2009年7月2日木曜日

QOL

Milan Italy, The Galleria
スカラ座
 QOL
 日常生活におけるQOLは、病に伏す人のそれとは別に、国民性の指標、価値観の反映に関わる。かつて、イタリアという国で国民性とローマ帝国以来の歴史の重みを感じ、垣間見ることになった。
 イタリアを訪れる前は、地中海気候、オリーブ、ピッツァやワイン、どこかいい加減で、オチャラけた国、遺跡で観光客を集める国という程度の乏しい知識・印象しかなかった。

 もはやふた昔近く前のお話になるが(ローマ帝国の歴史から見れば一瞬にもならぬ?)エンリコは大きな研究所の若手リーダーのひとりであり、いくつかの権威ある賞を授与され、当時まさに伸び盛りの期待の星と見えた。事実、広い研究所内を歩いていても、老若男女みんなから注目され、大変な人気者であった。
 ある日、そのエンリコの家に呼ばれてディナーを御馳走になった。いろいろな話を通して、彼らの考え方や生活の質の違いを思い知らされた。

 自分の趣味の時間や家族と過ごす時間を大切にするため、夜7時以降仕事に時間を費やすことはない。ミラノに居住することもあってか、オペラチケットが売り出される時期、誰の主演のどのチケットが取れた・取れないで大騒ぎ。
 海沿いと山あいに別荘を持ち、毎年とる長期休暇には、どんなことがあっても一族が集わないといけない(若いうちはこれが窮屈だったそうだが)等々。

 だから、高い失業率、アリタリアがつぶれたりするんだよ――なんて毒づきたくもなるけど、勝手に抱いていた日本の優位性に疑問をもち、QOLの違いを思ったものだ。    

 そこで――
 それぞれの幸福
 イギリス人の幸福とは、うまいブラックジョークがきまったとき。
 ドイツ人の幸福とは、計画通りに物事が運んだとき。
 イタリア人の幸福とは、愛人とパスタを食べながらサッカーを見ているとき。
 スペイン人の幸福とは、美味いものを食べてのんびり昼寝しているとき。
 日本人の幸福とは、食事をさっさと終えて再び働き始めたとき。
 ソ連人の幸福とは、部屋に踏み込んできた秘密警察が人違いに気付いて帰っていったとき。

 幸福論
 人生における最高の生活とは?
 「アメリカで給料をもらい、イギリスの住宅に住み、中国人のコックを雇い、日本人を妻にすることさ」
 では、最低の生活とは?
 「中国で給料をもらい、日本の住宅に住み、イギリス人のコックを雇い、アメリカ人を妻にすることさ」
 (諸行は無常で、いまや若干価値観が変わったかも知れないが)

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