2009年9月2日水曜日

日本の知財の行方

興味ある方は多くはないかも知れませんが、知財に関する新しい動きが出ていましたので、長くなりますが以下引用します。

高野誠司氏 NRIサイバーパテント社長・弁理士
第61回 仮特許出願制度~学術研究を産業技術に結び付ける保護手続き~(2009/09/01)
 今年の6月、東京大学と京都大学が合同で次世代の特許制度に関する国際シンポジウムを開催した。東京大学のホームページ上のシンポジウム報告資料や、その後に発表された「15の共同提言」のなかに、仮出願制度創設についての提言が記載されている。

 仮出願制度は、米国などで採用されている制度で、研究論文などを流用した書類を前もって提出(仮出願)すれば、後に正式な特許出願をした際に仮出願日に遡って新規性などを審査する制度である。つまり、論文発表直前に出願日を確保することができる制度だ。
 特許が気になりつつも学会発表を主な活躍の場としてきた大学研究者にとっては、待ち望んでいた制度にちがいない。この制度があれば、時間やコストがかかる特許出願のことを後回しにして、研究成果をいち早く論文にまとめることに集中できる。
 仮出願制度を利用すれば、第50回コラムの副題に記載したような「論文か特許か、名誉か権利か」といった択一ではなく、論文と特許を連続した流れとして、名誉と権利を両立させることができるのだ。
 今回のコラムでは、仮出願制度について、米国の運用状況や日本の関連制度などを解説し、制度創設のあり方について言及したい。

米国の仮出願制度
 米国の仮出願制度(米国特許法111条(b))の歴史はまだ浅く、1995年からの導入である。カナダにも同様の制度があるが、ここでは米国の例を用いて仮出願制度について解説する。
 仮出願制度は、通常の出願より簡便な記載要件を満たした書類を前もって提出(仮出願)し、1年以内にクレーム(保護を求める範囲)等の書式を整え正式な特許出願をすれば、新規性などの特許要件について仮出願日を基準に取り扱う制度である。
 仮出願そのものは審査対象ではなく出願公開の対象でもない。あくまでも正式な出願をしなければ特許を取得することはできない。期限内に正式な出願がない場合には、仮出願に伴う権利は放棄されたものとみなされる。
仮出願時の手続きは、通常の米国特許出願と異なり、宣誓書やIDS(情報開示陳述書)は不要で、英語以外の言語で仮出願することも可能である。ただし、正式な出願をする際には、所定期間内に仮出願書類の英訳文を提出する必要がある。

 この制度で少々興味深いのは、特許要件の判断については先の仮出願日が基準になるが、権利期間(特許出願日から20年)の起算日については、後の正式な出願日が起算日になる点である。つまり、仮出願日を起点に考えると権利の存続期間が最大で1年間延長できるのだ。
 この様な延長効果は、日本の国内優先権(後述)制度でも享受できるが、簡易な手続きで低コスト(米国の仮出願手続きは米国の通常の出願手続きより安価)で享受できる点において、仮出願制度は魅力的である。

 米国での仮出願制度の利用率について公的なデータがないため正確な値は分からないが、全出願の2割程度が仮出願経由と推察される。米国の大学では、積極的にこの制度を利用しているところも多い(マサチューセッツ工科大学など)。

日本国内の関連制度
 学会発表などに使用された学術論文から特許出願につなげる制度としては、新規性喪失の例外規定がある(特許法30条)。
 新規性喪失の例外規定とは、発明を自ら公開等して、その後に特許出願した場合には、一定条件の下、その発明の新規性が喪失しないものとして取り扱う規定である。学会発表などに対して、特許出願まで猶予期間(海外ではグレースピリオドと呼ばれる)が与えられるのだ。
 日本の特許法では、この期間が6カ月と規定されているが、米国の同様の規定では1年間認められる(米国特許法102条)。新規性喪失の手当てに関しては、日本より米国のほうが手厚い保護になっている。
 また、後から出願をし直すための猶予期間が得られる制度としては、国内優先権制度がある(特許法41条)。

 国内優先権制度とは、先の国内出願書類に記載した発明について優先権を主張し再出願できる制度である。たとえば、先に出願した発明に後から改良発明を加え、優先権を主張して出願した場合に、先に出願した発明については特許審査等の際に先の出願時を基準に取り扱われる。
 関係する一連の発明について包括的な権利取得を可能にするために便宜を図った制度で、1985年の特許法改正によって創設された。
 既存の新規性喪失の例外規定と国内優先権制度と、導入が検討されている仮出願制度との関係を下表にまとめた。仮出願制度については、米国と同等の制度が日本で採用されたと仮定して比較してみた。

仮出願制度・新規性喪失の例外規定・国内優先権制度の比較
仮出願制度 新規性喪失の
例外規定
(特許法30条) 国内優先権制度
(特許法41条)
発表者と出願人の関係 仮出願人と正式出願人が同一 意に反する第三者の発表等についても適用 先の出願人と後の出願人が同一
出願までの猶予 1年 発表後6ヶ月 1年
審査基準日時 仮出願日時 実際の出願日時(新規性判断について特例) 先の出願日時
審査開始契機 正式出願後に審査請求 審査請求 後の出願後に審査請求
出願手続き 仮出願:簡易な出願、
正式出願:通常の出願+所定の手続き 通常の出願+所定の手続き 先の出願:通常の出願
後の出願:通常の出願+所定の手続き
大雑把なコスト 通常の1.3回分相当 通常1回分と大差なし 通常の2回分相当
権利存続期間 実質1年延長効果あり 延長効果なし 実質1年延長効果あり

米国の仮出願制度創設の背景
 仮出願制度について考える際に、特許法を多少勉強した者であれば、 論文発表など学術研究保護という共通性から、まず新規性喪失の例外規定との関係が頭に浮かぶのではなかろうか。実際に、仮出願制度についてインターネット 上で検索してみると、新規性喪失の例外規定について触れているページが散見される。
 しかし、上表にある通り、実は、国内優先権制度が仮出願制度と酷似しており、密接な関係にある。各々の制度の建前上の目的は、前者は改良発明などの包括的な保護であり、後者は研究に関する早期・簡易・安価な保護であるが、制度創設の本質的背景は共通する。
  すなわち、パリ条約が関係するのだ。日本や米国など先進国をはじめ約170カ国が加盟するパリ条約には、優先権の規定がある(パリ条約4条)。いずれかの 同盟国で出願した後、一定期間内(特許は1年)に同一発明を他の同盟国に出願すれば、最初の同盟国への出願日と同等に扱う規定である(第27回参照)。国 内優先権と区別するため、「パリ優先権」と呼ばれることが多い。

 外国人(同盟国民)は、自国で出願して国境を越える際に、パリ優先権を行 使することで、1年間の出願猶予を得ることができるうえに、権利期間は各国での出願日が起算日となるため実質的に1年延長できる。パリ優先権によって各同 盟国では外国人が優遇され、内国民との間で不公平が生じることになった。そこで、日本などは国民に同等の権利を与えるため国内優先権を導入して不均衡を是 正し、米国は仮出願制度によって対処したのである。

日本が知財立国を目指すうえで制度間調整が重要
 新聞報道などによれば、特許庁は仮出願制度について2011年度の導入をめざして検討に入ったようだ。基礎的な研究成果の保護、特にライフサイエンスなど一刻も早い論文発表が世界での覇権争いになる分野では、即効性のある制度として検討・導入の価値は十分にあると思う。
  有識者のなかには仮出願制度を、iPS細胞を用いた再生医療(第45回参照)など注目を浴びている基礎研究の緊急退避的な制度と考えている者も居るようだ が、戦略的仮予約の制度と考えた方が前向きである。そして、特許法の単なる一制度などと局所的に考えない方がよい。他の既存制度との棲み分け(すみわけ) が重要になる。

 仮出願制度の検討にあたっては、国内優先権制度や新規性喪失の例外規定の制度趣旨を整理し、必要によってはこれらの制度見 直しとセットで導入すべきである。また、手続きの設計や費用(印紙代)の設定によって、利用率が変動するため、運用面についても慎重な検討が必要である。

 きちんと機能すれば、簡易な手続きで時期的な優遇を受けられるため、大学などの研究機関では大いに活用されることが期待される。また、仮出願費用が安価であれば、企業においてもコスト面から正式出願の判断期間を確保するための手段として活用が見込まれる。
 そして何より、日本が知財立国をめざす上では、単に手続面で利用しやすい制度を整備し出願件数を増やすだけでなく、学術研究を産業技術に結び付けるべく、特許後に権利を活用しやすくする制度を同時に考えるなど、特許法全体を意識した制度設計が肝要である。
(日経 2009.9.2)

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