2012年10月18日木曜日

Minneapolis続

Minneapolis
歴史的にみると1680年頃にヘネピン神父らを連れたフランス人の入植者に始まる(道路名にその名を残す)。1620年9月の帆船メイフラワー号によって、初めてアメリカに植民地を開いた、かの「ピルグリム・ファーザーズ」から遅れること60年である。
1860年代中盤に入ると、スウェーデン、ノルウェー、デンマークといった北欧系の移民がミネアポリスに住み着くようになった。やがてドイツ系、イタリア系、ギリシャ系、ポーランド系の移民が続いた(Twin cities観光バスツアーのガイドはドイツ語圏の名前ハイジだった)。
1990年代以降はラテン系の住民やアフリカ、特にソマリアからの難民がミネアポリスに移入してきた。ちなみに、空港から乗ったタクシーの運転手は19年前にソマリアから来たと言っていた(多分難民)。21世紀に入っても、ミネアポリスは新たに移入してくる移民の主要な受け入れ先となっている。   

初期においては、ミネソタ州北部の森林地帯から材木を得て、滝の水力を利用した製材所で加工したことから、製材業が発展した。1871年頃ミシシッピ川の西岸には小麦製粉、綿織物、毛織物、製鉄、鉄道機械、製紙、肩帯、木材加工といったさまざまな産業が興った。

乾燥して寒い冬と温暖で時折蒸し暑くなる夏に特徴付けられ、また気温の年較差が大きいという内陸性の気候である。ミネアポリスの市名はダコタ族の言葉で「水」を意味するmniとギリシャ語で「都市」を意味するpolisとを組み合わせてつけられた。市には水が豊富で、市域内に20の湖を持つ。

公園整備がよくなされ、大きな湖(Lake Calhoun & Lake Harriet)に隣接する小高い丘の上には高級住宅が並び、なかには夏場はミネアポリス、冬場はフロリダやカリフォルニアを行き来するお金持ちが多いとツアーガイドが説明していた。
そうした背景から、市はCity of Lakes(湖の街)、Mill City(製粉の街)という別名を持っている。東に隣接する州都セントポール市と合わせてTwin Citiesとも呼ばれている。
今日のミネアポリスの主産業は主に商業、金融、運輸、保健、製造業である。ミネアポリスには連邦準備銀行が置かれ、中西部の重要なビジネス拠点となっている。
ダウンタウンには大規模小売店チェーンのターゲットが、郊外には穀物メジャーのカーギルや大手電機小売のベスト・バイが本社を置いている。

さらにまた、ダウンタウンには総延長7マイル(11キロ)に及ぶskywayが巡らされ、-20℃以下になる冬場、蒸し暑い夏場はエアコンの効いた快適な場を提供している。 
light-railとよばれる電車は、全米一といわれるMall of America(4階建て、中央部分は屋内型テーマパークでジェットコースターやら何やら子供が喜ぶ遊戯施設がそろっている)や空港にアクセスしている。スイスに似て各駅からはバスが接続しており、運賃もかなり安い(シニアは75セントで2時間半以内なら乗り放題でラッシュアワーを除き有効だった。通常運賃は$2.25)。
 MOA


 Light rail
 Guthrie Theater

 Fago de Chao

 Skyway
 Skyway map(オレンジ色)


0 件のコメント: