風呂の歴史:海外編4
乗り掛かった船、しつこく長々とまだまだ続けます。世界一周します。今回はアメリカ大陸編。先住民の風呂です。
4)アメリカ大陸の風呂
エスキモーのほとんどは風呂を持っていた。それは半地下型の家で、屋根は土で覆われていた。入り口は一つで、その部屋にもぐりこむように、穴道がついている。屋根に小さな穴があけられており、煙り出しになっている。人々はその上のベンチに座ったり、寝たりする「カシム」という家である。カシムは風呂専用というのではなく、既婚未婚の男性用の住居であり、儀礼用の家でもある。風呂として用いるのは、機能の一つに過ぎない。
しかも風呂は日常的に入るのではなく、何かの儀礼のあるときに集まり、その10日前から女性を遠ざける。風呂を立てる当日、男性は踊りかつ歌う。夕方になると囲炉裏の火も大きくなり、部屋の温度も急上昇し、男たちは汗だくになる。
いわば発汗浴である。十分に汗をかいた後、雪の中を転げまわったり、冷たい水の中に飛び込んだりする。
同じエスキモーでも、ベーリング海に住むエスキモーは少し違っていて、尿を入れた桶を用意する。風呂は冬の間の7~10日に一度たてられる。火が十分に燃えて灰になり、煙だしから煙が出て行った後、煙穴をふさぎ、息もたえだえになるまで部屋の中にこもる。
たっぷり汗をかいた後、桶の尿をかけ油を塗りつける。その後は体がよく冷えるまで、雪の中にうづくまったり、冷たい水の中に入ったりする。「汚いなァー」と思うのは、文化の違いであり、シベリアの一部では尿で顔を洗ったり飲んだりする人もいたそうである。
以上、エスキモーの風呂は、閉め切った部屋の中で火を焚き汗をかく直下型熱気浴である。男だけの儀礼用の風呂であり我慢の風呂であるが、その後の開放感を十二分に楽しんでいる。これこそ風呂の原型なのである。
(日本のサウナ風呂に似ている?とするとサウナ風呂も水風呂も最新の設備でなく、原始的な風呂なのか?)
この形式の風呂はカリフォルニア州、さらにメキシコ州のプエブロインディアンなど太平洋沿岸部に分布していた。カリフォルニアに住む一族は、風呂は病気の治療にも用いた。汗をいっぱいかいてから、皮膚を鋭い木片などで掻き擦る。そして外に出て川や池に飛び込む。こうすることによってどんな病気も治ると信じられていた。
直下型の熱気浴は、ニュー・メキシコ州を中心とした高原地帯に住むプエブロ・インディアンでも見られる。風呂に用いられる家をキバという。エスキモーと同様に、この家は風呂専用ではない。本来儀礼用の家で、地上に石を積んで作った穴蔵のようなものである。入口は上部に付いていて、はしごで屋根の上に登り、はしごを伝って中に入る。キバの中には壁の近くに囲炉裏がきられている。ここで火を焚き、エスキモ-と同様に汗をかくことになる。
オレゴン州とカリフォルニア州との州境あたりに住むモドック族では、半地下型の家に居住しているが、風呂に用いる施設は、数人が座れるだけの小さなドーム状のテントを用いる。木を地面に刺して、ドーム状の骨組みを作りバッファローの皮をかぶせたもので、テントの外で焼いた石を持ち込み、それに水をかけ水蒸気を出させる。葬儀の後の浄めのためだけに用いられた特殊な風呂である。
東部山岳地帯のアレゲニー山脈あたりのチェロキー族では風呂をたてる家をアシという。半地下型の家でかなり大きい。中央に囲炉裏があり、壁に沿って周りに棚がしつらえてあり、そこに座ったり寝そべったりりする。アシは冬の間の男達の寝所であり儀礼が行われる家でもある。
囲炉裏に石を入れて焼き、その石を火から取り出し、アメリカボウフウの根をたたきつぶして水に浸したものをふりかける。その根から刺すような香りがたち、一方で水蒸気が舞い上がり汗だくになり、その後川に飛び込むのである。 狩人の訓練中の少年達は、アメリカボウフウの根を用いた風呂には入れず、水蒸気だけの風呂に入っていた。
また、病気治療のための特別の風呂もあった。例えば腹が膨れあがるような病気の時は必ず石英の石を焼いて特別の薬をまいた。それはアメリカハンノキ、カキの一種、チョウクチェリー、アメリカスズカケノキ、ユリノキ、キモクレンの樹皮を用いた。アシでは儀礼を受けた男達だけが、シャーマンより種々の神話や秘密の知識を聞く家でもある。
このアシはアメリカ独立後も続いていたが、白人の影響を受けて文化変容を起こし、やがてジャガイモの貯蔵庫になり、ついには消滅してしまった。
アメリカ合衆国の西南部に住むナバホ族は、風呂をタックアチェという。針葉樹の割板を立てかけるようにして小屋をつくり、土をかぶせて密閉し、土饅頭のような形にする。3~4人がかろうじて入れる狭さである。
小屋のすぐ近くで石を焼き小屋の中に運んで、入口を毛布などで塞ぐ。セイヨウスギやマツの葉を焼け石の上に置いて水を注いで蒸気を発生させる。タックアチェは神を呼ぶための風呂であり、また蒸気を吸うことによって体を強め、あるいは病気を治療する。さらに狩りに出る前に人の匂いを消すためにも用いられる。
今のアイダホ州やワシントン州の保留地あたりに住むネッツ・パース族は、冷水浴、熱湯浴、発汗浴の三つの風呂を持っていた。冷水浴は、晩秋から初春にかけての寒い時期に、しかも毎朝夜明け前に起き出して川で行われる。これは若い男たちが身体を強くするための風呂である。冷水浴は傷ついた靱帯の回復に効くと考えられていたし、冷水に耐えるのが男らしさの証明でもあった。
熱湯浴は、川のかたわらに穴を掘り焼き石を放り込んで熱湯にするという方法がとられた。早朝に入るため朝の2時頃から火が焚かれる。川に入って出来るだけ体を冷やした後に入る。あまり長時間入ることが出来ないほどの熱湯である。
発汗浴には、半地下型の家、枝を組み合わせたドーム状の小屋に土をかぶせたもの、皮をかぶせたテント状のものがあり、いずれも焼き石を中に運び熱湯をかけるという発汗装置である。
興味深いのは、熱湯浴や発汗浴のとき、吐き棒なるものを用いたことである。バイカウツギやコウリヤナギなどのやわらかい枝をゆっくりと口から胃に達するまで入れて、胃の中のものを吐かせまた風呂に入るということをするのである。
冷水浴が若い男を強くするためのものであるのに対して、浄めの要素が強い。体を浄めることによって、危険な行為に幸運をもたらすと考えられた。例えば、敵の領地を通過するときや、賭け事、馬を盗むこと、狩り、戦い、裁判などで幸運をもたらす。たえず熱湯浴を用いていると、どれほど走っても疲れないし、馬よりも速く走れ、鹿をも追い抜くといわれた。(http://www6.ocn.ne.jp/~osaka268/rekisinonagare.htm)
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