こんな記事が目に留まりました。
牧太郎の大きな声では言えないが…:入学試験は抽選で!
東京・柳橋で料亭を営んでいた母は個性的?で、学校から帰ると「勉強?勉強は自分のためだろう。自分のためなら隠れておやり。他人のために、嫌な仕事をするのが人間だよ!」と小学生の僕に下足番を命じた。
大嫌いな勉強をしなくて良いのだから大喜びだったが……6年生になったら、自分のためと思いつつ、つい「M大付属中を受けたい」と言い出してしまった。当時、M大は大学野球の雄。あこがれていた。担任の教諭が「大丈夫でしょう」とでも言ったのだろう。母のお許しが出た。
ペーパー試験はほとんどできた(つもりだった)。面接も校長が「栴檀(せんだん)は双葉より芳し、という言葉があるんだよ」と訳の分からないことを言ったが、まずは好意的。合格発表に母を連れていったのだが……モノの見事に不合格だった。
世の中、甘くない!
でも、普段、僕より成績が芳しくない友人が合格している。釈然としない。
でも、母は笑いながら「出来の悪い子供の方がセンセイにとっては教えがいがあるというものよ」。慰めなのか、激励なのか? 冗談なのか? ヘンなことを言う母だった。
でも、最近になって、母の言い分が分かるような気がする。教育は「出来の悪い生徒」にこそ与えられるものではないか?と思うようになった。
相変わらずの受験地獄。その一方で分数が分からない大学生までいる。
入学試験で「出来の良い生徒」ばかり集めて「並の卒業生」を送り出す……一流大学の仕事は実に簡単ではないか? ハッキリ言わせてもらえば、入学試験は大学と教授を楽にするのが目的ではないか?
大学入試は抽選にすべきだ。商店街の福引で使う「新井式回転抽選器」を使ってガラガラガラポン。赤い玉が出たら合格!で良いじゃないか? その代わり、厳しい授業を徹底し、出来の悪い学生は何年でも留年させる。これぞ「教えがい」がある教育じゃないか。
この国には「大学入試に成功すればバラ色の人生」という誤解がある。実は大学入試でチカラを使い果たし、社会に出てから何の役にも立たない一流大卒も多いのだが……世間は「入学試験が難しいのが一流!」と誤解している。
こんな誤解があるからネット・カンニングまで起きる。出来の良い子供の父母も、出来の悪い子の父母も同じ納税者。抽選で「教育を受ける平等」を確保すべきだ。(専門編集委員)
毎日新聞 2011年3月8日 東京夕刊
0 件のコメント:
コメントを投稿