旧態依然の選挙運動
29年ぶりの師走投票となる総選挙が間もなく公示される。しかし、意中の人物を国会に送ろうという気分にはなれない。はっきりいって、また選挙か、何回やっても同じじゃないか、国会議員は税金泥棒、もう彼らにはうんざり、というのが正直な気持ちだ。
3年余の、あまりにでたらめな民主党の政治、しかし、それは私からみれば自民党の究極の姿だった。国家意識の喪失、土下座外交、悪平等主義、ばらまきな
ど、民主党の政策は、自民党の行き着く先を先取りしたにすぎなかった。だから、民主党政権から自民党政権に戻るとしても、それほどの期待を抱けない。
小選挙区だから、公示されると、連日、近所を選挙カーが走り回る。言うことはだれも同じだ。
「〇〇です。よろしくお願いします」だけである。政策も抱負もビジョンもない。学校があろうが、病院があろうが、赤ちゃんや老人が寝ていようが、葬式をし
ていようがお構いなしだ。朝8時から夜8時まで12日間、ひたすら候補者の名前を呼び続ける。この空虚で無意味で異様な光景、日本だけではあるまいか。
そしてポスター看板。にっこり笑った大首絵のようなポスターが、べたべたと張り出されている。気持ち悪いだけで、具体的な政策などはほとんど書か
れていない。それを全国約33万カ所に設置するのだ。その費用はもちろん、選挙カーの費用も公費負担である。こんな選挙運動に公費投入、どれだけの意味が
あるのだろう。
これらは公職選挙法に規定されているのだが、終戦直後とほぼ同じ形態である。なぜ、同法は時代に即して改正されないのか。それは改正しない方が、議員たちが楽だからである。政策を論じるよりも、自分の名前を叫んでいる方が頭を使わなくてすむからである。
選挙は、候補者のビジョン、政策、実行力、人柄を理解して投票するのが本来の姿だろう。選挙カーも掲示板も廃止し、新聞、テレビ、インターネットのみとし、候補者には駅前や公共の施設での街頭演説、立会演説のみを許すようにしたらどうか。
そうすることによって、候補者は、少しは政策について考えるようになるだろうし、人を説得するすべも学ぶことになるだろう。なんとかチルドレンのように、数さえいればいいというのでは、国民を愚弄している。
このままでは、この国をつぶすのは国会議員である。(編集委員 大野敏明)2012.11.26 07:39 産経ニュース
まったく同感。どうすればいい?少なくとも当事者に決定権を与えない。
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