2016年5月6日金曜日

薬種商の館 金岡邸

国登録有形文化財
薬種商の館 金岡邸

 
金岡邸は、300年の歴史をもつ富山売薬業に関する資料を中心に、薬業全般にわたる多くの資料が保存展示され、国内でもまれな薬業資料の館です。母屋部分は明治初期の商家で、薬種商店舗の遺構をとどめており、新屋部分は、伝統的木造建築の特徴が生かされた総檜造りの建物で、豪壮で格調の高い折上げ格天井の座敷を有しています。
 資本家として力のあった薬種業者たちは、富山県内各地に金融機関をはじめ広い分野に投資し、県・産業の育成に大きく貢献しました。
 
金岡家は江戸末期より薬種商を営み、家祖金剛寺屋又右衛門の長男金岡又左衛門は、若くして県議会議長、衆議院議員を歴任しました。全国でもいち早く電気事業に注目し、明治32年(1899)に大久保発電所を完成し、北陸で初めて電灯をともし、多くの水力発電所を建設しました(現北陸電力株式会社)。大正2年(1913)に北陸初の電鉄の工事を完成し(富山軌道株式会社)、大正11年(1922)には常願寺川の治水につとめ、砂防工事を国営事業に組み入れる道を開きました。特筆すべきはこの水力・電力を基礎に多くの産業を誘致して富山県の経済基盤の土台づくりを成し遂げ、他方、私財を育英事業に投じました。
 二代目又左衛門は戦後、第一薬品株式会社や富山合同無尽株式会社(現富山第一銀行)を設立しました。
 三代目又左衛門は、テイカ製薬株式会社や富山女子短期大学を創立し、富山相互銀行を経営し、富銀奨学財団を設立しました。
 五代目金岡幸二は情報産業のパイオニア、富山計算センター(現インテック)(1964)を設立し、全国屈指のコンピューター企業(ITHD)に育て、また富山国際大学を設立しました。
 六代目当主金岡祐一は、北大教授、日本薬学会頭、日本学術会議第七部長、富山国際学園理事長、富山短期大学学長、富山国際大学長などを歴任し、さらに第一薬品をテイカ製薬へ合併しました。
 その弟、金岡純二は、富山第一銀行を確立しました。
 このように、金岡家は、歴代薬種商時代の資本を元に、富山県の経済界に、力強い足跡と業績を残しています。 (HPより一部抜粋)

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実は金岡祐一先生は大学の恩師にあたります。
2007年日本薬学会年会が富山で行われた際には、ご実家であった「金岡邸」を先生自ら、我々「悪童」に案内して下さいました。決して忘れることのできない素晴らしい思い出を作ってくださいました。
上記にもありますように、先生は東大、米国留学を経て、北海道での薬学教育に尽力され、世界への研究成果発信、富山県の産業・経済発展、教育活動、さらに、日本の薬学会や学術会議のリーダー、そして世界中でのご活躍――などなど我が国が誇るべき先生なのです。

ごく最近、先生の米寿のお祝いにお招き頂き元気なお姿と変わらぬシャープなお話しぶりを伺う機会がありました。

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