2012年11月8日木曜日

ノーベル平和賞


物議を醸した受賞例
オバマの再選が決まったが、思い起こされるのは彼の平和賞だ。いろいろと物議をかもしだすこの賞についてWikipediaから抜粋してみた。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%B3%9E) 
ノーベル平和賞はその性質上、他のノーベル各賞に比して政治色が格段に強い。科学三賞(医学・物理・化学)や経済賞などの場合は業績に対し、ある程度客観的な評価と期間を経て選考決定されるが、平和賞は現在進行形の事柄に関わる人物も受賞対象になり、選考委員による主観的評価(毎年選考に向け、ロビー活動も政治行動も多くある)にならざるをえないため、選考結果を巡って世界中でたびたび論議が起こる。以下の事例も見ても判るが、ノルウェー外交による政治アピールの側面も有るといえる。

2009年には、アメリカのバラク・オバマ大統領が、プラハでの「核なき世界」演説に代表される核軍縮政策の呼びかけなどを理由に受賞したが、就任1年目で実績が乏しい段階での授与だったために「時期尚早ではないか」との論議が巻き起こった。平和賞推薦の締め切りがオバマ大統領就任のわずか12日後だったことも驚きに拍車をかける事となった。

2012年には、欧州の平和と和解への長年の貢献を評価したとして欧州連合が受賞。しかし評価する声もある一方、ユーロ問題の影響が強い中での受賞に、中国新華社では「平和賞の名声損なう」、チェコのクラウス大統領は「悲劇的な過ち」、ロシア人権活動家リュドミラ・アレクセーエワが「正しいとはいえない」、イランのナガヴィー・ホセイニー報道官が「政治的に利用されるための道具となっている」など、極めて政治的だとの批判も多い。

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オシエツキー1935年)やサハロフ1975年)、アウンサンスーチー1991年)、劉暁波2010年)などのように、母国で政治犯とされている人物への授与は、やはり当事国政府から強い反発を引き起こしている。オシエツキーへの授与では、彼に対する平和賞をナチズム批判の明確な意図があるとして、ヒトラー政権はその後ドイツ人がノーベル賞を受け取ることを禁止し代わりに「ドイツ芸術科学国家賞」を創設した。劉暁波への授与では、中華人民共和国政府はノーベル平和賞に対抗する形で「孔子平和賞」を創設した。

*受賞者が政治犯として当事国に拘束されていたり、出国が認められなかった場合には、本人が授賞式に出席できないケースもたびたびある。サハロフとワレサ1983年)の場合は妻、アウンサンスーチーの場合は、夫と息子が(ミャンマー国外在住で)代理出席したが、オシエツキーの場合は代理出席した弁護士が賞金のみを受け取り横領した。劉暁波の場合は家族の代理出席も出来なかった(妻の出国を政府当局が認めなかったため)。

*「非核三原則」を提唱したことを持って、1974年に受賞した佐藤栄作の場合、後に有事の際の「核持ち込み」に関する密約が、日米間で結ばれていたことが明るみになった(日米核持ち込み問題)。また、南北首脳会談開催を理由に2000年に受賞した金大中の場合は、後に北朝鮮への多額の不正送金疑惑が発覚し、韓国国内からは「金で買ったノーベル賞」との批判が巻き起こった。いずれも、受賞当時には知られていなかった事実が明るみになることで、平和賞受賞者としてふさわしかったのかという議論が今日でも続いているケースである。

1973年には、ベトナム和平協定調印を理由に、アメリカのヘンリー・キッシンジャーと北ベトナムのレ・ドク・トが共同受賞したが、キッシンジャーへの授与に対しては、ノーベル平和賞委員会の中でも激しい議論が巻き起こり、反対した2人の委員が抗議のため辞任するほどだった。平和賞の受賞主体であるノルウェー政府は激しい世論の批判にさらされ、当時の国王オラフ5世が、首都オスロの路上で雪玉を投げ付けられる事件まで起きた。また、レ・ドク・トは受賞を辞退した。その後、北ベトナムは和平協定を破って南ベトナムへの攻撃を再開し、1975年にはベトナム全土を武力統一した。

1994年には、パレスチナ和平合意締結を理由に、イスラエルのイツハク・ラビン首相とシモン・ペレス外相、パレスチナ解放機構PLO)のヤーセル・アラファト議長が共同受賞したが、パレスチナの平和は続かず、やがて武力紛争が再開された。

2000年には、南北首脳会談を実現させたことが評価され、韓国の金大中大統領(当時)が受賞したが、金大中政権が発足当時からノーベル平和賞受賞のために組織的な「工作」を行っていたことや、北朝鮮に5億ドルを不法送金していたことが、後年アメリカに政治亡命した韓国国家安全企画部(現・国家情報院)の元職員によって暴露され、物議を醸している。

2002年には、アメリカのジミー・カーター元大統領が受賞した。当時アメリカが行おうとしていたイラク戦争に対して、ヨーロッパとりわけ北欧諸国は反対の立場をとっており、カーターの受賞はカーターが北欧同様にイラク攻撃に懐疑的であったことによると考えられている。また2005年に受賞したエジプトのモハメド・エルバラダイは、イラク戦争を契機にアメリカに対して批判的態度をとっており、この受賞もブッシュ政権への批判であると指摘されている。

*2007年には、環境問題提起によるアメリカの元副大統領のアル・ゴアへの受賞も、上記と同じように政治的な意味合いが強かったのではないかとされている。2000年の大統領選挙は、ゴア対ブッシュとなり後者の勝利が決定に至るまで、紆余曲折(ブッシュ対ゴア事件参照)があった事は周知の事実である。また、同じく候補だったイレーナ・センドラー(ポーランドのシンドラーとも呼ばれる反ホロコーストレジスタンスの活動家)の方が平和賞の趣旨に沿った活動を行っており、より相応しかったのではないかと言う批判も根強かった。

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