<中坊公平さん死去>「島の痛み分かってくれた」・・・豊島産廃問題尽力
住民たちに「心の豊かさを大切にする島に」と呼びかける中坊さん(左、豊島小体育館で)=2003年9月撮影
豊島(土庄町)の産業廃棄物不法投棄問題で住民側の弁護団長を務め、県が責任を認めて謝罪し、全量撤去を約束する公害調停の成立に尽くした中坊公
平さんの訃報が伝えられた5日、関係者からは「島の痛みを誰よりも分かってくれた」「きれいになった島を見届けてほしかった」と惜しむ声が相次いだ。
豊島には、県が1978年、「ミミズ養殖」を条件に業者に汚泥処理を許可して以降、車の破砕くずや廃油が大量に持ち込まれた。汚染された土壌を含め、総量は約94万トンに上る。
1993年、中坊さんは「金も力もない島に力を貸して」と住民に頼まれ、無報酬で弁護団長を務めた。廃棄物対策豊島住民会議メンバーで元県議の石
井亨さん(53)は「おかしいと感じたら、いい意味で子どものようにけんかをする人だった。島の痛みを感じ、訴える姿は、島民そのものだった」と振り返
る。
一方で「戦うのはあんたら自身」が口癖だった。同会議の創設者の一人、山本彰治さん(79)は「中坊さんの言葉に後押しされ、住民は県庁前での抗議活動などに取り組み、調停を軌道に乗せられた。中坊さんがいなければ、解決はなかった」と感謝した。
2000年6月、調停に調印し、住民に謝罪した前知事の真鍋武紀さん(73)は、調印前の控室で初めて中坊さんと顔を合わせた。「厳しい人だと身
構えていたが、いきなり『この辺りはママカリが釣れるんや』と笑顔で釣り談議を持ちかけられ、緊張がほぐれた。住民に信頼された温かい人柄がうかがわれ
た」としのんだ。
調停成立後も、中坊さんは島の将来を気遣い、「大量消費と廃棄の輪を断ち『心の豊かさ』を取り戻そう」と、教訓を語り継ぐよう住民に促し続けた。
同会議議長の浜中幸三さん(65)は「『鬼の中坊』とも呼ばれたが、細やかな心遣いのできる人だった。最後に一目会えなかったのが残念」と声を落とした。(2013年5月6日 読売新聞)
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