2009年6月21日日曜日

「心の働きと頭の働き」―― 一考察

 「心の働きと頭の働き」―― 一考察
 自分のうちにあって自由になるものと、自分の力のうちになくて自由にならぬものを峻別する必要がある。つまりは自分の権能下にないものは自由にならぬという点では、現代のサラリーマンもローマ時代の奴隷も変わらぬことになる。
 固より、社会を相手に何かをする時に要求されるのは頭の働きである。
 一方、人間がひとり自然の中にあってその声を聴くことや、自分の内なる声に耳を傾けることで、心の声に従うことが自由となる。因みに、子供の時はまだ社会がなく自然だけがあって、自然の声を聴いてハートだけの生き方をする。
 したがって、ヒトが己に会うとは頭の働きではなく、心の働きに属する事柄となる。

 わが国にはある年齢になったら引退し、隠居し、もとの己れひとりに戻って、天地自然の中で優游と暮らすのをよしとする文化の伝統があった。そして世の中もそういう人を隠士として尊敬し、崇めた。それは、東洋人が理想としてきた心身永閑(しんじんえいかん)の生き方であり、「今ココに生きる」を貫くを由とする。

 つまり人は「閑」のなかでのみ真に自分の人生を生きることができる。「閑」という常態に身を置くときだけ、人は全体としての自分を取り戻す。
 人の生涯はそれぞれの年齢に固有のよさ、魅力があり、世に閑雅なる老境にもましてよろこばしいものは何ひとつないのである。
 (まだまだとてもこんな心境にはなれませんが、主に中野孝次を参考)

 こう見てくると、還暦、赤いちゃんちゃんこ等には深い意味がありそう

 さらにーー
 *新しい服を買うために一日十五時間働くくらいなら、穴のあいた服を着ているほうがましだ(スタンダール)

 *実際多忙な人にかぎって、生きること、すなわち良く生きることが最も稀である

 *万人のうちで、英知に専念する者のみが、暇のある人であり、このような者のみが生きていると言うべきである

 *老年が青春を演じようとするときにのみ、老年は卑しいものとなる(ヘッセ)

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