2008年12月31日水曜日

機内アンケート


 *機内アンケート
 日本発ヨーロッパ行き長距離便が、もう少しで目的地パリに到着するというとき、機内アナウンスが流れた。
 「ご搭乗の皆様、ただいま客室乗務員がアンケート用紙をお配りしております。わたくしどものサービスについてお答え頂くものであります。」
 乗客は憧れの地に着陸を間近にして、少々緊張気味でアナウンスの続きを聞いた。
 「このアンケートには初めに当機の便名を記入していただきますが、サービスがお気に召しましたら当機は全日空117便、お気に召しませんでしたらエッフェル航空1818便でございます。」


 *インドの列車
 インドの鉄道はしょっちゅう遅れる。人びとも慣れたもので、いちいち目くじら立てて怒るものなどいない。ところが、である。ある日、列車が時間通りに到着し、発車してしまったのである。
 乗り遅れた人々は、口をそろえて駅員に抗議した。
 [いったいどうしてくれるんだ!いつも遅れるくせに!この責任をどう取るつもりか] 
すると、駅員はすました顔をしてこう答えた。
 「ご安心下さい。今の列車は昨日の列車です。
 今日の列車が来るのはまだまだ先ですから」


 *米国人は美術好き
 レンブラントは生涯におよそ三百点の作品を描いたと言われる。
 その内すくなくとも千点は現在アメリカ中の画廊で売られている。

2008年12月29日月曜日

得する日本人?

 得する日本人?
 日本人はひとつのジョークで三度笑う
 1ジョークを聞いたとき 
 2そのオチの意味を教えてもらった時 
 3家に帰って、オチの意味が理解できた時


 新製品開発過去と現在
 新製品が世に流通するまでには、四つの段階がある。
 「過去」まず、アメリカの企業が新製品の開発をする。次にロシア人が「自分たちは同じ物を、もうすでに四半世紀前に考え出していた」と主張する。そして、日本人がアメリカ製以上の品質のものを造り、輸出し始める。最後に、中国人が日本製の物にそっくりの偽モノを作る。

 [現在] まず、日本企業がいきなり最高品質の高機能製品を造り、輸出し始める。次にロシア人が「自分たちは同じ物を、もうすでに25年前に考え出していた」と主張する。そして、中国人が日本製品に似せたブランド名の偽ものを作る。最後に、アメリカ人が輪転機をフル回転したドル札でせっせと中国製フェイクを輸入する。挙句に能書きどおりでないと日本企業を訴え、裁判に持ち込み荒稼ぎする。

 
 デモ
 ある時、ニューヨークで反日デモが起きた。こんなプラカードが掲げられていた。
「アメリカ製品を買え!(Buy American!)」
しかし、そのデモ行進の中に一人の日本人が混じっていた。
彼も同様のプラカードを掲げていたが、よく見ると最後の「n」の文字がなかった。

2008年12月27日土曜日

「山男達の歌声に心動いた」

 最近、ピアニスト・ボーカリストとして活躍中という今村直子さんの存在(http://imamusic.exblog.jp/)を知る機会があった。彼女のブログから許可を得て、以下を紹介したいと思います。 


 山男達の歌声に心動いた

 土曜日、高校の同期生が所属する、北大山とスキーの会(北海道大学山スキーの会のOB会)の迎雪会というパーティーに演奏者として呼ばれ、参加しました。
 場所も探しているようだったので、音楽仲間が10月にオープンした「高円寺Reef」を紹介し貸切パーティーにしたお陰で、マイハウスのように気が楽にできました。

 30名ほどの30~70代のメンバー、みな、山男らしいイイ顔で、私の亡き父と学徒友人達の交流に似たものを感じ、嫁ぎ先が芸術一家だったのでこの雰囲気にひたるのは30年ぶりくらい。どこかバンカラ浪漫が漂い、気持ちよかったです。
 会は、まず、先月突然山で遭難し亡くなった(たぶん私より上の)同僚の追悼のための黙祷から始まりました。たった一人で山へ行った友人を思い、自分に声をかけてくれたら一緒に行ったのに、それが悔やまれる、と同期らしいメンバーが言っていました。

 やがて、普通は「カンパーイ」と言う場面で、音頭とりの一人が 「シー!」と言うと皆が「ハイル!」・・・それを三回大声で続け「シー!ハイル!シー!ハイル!シー!ハイル!」とやります。(因みにシーハイルとは、ス キー万歳という意味だそう。) 
 しばらく歓談して私のライブ30分。ついつい「エーデルワイス」「ダニーボーイ」など、山っぽい曲を選んでしまい、やっぱり 皆さん知っていて、唱和してくれました。

 山では歌詞など見ていられないからか、みんな歌詞を暗記していて、びっくり!
 そして、先輩達から伝わる歌、「山の大尉」「ローレローレ」「山の四季」「ぼくらの故郷」「スキーの寵児」「Wandervogelslied」「岳人の歌」「遥かな友に」 など(聴いたこともないメロディーや歌詞)に即興の伴奏をつけてみんなで大声で歌い(合唱の時もあった)、最後に追悼の気持ちを込めて、私の「千の風になって」で終わった。聴きながら涙ぐまれる方もいらした。

 山の歌、山を愛する人々は、素晴らしい。声を出し、歌うことで絆や元気が生まれる。そして歌の内容や、それが歌われる状況(山小屋やテントの中、自然の中での休憩地点、こんなふうに酒宴で、など)を思うと、初めて体験するこの「山男文化」にはてしなく奥深いものを感じ、感動した。

 あの一面銀世界の中、スキーで滑走してくる時感じるもの、トイレなしシャワーなしの山小屋での過ごし方の粋なルー ル、自然を相手に険しい山を登るマナーやものの考え方・・・想像するだけで世界観が変わる。この感動を、なんとか息子達やその友人に伝えたい、と思った。
 http://imamusic.exblog.jp/blog.asp?iid=&acv=&dif=&opt=2&srl=9069099&dte=2008-12-16+12%3A15%3A46.000

2008年12月25日木曜日

「もみじマーク」の新展開

 本ブログ11月1日付けで論じたところではありますが、新たな法改正があるようです。問題視していたマークのデザイン変更もあり得そうです。


 高齢運転「もみじマーク」、未表示の罰則撤回へ 法改正試案

 警察庁は25日、75歳以上の運転者に表示を義務付けた高齢運転者標識(もみじマーク)について「努力義務」とし、当分の間表示しなくても取り締まらないことなど高齢者の運転支援につながる道路交通法改正試案を明らかにした。来年の通常国会に同法改正案を提出する。
 今年6月にいったんは罰則まで定めた内容で法施行しただけに、異例の見直しといえそうだ。

 また、来年1月には「高齢運転者標識の様式に関する検討委員会」(仮称)を立ち上げ、マークのデザイン変更も含めて検討する。

 もみじマークの義務化は、昨年の道交法改正で導入が決まり、75歳以上の運転者が違反すると行政処分一点と反則金4000円を科すとされた。
 改正道交法は6月から施行されたが、警察庁は、1年間は違反を摘発せず、指導にとどめるように各都道府県警に通達していた。 (日経 2008.12.25)

切なるお願い

 本ブログ立ち上げから半年を経過しました。私の“力作”に興味を持って頂き、誠にありがとうございます。これを機に改めてルール確認をさせて頂きたくお願いします。

★★ 引用に関わるルール★★★

出所/出典を明確に して下さるようお願いします。

以下の選択肢が可能かと思います。
  ① URLを入れて頂く
  ② 出所/出典を明確化し本ブログを辿れるような記述を入れる
  ③ このページの「コメント」をクリックして連絡を頂く

 どうかルールの厳守をお願い申し上げます。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

2008年12月23日火曜日

“smart”特集

 *?smartな国?
 アダム・スミスとマルクスがあの世で出会い、激しい議論になった。
 相反する思想の持ち主、やはり意見はどこまでも平行線であった。
 しかしながら、たった一つだけ結論の一致をみた話題があった。
 それは、「自分の思想を体現した国はどこだろうか?」という問いであった。
 二人とも、「日本」と答えたのである。


 *アラブ流smart?な判断  
 日本にやって来たアラブ人が、パソコンを買いに量販店を訪れた。
 店員が言葉巧みに勧める。
 「この最新型のパソコンを使えば、あなたの仕事は半分になりますよ」
 それを聞いたアラブ人が笑みをたたえて言った。
 「そのパソコンを二台ください」


 *smartな判断   
 ペルシャの王様テヘランは若妻のイランドッホに言った。
 「王になることはなんと楽しいことだ。これが永遠に続いたら、最高のものになるだろう」
 それを聞いた若妻イランドッホは、こう言った。
 「でも、もし永遠に王様になれるなら、あなたが王様になる順番なんて来なかったでしょうね」


 *パリス流smartな判断
 パリス・ヒルトン嬢がヨーロッパの冬山へ旅行した。
 夜、ホテルのロビーで新聞のゲレンデ情報を読んでいた。
 ブシュテニ:15 cm、軟らかめ、クラブチェット:20 cm、普通、ポスタバル:25 cm、堅め。
 それをじっくりと読み終えた件のブロンド娘はホテルのフロントに行き、こう聞いた。
 「ポスタバルさんの部屋は何号室?」

2008年12月21日日曜日

09年度予算案?

 分かりやすい例示かと思い引用します。


 アソーさんちは火の車!税収など家計に例えると

 20日に内示された2009年度予算の財務省原案の1兆円を10万円に置き換えて家計の年収に例えてみた。「日本政府株式会社」で働くアソーさんの暮らしぶりは果たして……。

 アソーさんの年収(税収)は461万円。景気後退の影響で今年から75万円もカット(税収減)されたことが響き、家計は火の車だ。
 住宅ローンの元利返済(国債費)や田舎への仕送り(地方交付税)だけで、年収の8割にあたる360万円余りが消えてしまう。
 しかし、医療費など(社会保障費)は30万円も増え、妻におねだりされたリフォーム代(公共事業)の出費もばかにならない。生活費(一般歳出)は過去最高の517万円に膨らんでしまった。
 そこで妻のヘソクリ(埋蔵金)も取り崩して90万円余りを確保したが、それでも全く足りず、結局、カードローン(新規国債発行)で333万円も借りてしまった。
 積もり積もったローン残高は5800万円にも膨れ上がり、完済のメドは全く立たない。(小川直樹)
  (2008年12月20日23時53分 読売新聞)

2008年12月17日水曜日

笑止千万と言われそうだが

 金融恐慌
 9.11の後、あるいは、フセイン政権崩壊の後だったか時期は定かではないが、どこかでイスラム系の指導者が「資本主義を壊滅させる」ーーと言う趣旨の発言をしていたのを思い出す。当時そんなことできるわけがないのにーーと漠然と思ったが、なぜか脳裏に残っていた。
 今の米国発世界金融恐慌を見ると、それは単なる強がりだったのではなく、リンクしているのかも知れないとも思えなくもない。ひょっとしてアメリカと世界につながる経済実態を、かなり正確に把握していたトンデモナク情報通のヒトの言ではなかったのかと勘ぐりつつある。

2008年12月15日月曜日

家の外壁塗装工事

 厚化粧?
 家も7-10年弱経過するたびに、外壁塗装をやったほうが良いと業者がやってくる。あそこにひびが入っていて横の亀裂は水がしみ込む、ペンキがチョーキングをおこしていて劣化している、ここのところがフケている、屋根の切妻部分がはげてきた等々いろいろ指摘する。

 挙句にそろそろ塗り替えないと家全体が痛んでしまう、無料で見積もりするーーと言うシナリオで言葉巧みに食らいついてくる。そして見積もりを持ってくると、これだけサービスすると追い討ちをかける。
 素材の質、単価、工事内容などもともとの相場を知らないので、見積もりを見ても妥当性の評価がきちんとできない。一種言われるまま!しかも安い塗装と、値の張る塗装の二種類を比較し、下塗りの回数が多いし如何に高額のほうが持ちがいいかというお誘いになる。

 次は、“近くで「うち」がやってる現場に案内する”となる。さすがに営業、こちらは全く世事に疎いから「お説ごもっとも」と思わされ、だんだんそのペースにはまり込む。見かけ上高めを感じさせる「値引き率」、これもクセモノ!どうもこの割引価格でさえ、高めの見積もりではないのかと思うが、雰囲気に飲まれてしまう。

 結局のところ、「年増の厚化粧」みたいなもので、よーくクレンジングして(高圧水洗?)、ファウンデーション(プライマーとか何とか言うペンキが良く密着する糊のようなもの)をしっかり塗りたくり、化粧(ペンキ)の乗りを良くするという段取りだ。高い化粧品(塗装材料)を使えば剥げ落ちも少なく、長持ち(15年)するんだと宣伝されてしまう。

 これと同じ理屈で推移して、化粧品で十分のキャリアを持ってるはずのワイフともども説得されて、判子を押した私どもでした。
 吉と出てくれ、この判断!

2008年12月13日土曜日

ちょっといい話


 
 ちょっと長くなりますが、こんな記事を目にしたのでご紹介したいと思います。


 オバマ政権と武士道

 2008年12月11日 篠崎 晃

 この数年アメリカのメディアでは影の薄かった日本社会、日系人社会で久しぶりの朗報が8日、真珠湾攻撃記念日に届いた。エリック・シンセキ将軍(日系人初の四つ星=大将)のオバマ新政権での退役軍人省長官への指名である。12月7日は奇しくも67年前と同じ日曜日、オバマ政権移行チームは休日にも拘らず特別記者会見を召集するという念の入れようであった。

 2003年イラク侵攻直前、シンセキ将軍は当時の陸軍参謀総長として議会証言を求められ、「むしろ制圧後に予想される民族、宗教、部族間抗争が問題で、その為には占領時に数十万の兵力を維持して治安をコントロールする必要がある」と述べた。

 この証言は、「兵力は出来るだけ少なく、最新技術と兵器を投入して一気に甚大な損害を与え、フセイン政権を倒せばイラクは自ずから安定する」というラムズフェルド国防長官以下の文官幹部方針と真っ向から対立。

 ウォルフウィッツ次官にいたっては「陸軍トップとしては全く的はずれの証言。イラク国民は解放軍のアメリカ兵士に花束を差し出して歓迎してくれる」と将軍を揶揄し任期の14カ月も前に後任を発表(しかも結果的には違う人物が後任になった)、結局将軍は不本意ながら同年退役に追い込まれた。

 その退役送別式では軍のトップを送る伝統儀礼に反して文官幹部は欠席するなど非礼の限りを尽くしたが、シンセキ将軍はスピーチで、「リーダーたるもの自分がリードする人達を心から大切にせねばならない。さもなくば COMMAND(命令)は出来ても LEAD は出来ず、立派なリーダーとはなり得ない」 と述べ静かに去っていった。(今にして思えば当時のブッシュとその取り巻きへのこれ以上痛烈なパンチはないだろう。)

 将軍の心に宿る“武士道”はむしろ退役後に発揮される。現役軍人や一部の人達から、「最も良く現場=戦場を知るものとしてもっと強く自説を強調すべきではなかったか?」という批判があったが、彼は、「私の大切な兵士が毎日のように戦死したり、傷を負っている時に内輪もめをすべきではない」と周りに洩らし一切弁解をしなかった。また一部の退役高級将校が「軍人の政治不介入」の掟を破ってラムズフェルド長官の罷免要求署名運動をはじめた時も署名に加わらなかった。

 さらには多数の退役将官が、“軍事顧問“としてCNN,Fox News をはじめとするメディアに連日登場し、時には現役時代の上官批判も厭わずに戦争の“解説”に精出し、多額の報酬を手にするのを目の当たりにしても、“初の日系人制服トップ”の知名度高い 彼に寄せられるすべての誘いを断わってきた。

 その後のイラクの展開と経緯は歴史が示す通りだ。2006年12月の中央軍総司令官の「シンセキ証言は正しかった」とする議会証言に続き、翌年1月のブッシュ大統領の「二万人以上の派兵増強命令」が出るにおよんで、シンセキ将軍の正しさが実証され、名誉は挽回された。当然のことながら,軍人はもとより政治家、有識者、一般大衆の賞賛の的となったが、そうなっても一切のコメントを差し控えてきた。アメリカで生まれ育ち、ウエストポイントで教育を受け、ひたすら愛国者であり続ける将軍の体には脈々として武士道の血が流れていると感服せざるを得ないのは私だけだろうか。

 今朝のニューヨークタイムスの社説では、「戦いで心身ともに傷ついた傷病兵への最良の思いやりは、これ以上傷病兵を増やしてはならないということだが、誰よりもこのことを理解しているシンセキの任命は、今までこの国内ですらなおざりにされてきた傷病兵や退役軍人にとって心温まるニュース・・・」と絶賛している。

 大統領予備選、本選を通じて クリントン陣営、さらにはマケイン陣営に相次ぎ渦巻いた内部闘争や混乱にひきかえ、オバマ陣営の非の打ちどころのない組織力、動員力、集金力が際立ったが、それに加えて当選後の政権移行チームでは、「人心を読むこと”に重心が動いている・・・」とつくづく感じる。ペンタゴンに次ぎ規模で二番目の省庁といわれる退役軍人省トップへのシンセキ将軍の指名もその表れであろうし、これが今後のオバマ政治の前触れとなることを心から期待したい。(12月9日)

 【篠崎晃】1937年、鎌倉生まれ、上智大卒、米国三井物産副社長、財団法人経済広報センター米国事務所長など在米(ニューヨーク)30年余の間、幅広い人脈や社会活動を通じて日本とアメリカの社会変遷を鋭く観察し、警告を発信してきた。

 シンセキ氏の退役軍人長官起用発表 開戦67周年の会見で
 http://www.cnn.co.jp/usa/CNN200812080006.html

 それにしてもアメリカのマスコミ・ジャーナリズムも、開戦当時は批判も許さぬオポチュニズムでいい加減だった(現在形でもある)印象は拭えない。

 全く余計な事ながら、もとは、「ニイゼキ」さんじゃなかったのかなーーなんて思ってます。

2008年12月11日木曜日

教育2

読書に関する欧米先人の教え
 偉い先人の読書に対する考えの集大成をひと言で知ることは興味のあることである。固より賛否はアナタ自身でお決めください。
 もっとジンとくるもの、あるいは貴方の一家言を紹介して下さい。歓迎します。


 * 良き書物を読むことは、過去の最も優れた人達と会話をかわすようなものである。(デカルト)

 * 本をよく読むことで自分を成長させていきなさい。本は著者がとても苦労して身につけたことを、たやすく手に入れさせてくれるのだ。
 (ソクラテス)   

 * 読書は充実した人間をつくり、書くことは正確な人間を作る。
 (ベーコン)  

 * 本は文明の運び人である。本がなければ歴史は何も語れず、文学は沈黙し、科学は無能となり、思想と思索は立ち止まったままとなる。
 (B.タックマン:米国の女性歴史家、ノンフィクション作家)

 こんなのもあります。

 * 読書のコツは拾い読みにある。従って、賢明になるコツは何を捨てるかを知る術にある。(W.ジェイムズ:米国の哲学者、心理学者)

 もうひとつ、「本」違いではありますがーー
 * 子供には批評よりも手本が必要である。
   (ジューベル:フランスの哲学者)

 本日の格言でした。

2008年12月9日火曜日

大好評につき・さらに三題

 
 *インテリジェント体重計
 正確な体重を教えてくれるだけではなく、いろいろアドバイスをしてくれる最新式の体重計が日本で売り出された。
 山神婦人は早速その体重計を買い求め、期待に胸ふくらませ乗ってみた。しばらくの時間経過の後、体重計はこう言った。
 「恐れ入りますが、体重計には一人ずつ乗ってください」


 *なぜか食い違う証言
 中年の看護婦
  「あのE311号室の患者さん、ペニスにアダムって入れ墨してるよ」
 若い看護婦
  「あらそう?私が見たときはアムステルダムって書いてあったわ」


 *原点回帰?
 アインシュタインに次のような質問をした。
 「第三次世界大戦では、どのような武器が使われるでしょうか?」
 アインシュタインは答えた。
 「第三次世界大戦でどういう武器が使われるかは分かりませんが、第四次世界大戦では、おそらく石と棒が使われるでしょう」

2008年12月8日月曜日

世界は日本を見習って欲しいものだ!

 日本人は、ヒト様に迷惑かけない、戦争放棄、核兵器は持たず作らず、国民皆保険、堅実な経済?、終身雇用?、無駄を省く、創意工夫、省エネ、モッタイナイ精神、勤勉、真面目、努力、礼儀、作法、和、識字率、教養、歴史、独自の文化、芸術、思いやり、そしてーー

「なくせ クラスター爆弾」
 “第二の地雷”クラスター爆弾:大量の小さな爆弾を広い範囲にまき散らす兵器で、日本をふくむ75カ国が保有し、イラクやレバノンなど25カ国・地域で被害が報告されています。不発弾も多く、不意に爆発して子どもたちを死なせたり傷つけたりしています。クラスター爆弾をなくそうという動きが世界的に強まっています。そんななか、ひとつの良い動きがありました。

 
 クラスター爆弾禁止条約、各国代表が署名…来年後半にも発効へ

 【オスロ=大内佐紀】クラスター(集束)爆弾の事実上の全面禁止を定めた「クラスター爆弾条約(オスロ条約)」の署名式が3日、オスロ市庁舎で行われ、日本、アイルランドなどの代表が相次いで署名した。

 条約は、ほぼ全種類のクラスター爆弾の使用、開発、製造、保有、移転を禁じ、批准国には条約発効から8年以内に保有爆弾の廃棄を義務づけている。30か国の批准を経て、2009年後半にも発効する見通しだ。
 クラスター爆弾は、親爆弾から多数の子爆弾をまき散らす仕組み。条約により、アフガニスタンや旧ユーゴスラビアなどの紛争で、子どもを含む民間人にも多数の死傷者を出した同爆弾が、初めて規制される。

 中曽根外相は署名演説で、日本が、クラスター爆弾の被害を受けたカンボジアやラオスなどで被害者・復興支援に700万ドルを投入している実績を強調した。
 ノルウェー政府によれば約100か国が署名する意向を表明している。ただ、米国、ロシア、中国、イスラエル、韓国、北朝鮮などは参加していない。 (2008年12月3日21時04分 読売新聞)

 この実現には国際NGOの働きが大きかったと聞く。国連もかなり頼りにしているらしい。今後の日本人の活躍も期待しよう!世界を牽引すべく自信を持って進もう、ニッポン! 一歩一歩でいいから!

2008年12月5日金曜日

ジョーク三題

 *時差
 成田発ピョンヤン行きの飛行機はいよいよ着陸体勢に入った。機内アナウンスが流れる。 
 「まもなく当機はピョンヤン国際空港に到着いたします。
 なお、日本との時差は六十年と一時間でございます」


 *銀行の使い方(ユダヤ人の場合)
 立派な身なりをしたユダヤ人が銀行にやってきた。
 「実はお金を借りたいと思っているんだがーー」
 「それで、いくらぐらいご用立てしたらよろしいでしょうか?」
 「一ドルだ」「一ドルですか?」「そうだ、一ドルだ」
 「もちろん当行では一ドル以上、いくらまででも、担保さえあればお貸しすることになっていますがーー」

 「これが担保だが、どうだろうか?」ユダヤ人は株券や国債をカバンから取り出して、貸付係の机の上に並べた。「まあ、全部でだいたい50万ドルぐらいあるんだがな。これでいいだろうか?」
 「はい、もちろん結構です。しかし、一ドルですか?」
 「そうだ」一ドル札が出されて、ユダヤ人が受け取った。
 「では、金利は年6%ですから、6セントお払い下さい。1年後に一ドルお返しくだされば、この担保の証券類等をお返しすることになっております」
 「どうもありがとう」とユダヤ人は言って、一ドル札を丁寧に財布にしまうと、銀行から出て行こうとした。

 この会話を近くで聞いていた支店長は、50万ドルも持っている者がどうして一ドルを借りにきたのか不思議に思って、後を追ってたずねた。
 「あの、失礼ですが、――」「なんだね?」
 「どうしてお客様は、50万ドルもお持ちなのに、一ドルだけを借りにいらしたんでしょうか。我々は喜んで、3,40万ドルはご用立てできますが」

 「いやいや、そんな心配はいらない。ただ、ちょうどここへ来る前に金庫屋に行ってみたら、金庫がみな高いので、一番安い金庫を考えてみたら、とにかく1年6セントで、これだけ丈夫で立派な金庫が使わせてもらえることに気がついたのだ」


 *どっちが?
 ある時、フルシチョフが農村の養豚場を視察に訪れた。その翌日の新聞には大きな写真入りの記事が掲載され、その下にはこう書かれていた。
 「写真・豚とフルシチョフ(左から二番目)」

2008年12月4日木曜日

「モッタイナイ」精神

 S君の話を読んでいて、だんだん思い出してきた。そう言えば、S38年大学入学のころは、昼飯はぶどうパンと牛乳で確か13円、それも毎日食べられるわけではなかった。三食マトモニ食えるのは山に行ってる時だけだった。上野―札幌間学割り運賃が1213円だったかな(うろ覚え)?でも、本代はそれなりに使ってたと思う。

 ある日、友人Oと狸小路を歩いていて、いい匂いがしてくる、どうにも我慢できなくて鶏もも焼きを買い、大通り公園でゴージャスな気分で楽しんだことを今でも忘れない(秋田のO君覚えていますか?)。こんなことやってたので、頭にまで栄養が回らなかったのだろう。中味にもソト見にもーーー。
 当時いわゆる苦学生と言う意識は全くなかった。実際苦学生でもなかった。周囲を見てもそれが当たり前だった。その日暮らしの小銭に苦労する気持ちは、自宅通学生には分からなかっただろうな。自宅通学生だったワイフにこの話をすると笑われる。

 そうそう、また変なこと思い出した。まわりも温かかった。生協食堂でC定食だかなんだか、少し値の張るのを食べたいけど、ゲルピン。事情説明したら、レジのお姉さんが黙ってチケットくれた。後日不足分払った。
 いまや自慢話になってしまう!「モッタイナイ」精神を忘れないようにしましょう。本日は食に関するお話でした。

2008年12月3日水曜日

友人S君のブログより

 1958年に聖徳太子の肖像による初代の一万円札が発行されたらしい。いま流通している福沢諭吉さんモノは2004年からとのこと。
 現在、中国やマレーシアを拠点に、国際的活躍をしている大学時代からの友人で、かつ、大変几帳面なS君は半世紀前の物価を記憶/記録していた。生活に密着した貴重なデータであり、興味があったので以下引用させて貰いました。


(産経2008.12.1) 
 友人S君のブログより
 50年前の1958年とは、私が中学2年生で、この年の12月の暮れに、商店街の浜町の呉服店の家から現在の実家の若竹町に分家して引っ越した。そうか、この同年同月に我が家も引越しし、一万円札と同じ歴史をたどって来た訳である。この中国で、今は無き父とペナンで病院暮らしをしている老いた母を思い出している、ああ、この50年は ----- 、誰にも、物質にも歴史があるんだ ---- 。貨幣価値で記憶があるのは、記憶あるだけでも書いてみよう、孫娘に聞かせるために。

 - 子供の頃、50銭紙幣があり、これで駄菓子を買った。記憶が間違いでなければ、我が家は呉服商で割合裕福だったので、小遣いに毎日10円もらったような記憶がある。月300円であるから、当時としては価値があったと思う。あの当時の店員の給料が3000円と父に聞いた記憶がある。

 - 大学に入るために札幌に行く前夜、父が私にお前と弟の大学費用として100万円用意してあるから、金のことを心配せずに勉学に励めと強く言われたし、送金も毎月6 – 7000円であった。当時5000円あったら楽に暮せた。入学した1963年 ( S 38 ) の大学の入学金が1000円、授業料が年12000円で、幼稚園より安かった。
 大学院では、年額18000円で、その時の生活費は12000円位になっていた。父親の言う通り、アルバイトもしなかったが、勉学はあまり真面目でなく、寮生活で寮生とマージャン、酒飲み、ダべリング、読書等々の日々であった。
 当時の大学のクラーク会館の食堂の特別食は100円で、食べるとしても月に1回位。カレーライスが19円、A定食が30円、B定食が45円、C定食が60円だった。屋台のラーメンが50円だったし、ススキノの串カツ屋のコップ酒が100円したかなあ? 銭湯が11円から19円になり、卒業する時は20円台だったような記憶がする。いずれにしても、良き時代であった。

 - 1969年大学院卒業の初任給は、私の会社は33000円で、大卒が30000円だった。当時の物価を覚えていないが、初ボーナスは半月分の16000円位で、それで注文した登山靴を15000円で買ったら無くなった。この靴はオーダーでキチンと足型をとって私の足に合う登山靴を作ってくれ、これを30年以上はいて使った。

 - 今中国では、青島ビールの大瓶が4元 ( 60円 )、5 – 6人で6品の料理をお腹いっぱい食べて一人20元 ( 300円 )。安い、我が大学時代、入社時代を思い出す。

 - これを書いた後、と言ってももうビール2瓶飲んだけど、何となく屋台に行きたくて行ったが、ここ広東省も夜は寒くなったが、未だ屋台で飲めるし食べられる。一人でビール1瓶飲んで、椎茸の串焼と油揚げの串焼きと野菜の串焼きを食べてたったの6.5元は90円、止められないこの生活。

追加(2008.12.11)
 本日、本ブログでS君の実名で自己紹介文を掲載して欲しい旨、本人からの依頼があり、異例とは思いましたが、今回限りと言うことでご希望を入れて以下引用します。
 したがって、本ブロッガーは一切の責任は負えません。


ーーー
 2008年12月10日
  
        「 斎藤 正 」の自己紹介

* 学歴 :
   - 1963年 北海道大学に入学
   - 1969年 工学部応用化学科修士修了
                       
* 日本の電子部品製造会社での業務 : 30年半 ( 1969 / 04 ~ 1999 / 12末 )

1) 日本国内 :
製造技術開発、製造管理責任者、品質保証部門責任者、顧客やメーカー対応、
特に、品質保証体制の確立、顧客の品質監査 ( Audit ) 対応の責任者、メーカーの工場監査 等々

2) 海外勤務 :
   - USA : 2年間準駐在、技術課長
   - ペナン ( マレーシア ) : 7年駐在
1993 販売事務所開設し初代所長
1995 – 1997 製造会社初代社長 ( 上記の所長兼務 )
1997 – 1999 東南アジア販売会社社長
シンガポール、ペナン、マニラの3事務所を統括

l 1999年12月末希望退職 : 55歳 ( 生年月日 1944 / 11 / 23 現在 64歳 )

* 2000 / 09 ~ 2002 / 03 天津理工大学に中国語学習留学 : 二度目の青春時代を謳歌

* 2002 / 04 : 元の会社からの要請で復帰し、中国の蘇州工場を設立、副総経理
      
* 中国広東省東莞市の日系企業 : 副総経理  - 新工場移管業務、会社経営や管理 

* 中国広東省中山市の日系企業 : 顧問
  - 会社内管理体制の確立、ISO9001認定取得活動責任者等 、日本語教師希望で退職

* 2006 / 02 ~ 2007 / 07 天津理工大学 : 日本語教師 1年半
 - 管理学概論、ビジネス日本語、論文作成指導、就職指導 等々

* 2007 / 09 ~ 現在 : 中国広東省東莞市の中国人会社 時信電子有限公司 勤務
      役職名 : Marketing Director  ( 日本人一人、毎日英語と中国語 )

* 著書 :
    - 祖父から初孫へのプレゼント  : 2005年9月出版
    - 簡単な会社経営、会社管理方法 : 2009年中国で出版予定
        * 日本語、中国語併記の本 ( 後日、目次を紹介予定 )

* 1992年以降ずっと海外生活で、現在88歳の母、奥さん、息子がマレーシアのペナン在住

* モットー : 「 人生を楽しく みんなに感謝 あなたに感謝 」

2008年12月1日月曜日

教育

 早や今年も師走を迎えました。一方では、子育ても満足にしてないのに、ヒト様の子弟の教育なんぞとはおこがましいと言われてしまうかも知れないが、それはそれ、これはこれ、職業柄この教育の件はいつも気になっている課題です(10月21日社会貢献到達目標ともリンクします)。
 先ずは、アインシュタインの一言と日本の先達の例を幾つか集めてみました。


 *教師の最大の任務は、創造と知識とへのよろこびを目覚めさせることである。(アインシュタイン)

 *志なくして始めた学問は進めば進むほど、その弊は大きい。軽んずるばかりか、無識の者を惑わせるし、大事に臨んでは、進退を誤り、節操を欠き、権力と利欲に屈する。(吉田松陰)

 *人を育てる一番いい薬というのは、「お前は天才だ」というひと言なんです。(米長邦雄:日本将棋連盟会長)

 *努力だ。勉強だ。それが天才だ。(野口英世)

 *教養のないところに幸福なし。教養とは、まずハニカミを知ることなり。(太宰治)

 *アンテナをはれ! 勉強は楽しんでやるものだよ。(盛田昭夫)

 *人柄や能力は、子供のころの体験が大事。好奇心や冒険心を育てることが、豊かな人間を作るのだ。(井深 大)

 *試験勉強だけに血道をあげ、肝心の知識とか理論は学校を卒業すると同時に「ハイ、サヨナラ」では、社会に出て必ず困る時が来るのだ。社会に出て、いざ何かをやろうという段になると、私が基礎から勉強し直したいと思うように、必ずもう一度勉強したくなるものである。なぜかといえば、そこには情無用の厳しい競争が待っているからである。(本田宗一郎)

 *人間三〇、四〇の頃は、たかぶっていて、慢心するらしい。目が届かないのに、えらいものをつくったと信じ込む。実は恥をさらしているのである。だが、自分はいっこうに気づかない。といって、これを人が教えても、当人にはわからない。わかろうとしないからだ。(酒井田柿右衛門:陶芸家)