2014年1月15日水曜日

「隠居」



「隠居」
辞書にあたれば、官職・家業などから離れて、静かに暮らすこと。また、その人。あるいは、煩雑な社会を逃れて山野に隠棲すること、官位を捨て家督を次代に譲って社会生活から遠ざかること・・・を意味する。

平均寿命が延びた時代、変化の激しい時代、株だ債権だ、為替だ起業だと、とかく拝金の風潮に踊らされるきらいのある現代では、{稼ぎ}がないということで若干マイナスイメージを伴う「隠居」。メンタリティーから云えば、プア充リッチ貧?


かつては、ステータス、若いモンの憧れだったそうな。江戸時代には隠居手当もあったとか。 「隠居」は遊びの達人だったらしい。余裕だね。視野も広かっただろうね。

そんな事情もあってか、昨今のジパングにも「人生の達人」が存在感を増している。

「人生二毛作のすすめ」(外山滋比古)、余生ではなく新生。自分の頭で納得するまで考える。選択的忘却が、レム睡眠の間におこり、必要な情報を保存。睡眠中3回で80%を処理している。忘れる頭は良い頭・よく働く頭。考える力・・想像力、判断力、選択力など。

そして、ゆっくり急ぐ(Festina lente)ことの重要性。

さらに、現代俳句の坪内稔典さんは、「無責任で主体性のない人は俳句向き」「自分を強調したがる人は短歌の人(最後の七七で主張)」とのたまわく。

以下付録

「柿喰けこ、喰わでは如何で、発ちつてと」(松永貞徳)

「隙人や蚊が出た出たと触れ歩く」(一茶)

「いなご焼くじじの話やうそだらけ」(子規)

「何でも知ってる馬鹿がいる」(内田百閒)

「学問的背景のある馬鹿ほど始末の悪いものはない」(菊池寛)

0 件のコメント: