「大和」特攻、若者案じて退艦させた司令長官
*戦艦「大和」と運命をともにした伊藤整一(今澤さん提供)
第2次世界大戦末、戦艦「大和」と運命をともにした旧日本海軍の第2艦隊司令長官、伊藤整一の人生が再評価されている。
沖縄出撃を命じられた直後の1945年4月、同艦など2隻に乗り組んだ若者73人の未来を案じ退艦させた人物だ。戦後70年の今年、出身地の福岡県みやま市で市主催の初の追悼式典が行われたほか、極限下で若い命を救おうとした生き方を振り返る動きが広まっている。
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「戦後、当時の軍幹部に対する評価は厳しいものになった。しかし、伊藤大将の卓越した指導力や高い志は私たち郷土の誇りです」 6月28日、同市のホールで行われた没後70年平和祈念式典。約200人が参加し、西原親ちかし市長は語った。
米駐在経験がある伊藤は日米開戦に慎重だったが、開戦前後から軍中枢で戦争遂行に関わった。真珠湾攻撃後の優勢から一転、ミッドウェー、マリアナ沖海戦など敗北が続く中、44年12月、大和などからなる第2艦隊司令長官に就いた。2015年08月07日
15時36分 読売
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