日系アメリカ人の介護
ハワイに住む日本人看護師の友人から、こんな電話が舞い込みました。
「急で悪いんだけど~、明日、(シニア)シッターしてくれないかなぁ?家族が日本語を話す看護師さんを希望しているらしいの。」
彼女にはいつもお世話になってるし急ぎの用事もないのでOKしました。
家族の方が出かけるために、その間、高度な疾患を持ってるか・な・りご高齢(詳細は書けないので勘弁)の方のケアを頼まれました。レスパイト・ケアです。
患者さんの家に行ってケアするのは、米国では初めての経験でした。
そのため、色々な医療機器や薬品名など多少日本と勝手が違うことを想定し、早目にお宅に到着。家族の方に教えてもらいましたが・・・なんら日本と変わりないじゃないですか!! 基本はアメリカも同じ。ちょっと安心。というか、私にとっては自信になりました。いつもパーフェクトなタイミングでこういった話が転がってくるので、感謝の気持ちでいっぱいになります。
さて、患者さんとのお話。
ご高齢の患者さんは、第二次世界大戦の時には米国の捕虜に なったそうです。米国で生まれたために米国人でありますが、身体や文化は日本人。そのために、日系アメリカ人は捕虜の対象となり長い間苦しんだのです。そ の時のすさまじい経験を辛い表情を浮かべながらも話してくれました。米国サイドからみる戦争の話。角度を変えて歴史は学んでいくべきですね。
私が国際結婚をした理由がここにもあるような気がしてなりませんでした。多面的に物事を理解していくという意味で。
さて・・・
そんなわけで、患者さんは英語と日本語がごちゃまぜ。そこにハワイ語も混ざってくるから、理解できないこともしばしば。
会話例
ナインティーン ターティー ツリー の時に大きく変わって、プノプノ ホノホノ だったんだよ。
未だに全文は解明できませんが、「1933年のときに(人生が)大きく変わった」・・・らしい。
それにしても、「ターティー ツリー」と言われたときには、どんな「ツリー(木)」かと思ったわ。
挙句の果てにはこんな会話に。
患: Mちゃんはどこの学校出身なんだい?
M: ○○大学ですよ。ほら、あの北○柴三郎の。医療系の総合大学なんですよ。
患: おーおーあの、三郎の。そうかそうかよく知ってるよ。あの人はなんだい、そういった大学まで持ってるのかい。さすがシンガーは違うねぇ。
M: (ん?)
あっっ!!!!それ、北島三郎でしょう!!!
お陰さまで楽しい時間が持てました。
来週もまたお邪魔する予定です。
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