学的には同一種である。お茶の樹の葉の加工方法の違いから、緑茶、烏龍茶(ウーロン茶)、紅茶に3区分される。緑茶は、お茶の葉を加熱して発酵の働きを止めて作るお茶、紅茶は、お茶が褐色になるまで十分発酵させて作るお茶であり、烏龍茶は、この2つの中間の半発酵茶である。
 ここで、お茶の加工における発酵という言葉は、微生物が関与する本来の発酵ではなく、お茶の葉で起こるカテキンの酸化重合の化学変化を指す習慣的な用語法である点注意が必要である。

 日本で生産されているお茶はほとんどが緑茶であり、産地の特徴で触れられる茶種は、品種の違いではなく発酵を止める方法として、蒸すか、炒るか等の加工法の違い、また日光を遮って茶葉を栽培するかどうかの違いである。(荒茶とは、農業者の段階で加工される1次加工農産物を指す。これがさらにお茶屋さん(茶商)によってブレンド、2次加工され、最終製品のお茶として販売される。)
 静岡県が生産量第1位で、第2位に鹿児島県。以下第3位三重県、第4位宮崎県、第5位京都府、第6位奈良県、第7位福岡県、8位佐賀県、第9位熊本県、第10位長崎県となっている。

お茶の分類

人工的な日陰で栽培するもの
 覆い下(おおいした)茶園でつくるお茶(化学繊維の寒冷紗(かんれいしゃ)による遮光が主流、従来は葦簾(よしず)と藁(わら)の本簾(ほんず)作り)。日光を遮ると光合成のため不足する日光を有効に使おうとして、茶樹が葉緑素を増やす。また、日光を浴びると茶樹が合成するアミノ酸からカテキンが生まれるが、覆い下茶園では日光が余り届かないのでアミノ酸が多く含まれたお茶となる。

*碾茶(てんちゃ)
 遮光期間30日。挽いて抹茶にする。蒸し機(高温蒸気で15~20秒)→散茶機(高さ5~6m、一枚毎バラバラになるよう露を切る)→乾燥炉(180度の高温で乾燥)→荒碾茶→仕上げ(切断、選別・乾燥)→碾茶→挽く→抹茶

*玉露
 遮光期間20日。1835年失敗した碾茶を販売したところ好評で普及したといわれる。製造法は煎茶とほぼ同じ。新茶より熟成した方がよいという考え方があり、何年産などを表示したものもある。

*かぶせ茶
 遮光期間茶摘み前3~10日。煎茶として販売。7~10日、長めにかぶせた茶は玉露としても販売。

日光の下で栽培するもの
*釜煎り茶
 発酵酵素の働きを止める方法として煎茶の蒸しでなく、釜で炒る方法を採用したお茶。中国など世界の緑茶生産の80%は釜煎り茶だが、日本では反主流。

*煎茶(普通蒸し)
 南北が原則のかまぼこ型の畝で栽培。
 (機械荒茶製法)生葉コンテナー→蒸し機→冷却機→葉打ち機(送風で水切り)→粗揉機(焙炉上で回転揉み)→揉捻機(力を入れ葉の中心の水分を押し出して乾かす)→中揉機(玉解き熱風乾燥)→精揉機(尖った形に整えながら乾かす)→乾燥機

*深蒸し煎茶
 標準蒸し時間30秒に対して60~120秒くらい蒸す煎茶。

*蒸し製玉緑茶(蒸しグリ茶)
 煎茶の簡易型。戦前ソ連南部イスラム圏へ輸出しようとして中国産釜煎り茶に似せた煎茶として開発されたもの。精揉工程をなくし仕上げ乾燥で整形。

*番茶
 最初に摘採する4月下旬~5月上旬の一番茶でなく、6月中旬に摘む二番茶以後のかたい茶葉で製茶

*副産物茶
 茎茶、芽茶、粉茶

*加工茶
 抹茶:12C末栄西が伝えた古くからのお茶であり中国で滅びた後、日本だけで受け継がれた。

 ほうじ茶:大型の番茶を強火で狐色になるまで炒って製造。色は茶色だが発酵を止めているので緑茶の仲間。茎茶を混ぜて、あるいは茎茶だけ焙じるものもある。

 玄米茶:煎茶や番茶をベースに炒ったお米やはぜたもち米(白花)を混ぜたお茶。茎茶、抹茶を加えたものも。

2011年6月21日火曜日

スポーツも人生も後半戦が面白い 7

スポーツも人生も後半戦が面白い 7
友人の存在
 年齢を重ねるにしたがって、徐々に疎遠になるかつての交友関係であったり、生きてる証の年賀状交換であったり、いきなり訃報が飛び込んでくることもあったりするようになった。この点に関して言えば人生の後半戦はつらいものがある。

 そんななか改めて思う今日この頃、友人は最高の宝だ。特に多感な時代を共有したものはかけがえがない。
 時たま電話で消息を訪ねてくれる友もいる。ありがたいことだ。決まって「そのうち会おう」となるが、なかなか実現しないのがまた宜し。みんなそれぞれに多忙な日々を送っているようだ。メデタシ、メデタシ。

2011年6月20日月曜日

焙煎の度合いとその味わい

焙煎の度合いとその味わい
前回、コーヒー豆の整理を簡単にしてみましたが、やはり焙煎の役割が気になりました。焙煎の度合いは、全部で8段階に分かれています。一般的に、浅く炒ったのものほど“酸味”が強く、深く炒るほど“苦み”が強く感じられるようになります。

①ライトロースト:うっすらと焦げ目がついている状態。黄色がかった小麦色。 香り・コクはまだ不十分。
②シナモンロースト:シナモン色。ごく浅い炒り方なので、ブラックコーヒーでも味わえる。

③ミディアムロースト:茶褐色。アメリカン・タイプの軽い味わい。
④ハイロースト:ミディアムよりやや深い炒り方。喫茶店や家庭で飲まれるレギュラーコーヒーは、この段階のものが多い。
⑤シティロースト:最も標準的な炒り方。鮮やかなコーヒーブラウン。これも喫茶店や家庭で普通に味わっている深さ。

⑥フルシティロースト:ダークブラウン。アイスコーヒー用の豆を炒るときはこの段階。「炭焼珈琲」もこのタイプが多く、ホテルやレストラン等でも食後にこのタイプが良く利用される。
⑦フレンチロースト:強い苦味と独特の香りが楽しめる。カフェ・オ・レやウィンナーコーヒーなど、ヨーロピアンスタイルのアレンジメニュー向きである。
⑧イタリアンロースト:色も黒に近い状態。強い苦味と濃厚な味わい。これが最も深い炒り方で、エスプレッソ、カプチーノなどはこの炒り方のものを使う。

2011年6月18日土曜日

コーヒー豆で世界一周

コーヒー豆で世界一周
ナッツで世界一周の次はコーヒーで世界一周か――と思ったけれど、多くても平均して日に1杯飲む程度で、特に豆や焙煎のこだわりはない――と云うより知識はない。専門店のブレンド品に満足している。何でもそれはケニアの豆がメインと聞いた(その時々で変えているかも知れない)。

 以下、何時も行くコーヒー店のウンチクとネットサーフからの抜粋とします。
 コーヒーは原産地エチオピアから広がり、今では世界60数カ国で生産されている。北緯25度から赤道をはさんで南緯25度、すなわち北回帰線と南回帰線の間のコーヒーベルトと呼ばれる地域で栽培されている。

 この熱帯、亜熱帯の中でもコーヒーの木は、平均気温が20℃の温暖な気候を好むため、高山の中腹や高原地帯などのとても過ごしやすい地域が適地となります。そして世界それぞれの土地の気候、風土にあった栽培法がとられており、生産地によって、形、味、香りなどが微妙に違うことになる。同じ地域でも場所(土壌)や、時期で変化するそうです。

コーヒー豆の種類
○モカ(原産地:イエメン)
 独特の強い酸味を持ち、甘みとこくが加わります。香気に優れ、日本人に好まれる味で、ファンが多いと言われています。
 アラビア・エチオピア産
 独特な香りと、まろやかな酸味とコクがあります。「モカ」とは、ヨーロッパ諸国にコーヒー豆を輸出するための港として栄えたイエメンの町の名前がもととなり、ここから出荷されるイエメンとエチオピア産のコーヒー豆が「モカ」と呼ばれています。モカ特有の果実の様な香りがあり、特に日本では高い支持を得ており人気の高い銘柄です。焙煎度合いは「ハイロースト」や「シティロースト」が適しています。

○キリマンジャロ(原産地:タンザニア)
 強い酸味とコクが特長です。キリマンジャロは強い酸味と甘い香りと上品な風味があります。タンザニアのみならず、アフリカを代表するコーヒーです。
 口に含んだ瞬間強い酸味を感じます。高地で栽培されたこの豆は、そのバランスの良い酸味と苦味、雑味の無い後味、豊かに広がる芳香は他の追随を許さないほど優れています。このようにキリマンジャロは昔から世界中の人々に愛されている銘柄です。焙煎度合いは「シティロースト」や「フルシティロースト」が適しています。

○マンデリン (原産地:インドネシア)
 苦味とこくを中心としたバランスの良い味わいです。ブルーマウンテンが現われるまでは世界一と評されていた逸品です。
 インドネシア・スマトラ産
 コクのあるやわらかな苦味と、上品な風味があります。スマトラ島で栽培されるマンデリンは、島の西岸にあるマンデリン地方で産出されるコーヒーです。エキゾチックなテイストの中にある、厚みのあるボディーが人気です。生産量が比較的少なく、その個性的な苦味とコク、そして香りは、コーヒー通に愛される逸品です。
 幅広く人気のマンデリン。ほろ苦さと、まったりしたコクが特徴的です。焙煎度合いは「シティロースト」や「フルシティロースト」が適しています。

○ブルーマウンテン (原産地:ジャマイカ)
 コーヒーの王様、最高級の品質と呼ばれている通称"ブルマン“。卓越した香気を持ち、調和の取れた味わい。
 ジャマイカ産
 単品で味の調和のよくとれている最高級品とされています。生産量のきわめて少ない最高ランクナンバーワン!酸味・コク・苦味・円やかさにおいて完全なバランスを持った逸品。カリブ海に浮かぶ美しい島ジャマイカの代名詞のひとつです。かつては英国王室御用達として用いられ、日本での人気の高さも抜群です。風光明媚な南国の楽園から、ほんの少量だけ生産される、良質の香りと調和のとれた味わいを持ち、真に世界の最高級品の名を与えられるにふさわしいのが『ブルーマウンテン』です。

 また、輸入される豆のほとんどが麻の袋に入ってきますが、ブルーマウンテンは唯一木製の樽に入って、証明書つきで輸入されるほどの最高級品です。気品あふれる香り、コク、しっとりとした甘みと、正にコーヒーの王様にふさわしい味わいです。焙煎度合いは「ミディアムロースト」や「ハイロースト」が適しています。

○コロンビア
 エメラルドマウンテン(原産地:コロンビア)
 酸味と甘味が中心の味わい。
 コロンビア産
 甘い香りとまるい酸味と、まろやかなコクがあります。コロンビアコーヒーは、強い甘味、そしてそれを直感させる特有の香り。農園が異なっても上級品になれば、どれも素晴らしい味わいを持っています。なのにそれらの上に君臨する、それがエメラルドマウンテン。

 砂糖を入れず飲んでみるとコーヒーの甘味を感じることができるはずです。エメラルドマウンテンの栽培地はアンデス山地1700m以上の高地が選ばれ、完熟豆だけを手摘収穫、カフェテロが欠点豆や未熟豆等を自らの手で徹底的に取り除きます。
 比類なき深い味わいと香りを送り出すため、加工は厳格に管理され、コロンビア国立コーヒー生産者連合会の鑑定士による品質検査に合格したものだけが初めてエメラルドマウンテンとして認定され、低温コンテナ船で出荷されます。コロンビア特有の甘い香りと深いコク。そして確かな甘味を兼ね備えた最高級ウォッシュドアラビカコーヒーです。焙煎度合いは「ハイロースト」や「シティロースト」が適しています。

○ハワイ・コナ(原産地:ハワイ島)
 強い酸味を持ち、ブレンドに用いると良質な酸味を与えられます。
 ハワイ産
 強い酸味と甘い香りがあります。ハワイ諸島の中で「ビッグアイランド」の愛称で呼ばれるハワイ島の西側にコナ地区があります。このコナ地区で栽培されるコーヒーがコナコーヒで、100年以上の歴史をもっています。
 他国の農場と比較すると、規模が小さくすべて手作業で行っている為、生産量が全世界のコーヒー生産量の1%程度と貴重な豆となっています。芳醇な香りと豊かなボディ、あふれ出す独特の酸味が個性的な銘柄です。焙煎度合いは「シティロースト」や「フルシティロースト」が適しています。

○グァテマラ (原産地:グアテマラ)
 酸味とこくが中心の味わい。
 グァテマラ産
 甘い香り、上品な酸味、芳醇な風味があります。フルーティーな芳香と、しっかりした密度のある味わいが特徴。甘味も強く、コクも豊かです。「永遠の春」とも形容される、中米グアテマラの穏やかな気候に育まれた世界有数の高品質コーヒーです。グアテマラコーヒーは、その多くが山の傾斜地で栽培されており、豊かな降雨量と肥沃な火山灰土壌、そして水はけのよさ、高原地帯の適度な気温など、コーヒーの栽培に非常に適した条件がそろっています。苦味のバランスが良く、酸味が少し強めのコーヒーです。ストレートで芳醇な香りが特徴です。焙煎度合いは「ハイロースト」や「シティロースト」が適しています。

○ブラジル・サントス (原産地:ブラジル)
 酸味と苦みのバランスが良い味わい。
 ブラジル産
 中庸な味、香りが高く適度な酸味と苦味があります。酸味・苦味等すべてにおいてバランスの良い豆であることから、ブレンドコーヒーのベースとして使われることが多いのがこの銘柄です。世界のコーヒー生産量の3分の1近くを供給する世界第1位のコーヒー産出国。現在では、サンパウロ州、ミナスジェライス州、パラナ州、エスピリット・サント州など、気温の適した標高の高い地域で栽培されています。ほどよい酸味と苦味があり、香りが高い。ブレンドのベースとして欠かせないコーヒー。焙煎度合いは「ハイロースト」や「シティロースト」が適しています。

○メキシコ(メキシコ産)
 酸味と芳香が適度にあり、上品な風味を持っていますが、同じメキシコでも低地産のものにはややクセがあります。

○コスタ・リカ
 コロンビアに匹敵するほどの優雅な風味とコクのあるコーヒーです。強い酸味があるため、主にブレンド用に使われています。

○ケニア
 ケニア産
 酸味とコク、上品な香りがあります。

○ロブスタ
 アイボリーコースト産
 強い苦味と特異な香りがあります。


コーヒーの次は紅茶や、種類の多い中国茶となりそうですが、個人的には緑茶が好みなので、それらは守備範囲外となります。

2011年6月17日金曜日

ナッツで世界一周 3/3

ナッツで世界一周 3/3
ヘーゼルナッツはトルコ産でした。
 ヘーゼルナッツは、セイヨウハシバミの果実(堅果)のこと。この木は小さくとも強靭であり、氷河期後、ヨーロッパ北部へ分布を拡大した最初の低木であった。紀元前7万5000年から紀元前5500年の泥炭層からはセイヨウハシバミの花粉粒の出土数が他の木の花粉粒全てを総合したものよりも多く、分布の広さを物語っている。

 ナッツの中ではもっとも葉酸を多く含有する。中央アジアでの栽培が盛んで、日本に輸入されるものではその95%がトルコ産である。
 ヘーゼルナッツにはさまざまな栄養素が豊富に含まれている。特に一価不飽和脂肪酸(オレイン酸)とビタミンEは他の食品と比較しても豊富に含まれています。
 これまでヘーゼルナッツをはじめとしたナッツについて多くの研究がなされ、心疾患、高脂血症、糖尿病などの生活習慣病への効果が確認されています。2003年には米国食品医薬品局(FDA)のヘルスクレームに認定されました。認定されたのは心疾患予防効果です。

 さらに、ヘーゼルナッツの栄養素は抗酸化、血行促進・健康な肌作り・便秘解消・骨粗鬆症予防などにおいても有効に働くとされます。ヘーゼルナッツによる体重の増加はないことも立証されています。現在、トルコをはじめ多くの国々で、「健康のために毎日ひとつかみのヘーゼルナッツを」と推奨されています。

ペカンは米国産でした。
 脂肪分の多いナッツが採れることから、俗に「バターの木」と呼ばれる。米国中西部ミシシッピ川流域からメキシコ東部が原産。オクラホマ州が主要な産地。しかし、自然分布から外れたニューメキシコ州南部やテキサス州西部の乾燥地帯でも灌漑栽培されている。
 ペカンナッツは、全体の約72%が脂質で、蛋白質は約11%、糖質は約10%である。この脂質の含有量は、クルミ(脂質約60%)やピーナッツ(脂質約57%)などよりも多く、ほぼマカデミアナッツ(脂質約72%)と同じくらいの割合である。味はクルミに似ている。

クルミは米国産でした。
 クルミのコレステロール値はゼロです!クルミに限らずナッツ類には、悪玉脂肪酸であるトランス脂肪酸は含まれていません。そのため、血中コレステロール値を下げ、心臓病、動脈硬化といった生活習慣病の予防にくるみの摂取が効果的であることは、世界中の研究機関で科学的に証明されています。クルミはナッツ類の特徴である飽和脂肪酸と青魚の特徴である多価不飽和脂肪酸を1:7の比率で含み、自然界で最も多価不飽和脂肪酸が豊富な食物の一つです。

アーモンドは米国産でした。
 原産はアジア西南部。現在では南ヨーロッパ、米国、オーストラリアなどで栽培されており、米国カリフォルニア州が最大の産地である。
 食品の中でもビタミンEが最も多く(含有100g中約30mg)含まれている。ビタミンEは活性酸素による体細胞や血管の酸化を防ぐ抗酸化作用があり、老化の予防に役立つ。悪玉コレステロールの酸化を抑制し、過酸化脂質の生成を防ぎ、心臓病や糖尿病の予防に役立つ。他に亜鉛、マグネシウム、カリウム、鉄などを多く含んでいる。
 また、豊富な不溶性食物繊維を含み、腸の働きを活発にして整腸を促す。有害物質やコレステロールを吸収し抑制する作用がある。脂質の約7割は、一価不飽和脂肪酸のオレイン酸で、善玉コレステロールを維持し悪玉コレステロールを制御し酸化させない働きがあるポリフェノールを多く含んでいる。 その効用は紀元前から認められており旧約聖書の中にも記述されている――そうです。

このように身体にもよさそうなナッツ類、居ながらにして世界各国からのナッツを手軽に楽しめる日本っていいなあ~。

2011年6月16日木曜日

タフおじさん

タフおじさん
 先日近くの公園にある屋内プールに行った、休憩時間にたまたまどこかのおじさんと話をした。きけば古稀を過ぎたと言ってたからそのまま信じよう。なにせ立派に日焼けして贅肉なしの引き締まった身体。
 ただ者ではないと思い探りを入れるに、日々鉄アレイで鍛え、オフロードバイク(マウンテンバイクのこと?不案内で申し訳ない)で毎日往復30キロ走っているとのこと。
 それだけではない、折り返し点にある総合スポーツセンターで、ジム、水泳、風呂で半日過ごすとのこと。是非一度行ってみろと勧められた。ママチャリで行くのはしんどすぎるから、取り敢えずは怠慢して車で様子を見に行ってみようかと思っている。

2011年6月15日水曜日

ナッツで世界一周 2/3

ナッツで世界一周 2/3
 続編です。先ずは、やはり大好物であるマカデミアナッツ、これまではハワイ産のものばかり食していたのですが、今回のは、なんと初めての南ア産でした。気のせいか大粒でがっちりしている感があります。
 「マカデミアナッツはハワイ」というイメージがあるが、じつは原産地はオーストラリアのクイーンズランド州である。先住民族・アボリジニたちはこのナッツを食べていました。栄養たっぷりのマカデミアのナッツは、彼らの大切な主食のひとつでした。

 1850年代、イギリス人植物学者フォン・ミューラーらが、クイーンズランド州の熱帯雨林に自生しているマカデミアの樹の存在を知り、当時の有名な科学者ジョン・マカダム博士の名にちなんで命名されました。
 ところが、マカデミアの木の実が食用になることは、アボリジニ以外の人々には長い間、知られていませんでした。オーストラリアで発見されたマカデミアが移民の手によって初めてハワイ島に移植されたのは、1883年。当時は庭木や生け垣のための樹木として、ハワイに渡ったそうです。

 ハワイの人々がこの実が食用になることを知ったのは、1920年代になってからで、商業的価値が明らかになるにつれ、徐々に植え付け面積が広がりました。原種は甘味や脂肪分に乏しかったので、ハワイ大学で商業生産を目指した品種改良の研究が行われ、20年に及ぶ努力の結果商品化に成功しました。またこの間ハワイ州政府がマカダミアナッツ農園に免税の措置をとるなどの措置を講じた結果、1950年代末までに作付け面積でパイナップル、コーヒー、サトウキビなどを抜いて1位となり、ハワイの代表的な農産品としての基盤が確立されました。

 現在、マカデミアナッツの生産量は世界で年間2万7000トン程度。生産量はオーストラリアが最も多く、2位が南アフリカ共和国、3位がハワイ、4位がケニアとなっています。

 すぐれた健康・美容効果が明らかにされ、人気が高まっています。100g中の脂質は76.8gですがコレステロールをまったく含まず、豊富に含まれる「パルミトオレイン酸(POA)」という不飽和脂肪酸には、脳の血管を強化し、脳卒中を予防する作用があることが明らかになりました。POAのほか、各種ビタミンやミネラル、食物繊維、抗酸化物質も多く含まれており、身体によい栄養食品として、脚光を浴びています。

 カシューナッツはインド産でした。
 5–8 cm の果実のようになったものをカシューアップルと呼び、その先に灰褐色の殻に覆われたカシューナッツがあります。原産地のブラジルから、世界各地のある程度の雨量のある熱帯、亜熱帯地域に広がっており、世界では年間200万トン以上が生産され、2005年の生産量は、ベトナム(83万トン)、インド(46万トン)、ブラジル(25万トン)、ナイジェリア(21万トン)となっています。

 カシューナッツはアーモンドと同じようにオレイン酸を多く含みます。タンパク質と糖質、ビタミンB1、マグネシウム、鉄、亜鉛などのミネラル分、さらに、食物繊維(不水溶性)を多く含んでいる事から、便秘防止に役立ち、結腸を丈夫にして腸の活動を活性化してくれると云われます。

 また、味覚や成長に影響を及ぼす亜鉛がナッツ類の中でも一番多く含まれます。味覚障害を起こしている場合は亜鉛不足がまず考えられますから、予防に役立ちそうです。加えて、貧血や月経不順、疲労回復にも良いようです。

2011年6月14日火曜日

ナッツで世界一周 1/3

ナッツで世界一周 1/3
 ナッツ類が好みで、時々おやつ代わりにいろんな種類のナッツを食している。きっと縄文人の血が流れているのかもしれない。もっとも彼等は主にドングリを主食にしていたようですが――。

 ジャイアントコーンは特に好物のひとつ、今回のはペルー産とあった。前世はペルー人だったのか?実はペルー中南部ウルバンハ地方 3000 m の高地のごく限られた地域でのみ栽培され、遺伝子組み換え品種も存在しない。日本で栽培しようとしても、実は大きくならない――という。
 一粒の大きさ(直径)が 2 cm くらいあるが、トウモロコシの房自体の大きさは普通のトウモロコシとあまり変わらない。つまり、軸が細い。甘みはあまりなく、ややボソボソした食感がする。主に南米のアンデス地方(ペルー・ボリビア・チリ)で食用とされる。
 現地ではチョクロ(choclo)と呼ばれている。スープに入れたり、肉料理などの添え物として用いられ、極めて庶民的な食材である。柔らかく融かしたチーズやヤホァ(サルサ)を付けて食べることも多い。アンデス地方の田舎では、保存食料とするためにジャイアントコーンを軒先に乾している。

 大好物のピスタチオはイラン産のものだった。原産は地中海沿岸。農耕文明の初期以来、この地に自生していた原種を食用に栽培してきたものである。主な生産地はイラン、アメリカ、トルコ、シリアなどであり、現在の生産量はイランが世界一である。中国では新疆ウイグル自治区が主産地。熟した種子を殻果ごと焙煎し、塩味をつけたものを食用とする。ピスタチオグリーンと呼ばれる緑色が残り、味は他のナッツ類と異なる独特の風味があり、「ナッツの女王」とも呼ばれる。また殻を割るパチンという音も心地よく、肴や茶請けとして用いられる――とのこと。

 カボチャの種、ヒマワリの種、松の実は中国産なので若干気になったが、食している。

 次回は南ア、米、トルコ、インドの予定です。

2011年6月10日金曜日

父の日

父の日
 母の日と比べると影が薄く、おまけ・付けたしの感すらある父の日と云うものもある。6月第3日曜日。1909年米国・ワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドッドが、男手ひとつで自分を育ててくれた父を讃えて、牧師にお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。彼女が幼い頃南北戦争が勃発。父ウィリアムが召集され、彼女を含む子供6人は母親が育てることになるが、母親は過労が元でウィリアムの復員後まもなく亡くなった。以来男手ひとつで育てられたが、ウィリアムも子供達が成人したのを見届けて亡くなった。

 最初の父の日の祝典は、1910年6月19日にスポケーンで行われた。当時すでに母の日が始まっていたため、彼女は父の日もあるべきだと考え、「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まった。

 時を経て1966年、第36代大統領ジョンソンは、父の日を称賛する大統領告示を発し、6月の第3日曜日を父の日に定めた。1972年アメリカでは正式に国の記念日に制定された。あまり馴染みはないが日本には、1955年頃導入され徐々に全国に広がったとされる。

 母の日の花がカーネーションなのに対し、父の日の花はバラ。ソノラ・ドッドが、父の日に父親の墓前に白いバラを供えたからとされている。1910年の最初の祝典の際には、YMCAの青年が、父を讃えるために、父が健在の者は赤いバラ、亡くなった者は白いバラを身につけたと伝えられる。

本当のところ元気な孫の登場で云うことなし。

世界各国の父の日
•2月23日 ロシア
•3月19日イタリア、スペイン、ポルトガル、 ボリビア、ホンジュラス
•5月5日 ルーマニア
•5月8日 韓国(「親の日」として)
•5月の第3日曜日 トンガ
•5月の昇天日 ドイツ
•6月5日 デンマーク
•6月の第2日曜日 オーストリア、ベルギー

•6月の第3日曜日 日本、アメリカ、イギリス、カナダ、フランス、インド、中国、プエルトリコ、チリ、コロンビア、コスタリカ、トルコ、ペルー、スロバキア、南アフリカ共和国、シンガポール、ウクライナ

•6月17日 エルサルバドル、パキスタン、グアテマラ
•6月23日 ポーランド
•8月の第2日曜日 ブラジル、サモア
•8月8日 台湾
•9月の第1日曜日 オーストラリア、ニュージーランド
•10月の第1日曜日 ルクセンブルク
•11月の第2日曜日 フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、アイスランド
•12月5日 タイ
•12月26日 ブルガリア

2011年6月7日火曜日

古典

古典
 過去150年ぐらいの作家や作曲家の作品が古典と呼ばれる日が来るのだろうか。内容と価値と普遍性と独自性?認知されるまでに何年必要なのだろう。シェークスピアは合格か?漱石、鴎外は、デュマは、ゲーテは、雅楽は、果てまたビートルズは?

 例によって広辞苑の定義を見てみると:昔、書かれ、今も読み継がれる書物。転じて、いつの世にも読まれるべき、価値・評価の高い書物。音楽についても、広義には、民俗音楽・大衆音楽に対して芸術音楽一般をいう。クラシック音楽。 ――とある。これではまるで官僚の答弁のようだ。

 古代中国における「古典」とは、単なる古い書物を意味するのではなく、そこに書かれている「礼」(儀式の手順・方式)を意味する言葉であった。早い時期の使用例としては春秋左伝の注や後漢書儒子伝のものなどがある。やがて四書五経など中国古代の聖人たちの著作を示す言葉になり、時代とともにその指し示す範囲が広がってきた。

 日本における「古典」という語の早い時期の用例としては「太平記」に出てくるものがあり、そこでは中国の古典を指している。その後も日本での「古典」とは中国における「古典」と同じ「四書五経」をはじめとする古代中国の聖賢たちの書物を指す言葉として使われており、日本国内で日本人によって著された作品を指すことは無かった。源氏物語などはすでに平安時代末期には歌作において「源氏見ざる歌詠み遺恨の事なり」などとして現代的な意味での古典に類する地位を与えられていたが、これら日本の作品が「古典」と称されることは無かった。

 江戸時代に生じた日本の歴史と伝統を重んじた国学では、古事記など日本の伝統の尊重という観点から重要視すべき書物を指すときには、「古典」という漢語を避けてもっぱら「ふるきふみ」や「ふることぶみ」などといった和語的な表現を使用しており、明治時代以降はこれらの「日本の古典」に対してしばしば「国典」という表現を使用している。

 英語の「クラシック」(classicかclassicalかを問わずクラシックと音訳されたりすることもある)及び西欧諸語における「クラシック」と同じ意味の言葉は、すべてラテン語に由来している。もともとは「クラス」(階級)を意味した言葉がさまざまな言語において普遍的に見られる意味の転化により「最上の階級」を意味する言葉になったと考えられている。早い時期の使用例としては西暦130年ころ、ラテン語の著作で古典ギリシャ時代の賢人たちの著作をさして用いられている。
 その後も「クラシック」という語は主として古代ギリシャ・ローマ時代の作品に対して用いられてきており、明治時代の英和辞典でも「主としてギリシャ・ローマ時代の名著に用い、それ以外のものに使うこともある。」とされている。

 明治時代以降の日本語における「古典」とは、上記のような中国語の「古典」と欧米語の「クラシック」という、そもそもの由来も指し示す範囲も異なるものの、類似した性格を持った二つの言葉・概念を融合させたものであると云う。(以上主にウィキペディアから)

ジャンルごとに種々の考え方がありそうだが、ひとまずオーソドックス編。

2011年6月6日月曜日

「反物質」16分閉じ込め

「反物質」16分閉じ込め、宇宙の謎解明へ一歩
 日本の東京大学や理化学研究所が参加した欧州合同原子核研究機関(CERN、ジュネーブ)の国際研究チームは、通常の原子などと反対の電気的性質を持つ反物質の一種、「反水素原子」を世界最長の16分以上(1000秒間)にわたって閉じこめることに成功した。
(反物質を調べるには、人工的に作り出したうえ、安定した状態で保つ必要がある。反物質は物質とぶつかると、大量の熱エネルギーを放出して消えてしまうため、磁気を利用した真空の装置の中で、壁などにつかないよう、宙に浮かせて閉じこめる必要があった。)

 昨年11月にCERNの同じ装置を使った実験で、38個の反水素原子を0・2秒閉じこめるのに成功していたが、今回、時間が飛躍的に延びた。5日の英科学誌ネイチャー・フィジックス電子版に発表した。

 反物質は宇宙誕生の際に生成し、当初は通常の物質と同じ量が存在していたとされるが、現在は自然界にほとんど存在しない。なぜ反物質がなくなり、物質だけの世界になったのか、宇宙の進化の謎をひもとく研究に道を開く成果として注目される。
(2011年6月6日03時09分 読売新聞)

2011年6月5日日曜日

震災、アサリにもストレス

震災、アサリにもストレス 東邦大調査、殻の模様に異変
殻の途中で帯状に模様が変わったアサリ=大越健嗣・東邦大教授提供

 福島県の沿岸で、二枚貝のアサリの模様に東日本大震災の影響とみられる異変が起きていることが、東邦大学の大越健嗣教授らの調査で分かった。9割の個体 で殻の途中に溝ができ、それを境に色や模様が変わっていた。津波で環境が激変したことによるストレスが主因とみられるという。
 大越教授らは5月下旬、アサリの産地として知られる福島県相馬市の松川浦とその周辺の河口で生息密度などを調べた。この調査で採取したアサリ216個体 のうち、約9割にあたる192個体で、貝殻の模様の一部が帯状に変わっていた。同じ松川浦で2009年6月に行った調査では、貝殻に帯状の変化がみられた 個体は1割以下だった。
 アサリの殻には様々な色や模様があり、遺伝と生息環境の両方の要因に左右される。また、通常の海域でも、ストレスが加わると模様に変化が起きる場合がある。
 台風による大波で転がされたり、冬に海水温が大きく下がったりすると、貝殻の途中に「障害輪」という溝ができて、そこから先にできた模様が変わることがある。外国産のアサリを、環境の違う日本の海に移して育てても、同じ現象が起こることが多い。
(2011年6月5日5時47分 朝日)

2011年6月4日土曜日

ソユーズ宇宙船:不思議な「験担ぎ」の数々…

ソユーズ宇宙船:不思議な「験担ぎ」の数々…
 宇宙飛行士の古川聡(さとし)さん(47)が今月8日、ロシアのソユーズ宇宙船に乗り込み約半年間の旅に出る。宇宙船のクルーといえば最先端技術 を駆使する集団だが、飛行士たちが気にする「験担ぎ」があるという。

 打ち上げ台へと向かうバスを降りて、おもむろに車輪におしっこをかける宇宙服の男たち--。この突拍子もない「伝統儀式」は、人類で初めて宇宙飛 行に成功した故ユーリー・ガガーリン飛行士が、打ち上げ直前にしたことをまねたものだ。ガガーリンは初飛行から50年が過ぎた今も「ロシア宇宙業界の最大 の英雄」。それだけに、同氏にまつわる数多くの験担ぎが、エピソードとして残されている。さすがに女性飛行士には課されていないが、中には尿を容器に入れて持参し、車輪にかける 女性もいるそうだ。

 さらに出発前夜の乗組員は、ソ連時代の人気映画「砂漠の白い太陽」(69年)を必ず見る。これは73年に飛行した「ソユーズ12号」の乗組員が打ち上げ前夜に鑑賞し、全員が無事に帰還したことから始まった。その2年前(71年)には、地球へ戻る飛行で、乗組員3人全員が船内で窒息死している。

 逆に、飛行士が避けようとするジンクスもある。ガガーリンは68年、戦闘機の訓練飛行時の墜落事故で命を落とした。その当日の朝、忘れ物に気付い て自宅に戻ったことが分かっている。ロシアではもともと忘れ物を取りに帰ると悪いことが起きるという迷信があり、その後の宇宙飛行士は、忘れ物をしても戻 らないようにしているという。

 一方で時代とともに変わっていく儀式もある。帰還した飛行士は従来、バイコヌールにある「宇宙飛行士の小道」と呼ばれるホテル裏庭の敷地に、ニレの苗木などを植えており、ガガーリンが植えた木も成長している。しかし最近では伝統が変わり、古川さんも打ち上げ前の1日に植樹を済ませた。これだけ多くの験を担いで旅立つ宇宙飛行士。11月下旬に無事に戻ってくることを願うだけだ。
(毎日新聞 最終更新 6月4日 12時24分)

2011年6月1日水曜日

さすがに重い

さすがに重い
 政治家・屋の言動の軽さに仰天の昨今、古典と呼ばれるものはさすがに重みがある。孔子様。

*君子は義に喩り、小人は利に喩る

*義を見て為ざるは、勇なきなり

*巧言令色、鮮(すく)なし仁

2500年経っても進歩なし。
*アカンに花道を、首相公選制を!
*折角の「松下塾」だったけど、「養殖もの」の限界、発想の大胆さに欠ける。
*菅直人 CAN NOT(英国発音でカンノーット)首相 
*与しやすいと見られるから、一部中国人や韓国人から表面上の評価を得る。すなわち日本のためにはならない証左。

日本橋

日本橋
 現在の日本橋は1911年(明治44年)4月3日、東京都中央区の日本橋川の上に架けられた19代目の橋である。 石造二連アーチ橋。橋長49m、幅27m、設計米本晋一、装飾様式妻木頼黄、装飾制作渡辺長男。


 初代は1603年(慶長8年) 徳川家康の全国道路網整備計画に際し、木造橋が架けられた(北側部分を原寸で復元したものが江戸東京博物館に展示されている)。翌年五街道の基点となる。以降、江戸の中で最も賑わう場所として、浮世絵による風景画に描かれることが多くなる。
 1657年(明暦3年)の明暦の大火により全焼。江戸は火事が多く、日本橋は江戸幕府成立から幕末に至るまでの間に幾度も焼け落ちている。1944年(昭和19年)3月10日 東京大空襲。現在も焼夷弾跡が残る。高速がうっとうしい

 戦前の道路法では、各市町村に道路の始点となる道路元標の設置を義務付けていた。その場所は概して市役所や県庁などとされていたが、首都たる東京市は江戸時代を踏襲して日本橋を道路元標とした。現行の道路法では道路元標に関する規定は無いが今日でも橋の中央には「日本国道路元標」の文字が埋め込まれている。橋の袂(たもと)にレプリカが展示されている。

 現在の日本橋(第19代)は1999年(平成11年)5月13日、国の重要文化財(建造物)に指定された。しかし首都高速道路に覆われてしまっている現状から都市景観の在り方を含め、さまざまな方面から意見が交わされている。2006年(平成18年)には有識者会議である「日本橋川に空を取り戻す会(日本橋みち会議)」が、首都高速道路を地下に移設して周辺を親水公園などに造り変えるという再開発構想をまとめた。小泉純一郎首相(当時)もこの構想を後押しする発言をしているが5000億円といった莫大な費用が見込まれることもあり、石原慎太郎都知事は反対を表明している。

 蛇足ながら1999年(平成11年)以降、箱根駅伝の第10区はコースを日本橋経由へ変更している。これは日本橋周辺の商工会からの要請であると同時に、東海道の始点である日本橋を通るということが箱根駅伝のクライマックスを飾るに相応しいと判断されたからである。

 このように見てくると、東京オリンピックを機に高速道路が架けられ、あちこちでかつての趣ある景観が犠牲になったことが、悔やまれる一面を示している。都市工学の出番が期待されているように思われる。