2011年6月1日水曜日

日本橋

日本橋
 現在の日本橋は1911年(明治44年)4月3日、東京都中央区の日本橋川の上に架けられた19代目の橋である。 石造二連アーチ橋。橋長49m、幅27m、設計米本晋一、装飾様式妻木頼黄、装飾制作渡辺長男。


 初代は1603年(慶長8年) 徳川家康の全国道路網整備計画に際し、木造橋が架けられた(北側部分を原寸で復元したものが江戸東京博物館に展示されている)。翌年五街道の基点となる。以降、江戸の中で最も賑わう場所として、浮世絵による風景画に描かれることが多くなる。
 1657年(明暦3年)の明暦の大火により全焼。江戸は火事が多く、日本橋は江戸幕府成立から幕末に至るまでの間に幾度も焼け落ちている。1944年(昭和19年)3月10日 東京大空襲。現在も焼夷弾跡が残る。高速がうっとうしい

 戦前の道路法では、各市町村に道路の始点となる道路元標の設置を義務付けていた。その場所は概して市役所や県庁などとされていたが、首都たる東京市は江戸時代を踏襲して日本橋を道路元標とした。現行の道路法では道路元標に関する規定は無いが今日でも橋の中央には「日本国道路元標」の文字が埋め込まれている。橋の袂(たもと)にレプリカが展示されている。

 現在の日本橋(第19代)は1999年(平成11年)5月13日、国の重要文化財(建造物)に指定された。しかし首都高速道路に覆われてしまっている現状から都市景観の在り方を含め、さまざまな方面から意見が交わされている。2006年(平成18年)には有識者会議である「日本橋川に空を取り戻す会(日本橋みち会議)」が、首都高速道路を地下に移設して周辺を親水公園などに造り変えるという再開発構想をまとめた。小泉純一郎首相(当時)もこの構想を後押しする発言をしているが5000億円といった莫大な費用が見込まれることもあり、石原慎太郎都知事は反対を表明している。

 蛇足ながら1999年(平成11年)以降、箱根駅伝の第10区はコースを日本橋経由へ変更している。これは日本橋周辺の商工会からの要請であると同時に、東海道の始点である日本橋を通るということが箱根駅伝のクライマックスを飾るに相応しいと判断されたからである。

 このように見てくると、東京オリンピックを機に高速道路が架けられ、あちこちでかつての趣ある景観が犠牲になったことが、悔やまれる一面を示している。都市工学の出番が期待されているように思われる。

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