2012年3月16日金曜日

吉田茂のユーモア

吉田茂のユーモア
終戦直後のまだ国民が焼け野原で飢えと闘っていたころ、吉田茂はマッカーサーに「四百五十万トンの食糧を緊急輸入しないと国民が餓死してしまう」と訴えた。結局六分の一の七十万トンしか輸入できなかったが、餓死者は出なかった。
マッカーサーが抗議をしてきた。
「ミスター・ヨシダ、私は七十万トンしか渡さなかったが、餓死者は出なかったではないか。日本の統計はいい加減で困る」
吉田は切り返した。
「当然でしょう。もし日本の統計が正確だったら、むちゃな戦争などいたしません。また統計どおりだったら、日本の勝ち戦だったはずです」
ーーマッカーサーは大笑い。信頼関係が築かれた。

戦後、フィリピンの賠償使節団が来日したときは、こう言ったという。
「ご来日を待ちかねておりました。賠償の支払いは、その原因をつくった側にある、とお考えでしょうね」。意外な言葉に相手方はこう答えた。
「その通りです。今度の訪日も日本軍により大きな被害を受けましたので、賠償金の問題で伺ったのです。今の言葉を聞いて実に安心いたしました」
すると、吉田はこう言ったという。
「わが国は神代の昔から、貴国のフィリピン海域から毎年台風をよこされ、甚大な被害を被っております。今被害額を計算させておりますので、できあがり次第、お送りさせていただきます」
ーーーこれには一同大笑い、ことはスムースに運んだ。

吉田が82歳で日米修好通商百年祭に日本の代表として訪米し、外国人記者団に元気な様子を褒められると、こう言った。
「元気そうなのは外見だけです。頭と根性は生まれつきよくないし、口はうまいもの以外受け付けず、耳の方は都合の悪いことは一切聞こえません」

大磯を訪れたある財界人が米寿を過ぎてもまだかくしゃくとしている吉田茂に感心して「なにか健康の秘訣でもあるのですか」と尋ねると「それはあるよ。だいたい君たちとは食い物が違う」と答えたそうです。そういった食べ物があるのならぜひ聞きたいと財界人が身を乗り出すと「それは君、人を食っているからさ」と笑ったそうです。

吉田茂の意地
マッカーサー「タバコがなくてお困りでしょう。おひとついかがですか?」
吉田茂   「せっかくですがマニラの葉巻は結構。キューバ産しか吸わないんでね」

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