2009年7月18日土曜日

月着陸から40周年、元飛行士NASAを叱る

アポロ11号による人類初の月面着陸で、月面に立てた星条旗の横を歩くバズ・オルドリン飛行士=1969年7月、NASA提供

月着陸から40周年、元飛行士NASAを叱る

 人類が初めて月に一歩を踏み出してから20日で40年を迎える。米国内では各メディアが大きく取り上げている。「アポロ」の元宇宙飛行士たちは、どんな 思いでいるのか。アポロ12号で4人目の人類として月面着陸し、いまは画家として月の世界を描くアラン・ビーン氏(77)に聞いた。(ヒューストン〈米テ キサス州〉=田中光、ワシントン=勝田敏彦、田中康晴)
 ――20周年、30周年と経てきましたが、これまでと40周年の違いは。
 仲間のほとんどは10年後にこの世界にはいないだろう。私も87歳になる。そういう意味で、11号の3人が元気でそろっている意義は大きい。
 ――当時と比べ、いまの米国の宇宙計画をどうみますか。
 予算と気持ちが足りない。当時はライバルにソ連がいたが、いまは競争相手がいない。私が責任者だったら月よりも火星を選ぶ。その方がいまの世代が 熱狂するはずだ。1カ国より世界の共同作業になった方が人類は団結できる。私が月から戻った時は「我々人類が月に行ったんだ」と、みな自分たちが行ってき たかのように「我々」という言葉を使っていた。
 ――有人飛行ではなく、ロボットによる月探査の提案もあります。
 アラン・シェパードがやったように、月面でゴルフ球を打つという発想はロボットからは出てこない。人は、人に興味を持ち、人の体験を聞き、自分だったらと想像する。人類は危険を賭して挑戦する人を見たいのだ。
 ――スペースシャトルに乗る機会を目の前にして、なぜ米航空宇宙局(NASA)を去ったのですか。
 シャトルの船長になるべく訓練をしていたが、自分と同じぐらい、あるいは自分以上にうまく操縦できる人たちがいる。シャトルは自分がいなくなって も大丈夫だが、自分が絵を描かなければ、月を後世に伝えられないと思った。月に行った人間にしか描けないスピリットを描きたい。言葉では言い表せないもの だ。アポロ計画では何万人という人間が一つの目的に向かって行動していた。人類は素晴らしいことができるんだと後世に伝えたい。
 アポロ11号から17号まで7機の21人が月面を目指した。13号の3人は事故で途中で引き返し、毎回1人は月の軌道上で待機するため、月面に足跡を残した人類は12人しかいない。21人のうち6人は他界している。
 元飛行士たちは40周年にあたり、各種催しに足を運び続ける。とくに、11号のオルドリン氏や、途中帰還した悲劇の13号のラベル氏は、NASA主催のイベントに限らず、講演会に出席したり、ニューヨークの証券取引所でベルを鳴らしたり、多忙な毎日だ。
 一方、「人類最初」として知られるアームストロング氏は、ほとんど公の場に姿を現さない。英雄視され、注目を浴びたことに、ビーン氏は「彼のプレッシャーは並大抵のものではないだろう」と気遣う。

2009年7月18日14時37分 朝日

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