2011年12月19日月曜日

フラメンコ

フラメンコ  
 日本のフラメンコ愛好家人口は5万人とも言われ、スペインに次ぐフラメンコ好きな国として世界中から認められているそうです。
 例によってひょんなきっかけから、そんなフラメンコの歌とギターと踊りを愉しむ機会が与えられ、いつものようにノコノコ出かけました。

 以下この芸能について、主にhttp://www.anif.jp/ctt_anif_hajimete.htmから引用して見ます。
 フラメンコ(Flamenco)誕生の歴史は意外と浅く、19世紀初頭とも言われる。踊りがもっぱら中心的にとらえられるフラメンコも、あらゆる民族音楽と同様に、歌(カンテcante)がその発祥の根を作ったと言われています。
 歴史的には、仲間内の喜びや悲しみの吟じ合いからおのずとリズムと旋律が生まれ、ギター(guitarra)という身近でプリミティブな楽器が加わり、興がのれば男も女も踊りだし・・・やがて洗練、形式化されていき、カフェ・カンタンテと呼ばれる定期的にフラメンコが上演される飲食店が出現し、その後、同様の飲食店であるタブラオが、さらには劇場公演やフェスティバルもフラメンコ上演の重要な場となっていった。発達した形をもったフラメンコはやがて、スペイン固有の芸能として大きく発展をとげました。多くの歴史に残るアーティストがうまれたのが黄金期ともいわれる20世紀前半のことです。

 激しいステップ、掻き鳴らされるギター、ふりしぼるような、東洋的旋律の歌・・・なぜか日本人の琴線に鋭く触れてくるフラメンコという芸能は、スペイン南部、アンダルシアで生まれました。強い光と陰、一面のひまわり畑に青い空、闘牛そしてフラメンコ。ヨーロッパに属しながらアラブの影響を色濃く残すアンダルシアの風土・文化は、外国人にとってスペインという国のイメージそのものと言えるでしょう。

 フラメンコは、インドを起源として西に流れてきたロマ族(ジプシー=スペイン語でヒターノ/gitano)、スペインにかつて君臨したアラブ系民族、そして在来のアンダルシア人達の民族芸能が融合してできた、ある意味とてもユニバーサルな芸術です。

 また、テレビ普及の時代と相まってカンテのカマロン・デ・ラ・イスラやギターのパコ・デ・ルシアなどの革命的アーティストが出現、フラメンコの認知度は世界的に広がりました。さらに、バイレ(舞踊)を中心に舞台芸術としてあらたな発展をとげようとしているのが現代のフラメンコと言えるでしょう。
 インターネットの普及により、フラメンコは近年、身近なワールドミュージック、ダンス芸術としてその存在を認められつつあります。スペインのフラメンコも、年々変貌をとげています。
 しかし今もなお、家族や仲間同士でテーブルを囲んで、歌い、奏で、踊りながら楽しむという原初の喜びが、この芸能の根幹を支えていることに間違いはありません。

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