暗黒物質・ビッグバン…宇宙の4大難問に迫る 小松英一郎・マックスプランク宇宙物理学研究所長に聞く
天文図鑑のオリオン座大星雲の美しさに感動して宇宙論の研究にのめり込んだ日本人科学者は、宇宙背景放射を観測する米国のプロジェクトで論文執筆を任され、2012年からはドイツの著名研究機関の所長を務める。小松英一郎マックスプランク宇宙物理学研究所長に、今後の宇宙研究の焦点や見通 しなどについて聞いた。
こまつ・えいいちろう 1974年兵庫県生まれ。2001年東北大学で理学博士号取得。米プリンストン大学博士研究員、テキサス大学助教授、准教授を経て10年教授。12年から現職。04年日本天文学会研究奨励賞、08年国際純粋・応用物理学会若手物理学者賞などを受賞。米国の調査会社トムソン・ロイター
による最多引用論文で07、09、11年に1位になった
「観測・実験と理論が非常にうまくかみ合い、驚くべき事実が次々と明らかになってきた。1998年に米国の2つのグループが超新星が予想よりもずっと暗い観測結果を出した。つまり宇宙の膨張が予想よりも速かったわけだ。宇宙の加速膨張が何によって引き起こされているのかは、全く分かっていな
い。天文学、物理学の最大の難問といわれている」
「私が米プリンストン大学の研究員だったときに参加したWMAP(宇宙マイクロ波背景放射)プロジェクトでは、数々の成果を出した。代表例
は宇宙の年齢で137億歳と決定した。宇宙の組成も明らかにした。水素やヘリウムを主体とする通常の物質はわずか4%で、物質だが何か分からないダークマ
ター(暗黒物質)が23%、そして加速膨張の原因でもある暗黒エネルギーが73%を占めている。しかしこの結果は、私たちが宇宙の96%を理解していない証しでもある。挑戦的な難題が直前に立ちはだかり、研究は非常にエキサイティングな状況だといえる」
――これから焦点となるテーマは。
「ここ10~20年に解決すべき問題を、私は4つに整理している。第1は暗黒物質とは何か。2番目は暗黒エネルギーとは何か。3つ目はビッグバンの起源、別の表現をすると、どうやってインフレーションを特定する観測をするかだ。最後はニュートリノの質量だ。これは専門的に言い換えると、バリ
オン物質の起源は何かという問いになる」
「暗黒物質を突き止めるには3つの方法が考えられる。1つは欧州合同原子核研究機関(CERN)の大型ハドロン衝突型加速器(LHC)で人工的に作り出す。2つ目はごくまれに原子と衝突するので、それを観測する。ゲルマニウムやキセノンなどを使った検出器が既に稼働している。3つ目は天文観
測による間接的な検出。4つのテーマのうち最も解決に近いかもしれないが、現状は意外に厳しい。ヒッグス粒子の観測を続けるLHCの実験でも何か手掛かりが出てこないか期待されているが、まだその気配はない。理論的に予想しているエネルギー領域になく、結構重いのかもしれない。いずれにしてもいつまで続け
るのかが議論になり始めている」
――暗黒エネルギーに迫る実験も始まります。
「私が非常勤教授を併任する米テキサス大学にある世界最大級の光学望遠鏡で、宇宙の大きさが現在の5分の1から3分の1だったころの銀河 100万個を14年から観測する。そのデータからまず、暗黒エネルギーの密度が一定なのか、時間とともに変化しているのかを探りたい。日本も東京大学を中
心に国立天文台のすばる望遠鏡を使う観測計画『すみれ』が動き出すので協力し合えるかもしれない。暗黒エネルギーはえたいが知れず、理論的な研究は行き詰まっている感じだが、非常に重要なので目を背けてはいけないと思う」
これまでに判明した宇宙を組成するものの比率(小松英一郎氏の講演資料より)
「私たちは、観測できていないより初期の宇宙を調べたいと考えている。原始宇宙の理解に最も有望な理論がインフレーション理論で、それによ
ると誕生後間もない宇宙は、10のマイナス36乗秒という極めて短い時間に、28ケタも大きくなる。とてつもない勢いで急膨張した。本当にあったのか、何 でそんなことが起きるのか、疑問は絶えない。日米欧でそれぞれ観測実験が検討されているし、この問題は量子力学の研究とも深くかかわり、とてもホットな分野だ」
「ニュートリノについては、質量があることはやっと分かったが、いったいどれぐらいの重さなのかはやはり難問だ」
――海外を拠点に宇宙分野で活躍する日本人が増えている。
「03年にテキサス大の助教授に就いた時、米国の宇宙論の分野で終身雇用の前の任期付き研究員、いわゆるテニュアトラック制度を経て採用さ れた2人目だったようだ。その後の10年で10人以上の日本人研究者が、同じように米国で活躍している。英国やオランダにもいる。日本国内に国際的な宇宙
研究拠点ができてそれは喜ばしいが、海外のまた違う環境で武者修行するのも面白いのではないか」
「01年にWMAPチームに入った時、人数は20人ぐらいとこぢんまりしていて、新参者をあまり歓迎していなかった。でもできるだけのこと はやろうと、チームが四苦八苦していた偏光成分のデータ解析の作業に打ち込み、打開する成果を出せた。これでメンバーの信頼を得られ、09年と11年の論文発表で筆頭執筆者を任してもらえた」
「その後、日本に帰ってもいいかなと考えていたが、妻が米国に残ってもいいと言うし、宇宙の研究所をつくりたいというテキサス大に引っ張られて移籍した。寄付を募るなど運営も手掛けたが、自由にやらせてもらい、有名な研究所に移籍するよりよい経験ができた。マックスプランクは欧州の宇宙研究 の拠点の1つ。宇宙の熱い話題を追究していきたい」(聞き手は編集委員 永田好生)2013/1/1
7:10 日経
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