2008年12月13日土曜日
ちょっといい話
ちょっと長くなりますが、こんな記事を目にしたのでご紹介したいと思います。
オバマ政権と武士道
2008年12月11日 篠崎 晃
この数年アメリカのメディアでは影の薄かった日本社会、日系人社会で久しぶりの朗報が8日、真珠湾攻撃記念日に届いた。エリック・シンセキ将軍(日系人初の四つ星=大将)のオバマ新政権での退役軍人省長官への指名である。12月7日は奇しくも67年前と同じ日曜日、オバマ政権移行チームは休日にも拘らず特別記者会見を召集するという念の入れようであった。
2003年イラク侵攻直前、シンセキ将軍は当時の陸軍参謀総長として議会証言を求められ、「むしろ制圧後に予想される民族、宗教、部族間抗争が問題で、その為には占領時に数十万の兵力を維持して治安をコントロールする必要がある」と述べた。
この証言は、「兵力は出来るだけ少なく、最新技術と兵器を投入して一気に甚大な損害を与え、フセイン政権を倒せばイラクは自ずから安定する」というラムズフェルド国防長官以下の文官幹部方針と真っ向から対立。
ウォルフウィッツ次官にいたっては「陸軍トップとしては全く的はずれの証言。イラク国民は解放軍のアメリカ兵士に花束を差し出して歓迎してくれる」と将軍を揶揄し任期の14カ月も前に後任を発表(しかも結果的には違う人物が後任になった)、結局将軍は不本意ながら同年退役に追い込まれた。
その退役送別式では軍のトップを送る伝統儀礼に反して文官幹部は欠席するなど非礼の限りを尽くしたが、シンセキ将軍はスピーチで、「リーダーたるもの自分がリードする人達を心から大切にせねばならない。さもなくば COMMAND(命令)は出来ても LEAD は出来ず、立派なリーダーとはなり得ない」 と述べ静かに去っていった。(今にして思えば当時のブッシュとその取り巻きへのこれ以上痛烈なパンチはないだろう。)
将軍の心に宿る“武士道”はむしろ退役後に発揮される。現役軍人や一部の人達から、「最も良く現場=戦場を知るものとしてもっと強く自説を強調すべきではなかったか?」という批判があったが、彼は、「私の大切な兵士が毎日のように戦死したり、傷を負っている時に内輪もめをすべきではない」と周りに洩らし一切弁解をしなかった。また一部の退役高級将校が「軍人の政治不介入」の掟を破ってラムズフェルド長官の罷免要求署名運動をはじめた時も署名に加わらなかった。
さらには多数の退役将官が、“軍事顧問“としてCNN,Fox News をはじめとするメディアに連日登場し、時には現役時代の上官批判も厭わずに戦争の“解説”に精出し、多額の報酬を手にするのを目の当たりにしても、“初の日系人制服トップ”の知名度高い 彼に寄せられるすべての誘いを断わってきた。
その後のイラクの展開と経緯は歴史が示す通りだ。2006年12月の中央軍総司令官の「シンセキ証言は正しかった」とする議会証言に続き、翌年1月のブッシュ大統領の「二万人以上の派兵増強命令」が出るにおよんで、シンセキ将軍の正しさが実証され、名誉は挽回された。当然のことながら,軍人はもとより政治家、有識者、一般大衆の賞賛の的となったが、そうなっても一切のコメントを差し控えてきた。アメリカで生まれ育ち、ウエストポイントで教育を受け、ひたすら愛国者であり続ける将軍の体には脈々として武士道の血が流れていると感服せざるを得ないのは私だけだろうか。
今朝のニューヨークタイムスの社説では、「戦いで心身ともに傷ついた傷病兵への最良の思いやりは、これ以上傷病兵を増やしてはならないということだが、誰よりもこのことを理解しているシンセキの任命は、今までこの国内ですらなおざりにされてきた傷病兵や退役軍人にとって心温まるニュース・・・」と絶賛している。
大統領予備選、本選を通じて クリントン陣営、さらにはマケイン陣営に相次ぎ渦巻いた内部闘争や混乱にひきかえ、オバマ陣営の非の打ちどころのない組織力、動員力、集金力が際立ったが、それに加えて当選後の政権移行チームでは、「人心を読むこと”に重心が動いている・・・」とつくづく感じる。ペンタゴンに次ぎ規模で二番目の省庁といわれる退役軍人省トップへのシンセキ将軍の指名もその表れであろうし、これが今後のオバマ政治の前触れとなることを心から期待したい。(12月9日)
【篠崎晃】1937年、鎌倉生まれ、上智大卒、米国三井物産副社長、財団法人経済広報センター米国事務所長など在米(ニューヨーク)30年余の間、幅広い人脈や社会活動を通じて日本とアメリカの社会変遷を鋭く観察し、警告を発信してきた。
シンセキ氏の退役軍人長官起用発表 開戦67周年の会見で
http://www.cnn.co.jp/usa/CNN200812080006.html
それにしてもアメリカのマスコミ・ジャーナリズムも、開戦当時は批判も許さぬオポチュニズムでいい加減だった(現在形でもある)印象は拭えない。
全く余計な事ながら、もとは、「ニイゼキ」さんじゃなかったのかなーーなんて思ってます。
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