2011年6月7日火曜日

古典

古典
 過去150年ぐらいの作家や作曲家の作品が古典と呼ばれる日が来るのだろうか。内容と価値と普遍性と独自性?認知されるまでに何年必要なのだろう。シェークスピアは合格か?漱石、鴎外は、デュマは、ゲーテは、雅楽は、果てまたビートルズは?

 例によって広辞苑の定義を見てみると:昔、書かれ、今も読み継がれる書物。転じて、いつの世にも読まれるべき、価値・評価の高い書物。音楽についても、広義には、民俗音楽・大衆音楽に対して芸術音楽一般をいう。クラシック音楽。 ――とある。これではまるで官僚の答弁のようだ。

 古代中国における「古典」とは、単なる古い書物を意味するのではなく、そこに書かれている「礼」(儀式の手順・方式)を意味する言葉であった。早い時期の使用例としては春秋左伝の注や後漢書儒子伝のものなどがある。やがて四書五経など中国古代の聖人たちの著作を示す言葉になり、時代とともにその指し示す範囲が広がってきた。

 日本における「古典」という語の早い時期の用例としては「太平記」に出てくるものがあり、そこでは中国の古典を指している。その後も日本での「古典」とは中国における「古典」と同じ「四書五経」をはじめとする古代中国の聖賢たちの書物を指す言葉として使われており、日本国内で日本人によって著された作品を指すことは無かった。源氏物語などはすでに平安時代末期には歌作において「源氏見ざる歌詠み遺恨の事なり」などとして現代的な意味での古典に類する地位を与えられていたが、これら日本の作品が「古典」と称されることは無かった。

 江戸時代に生じた日本の歴史と伝統を重んじた国学では、古事記など日本の伝統の尊重という観点から重要視すべき書物を指すときには、「古典」という漢語を避けてもっぱら「ふるきふみ」や「ふることぶみ」などといった和語的な表現を使用しており、明治時代以降はこれらの「日本の古典」に対してしばしば「国典」という表現を使用している。

 英語の「クラシック」(classicかclassicalかを問わずクラシックと音訳されたりすることもある)及び西欧諸語における「クラシック」と同じ意味の言葉は、すべてラテン語に由来している。もともとは「クラス」(階級)を意味した言葉がさまざまな言語において普遍的に見られる意味の転化により「最上の階級」を意味する言葉になったと考えられている。早い時期の使用例としては西暦130年ころ、ラテン語の著作で古典ギリシャ時代の賢人たちの著作をさして用いられている。
 その後も「クラシック」という語は主として古代ギリシャ・ローマ時代の作品に対して用いられてきており、明治時代の英和辞典でも「主としてギリシャ・ローマ時代の名著に用い、それ以外のものに使うこともある。」とされている。

 明治時代以降の日本語における「古典」とは、上記のような中国語の「古典」と欧米語の「クラシック」という、そもそもの由来も指し示す範囲も異なるものの、類似した性格を持った二つの言葉・概念を融合させたものであると云う。(以上主にウィキペディアから)

ジャンルごとに種々の考え方がありそうだが、ひとまずオーソドックス編。

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