2009年7月26日日曜日

ツェッペリン号だったのか

ツェッペリン号だったのか
 昨日の昼過ぎ、何とはなしに気がついた。飛行船が飛んでいるのが、私の部屋から見えた。手元にあった小さな双眼鏡で眺めてみたが、雲もあって胴体の文字は、はっきりしない。結構デブッチョな飛行船で、何かの広告塔に使われているのかなと思った。
 折からの強い(逆?)風の中、あっという間に南東から南方向へ飛び去った。今朝の新聞を見て、ツェッペリン号だったと知った。それなら写真を撮っておけばよかったと思うが、後の祭りでした。

「ツェッペリンNT」の窓から茨城・土浦の街を眺める藤原和子さん(右)と妹の三坂孝子さん=25日午後、樫山写す
ツェッペリン飛来から80年、父の飛んだ空をふわり
 初めて世界一周に成功したドイツの飛行船「グラーフ・ツェッペリン号」が停泊地として日本に飛来してから80年。当時、日本周辺の「水先案内人」としてドイツから乗船した藤吉直四郎海軍少佐の娘が25日、父と同じ経路で再現された空中散歩の道をたどった。
 現在、最新鋭の後継機「ツェッペリンNT」で広告、遊覧などの営業飛行をしている日本飛行船(本社・東京都中央区)が企画。藤吉少佐の娘で東京都杉並区に住む藤原和子さん(79)と妹の三坂孝子さん(72)が招かれた。
 藤原さんが同社に遊覧飛行を申し込んだ際、80年前の飛行の時に少佐の妻のおなかの中にいたことを明かし、再現飛行が実現した。
 全長75メートルのNT号は、霞ケ浦上空から針路を南西にとり、約1時間で東京上空へ。高度四、五百メートルから銀座や東京タワーを眺めながら遊覧飛行を楽しんだ。
 「父はこのルートを飛んで日本の繁栄ぶりを外国人に見せたかったのでしょう」。当時の東京朝日新聞によると、29年8月19日、235メートルの巨大飛行船を一目見ようと、通過地点のビルの屋上や駅のホームは黒山の人だかり。誰もが空を見上げていたという。
 しかし、世界を飛び回った飛行船は、別の機体が37年に米国で爆発炎上事故を起こしたのを機に姿を消す。当時の製造会社の流れをくむメーカーがツェッペリンの名を冠したNT号をドイツで復活させたのは、爆発事故から60年後の97年だった。
 藤吉少佐の家は戦後、ワッフルやカステラを妻や娘たちが作り、生計を立てる。藤原さんは戦後まもなく結婚し、2人の娘を生んだ。孫も4人いる。来月には娘や孫らも含め9人で乗り込む予定だ。
 藤原さんは焼け野原の光景が記憶に残る東京や、以前父と住んでいた茨城・土浦の街を見下ろし、「父が見たら驚くことでしょう」と目を細めていた。(樫山晃生) 2009年7月26日1時32分 朝日

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