ワリ文化の霊廟と財宝を発見、ペルー
南米ペルーで発見されたワリ文化時代の墓の主室で、被葬者の骨の発掘作業が行われ た。ロベルト・ピメンテル・ニタ(Roberto
Pimentel Nita)氏(左)、生物考古学者のビエスワフ・ビエツコフスキ(Wieslaw Wieckowski)博士(中央)、考古学者のパトリツィア・プジョントカ・ギェルシュ(Patrycja
Przadka-Giersz)博士(右)の3氏が、プロジェクトの共同責任者を務めている。手前にある杖状の木彫りは、墓標の役目を果たしていたとい う。
Photograph by Milosz Giersz
Photograph by Milosz Giersz
南米ペルーのエル・カスティーリョ・デ・ウアルメイ(El Castillo de Huarmey)遺跡で、未盗掘の王族の墓が発見された。西暦700~1000年頃に南アメリカに最初の帝国を建設した古代文明、「ワリ文化」の霊廟と考 えられている。しかし、薄暗い埋葬室で黄金の輝きを目にしたポーランド、ワルシャワ大学の考古学者ミロシュ・ギェルシュ(Milosz Giersz)氏は素直に喜べなかった。
「ニュースが漏れたら、略奪者が大挙して押し寄せる」。ギェルシュ氏はすぐにそう危惧したという。ポーランド・ペルー合同チームが発見した1200年前の「死者の殿堂」には、貴重な金銀の財宝が溢れかえっていたのだ。
ギェルシュ氏とプロジェクト共同責任者のロベルト・ピメンテル・ニタ(Roberto Pimentel Nita)氏は公表を思いとどまり、密かに埋葬室の1つを数カ月間掘り進めた。チームが掘り当てたのは、精巧な金銀の宝飾品、青銅製の斧、純金の道具な ど、工芸品1000点以上におよび、ワリ文化の3人の女王や60体分の遺骨も収集した。一部は人間の生贄だったと見られる。
6月27日、ペルーの文化相や高官が現地で記者発表を行った。この調査は、ナショナル ジオグラフィック・グローバル探検基金と探査協議会が支援している。
◆見過ごされた帝国
ワリ文化は長い間、後代のインカ文明の影に隠れていた。インカ文明の繁栄についてはスペイン人征服者が幅広く記録を残しているが、実際のワリの支配体制の 詳細は未だ不明である。現在のペルーの大部分に広がる帝国を、8~9世紀に築いていたことはわかっている。アンデス山脈の首都ウアリは当時、世界最大の都 市の1つだった。ウアリの全盛期の人口は控えめに推定しても約4万人。一方、フランク王国のパリは、わずか2万5000人に留まっていた。
彼らはどのように帝国を築いたのだろう? 力ずくで周囲を征服したのか、それとも交渉で説得したのか。一方で、ワリの精巧な工芸品は略奪者の格好の標的となり、帝国の宮殿や神殿の遺物は荒らし尽く されている。重要な考古学情報の破壊が止まらず、さまざまな謎が残されたままとなっていた。
首都リマから北へ車で4時間、ウアルメイ遺 跡での新発見が、数々の謎を解くカギになるかもしれない。面積約45ヘクタールの遺跡は何十年もの間、墓荒らしによって断続的に掘り返されてきたが、ギェ ルシュ氏は地下深くに霊廟が隠されていると推測していた。2010年1月、数人のチームを結成し、航空写真と電磁波地中レーダーを使って精査を開始。日干 しれんが造りの2大ピラミッドに挟まれた地中に、かすかな輪郭を見いだす。地上は隆起しており、もしかすると地下霊廟かもしれない。
隆 起は、墓荒らしが長年投げ捨てた瓦礫が積み重なったためと判明。2012年9月、チームが瓦礫を掘り起こすと、石の王座をいだく古代の儀式用の部屋が現れ た。さらに掘り進めると、30トン分の軽石で覆われた大きな部屋にたどり着く。勢い込んだギェルシュ氏らはついに、大きな木彫りの杖を探り当てた。「墓を 示すマークだ。霊廟の主室に違いない」。
◆埋められた財宝
軽石を注意深く取り除くと、座った状態で埋められた遺体が何 列も見つかった。体を包む布がかろうじて残っている。隣接している3つの小さな部屋には、ワリ帝国の3人の女王の遺体が横たわり、純金製の織物道具などの 貴重な副葬品が多数並んでいた。「ファーストレディーたちは宮廷で何をしていたと思う? 金の道具で布地を織っていたんだよ」。プロジェクトの科学顧問を務める考古学者クリシュトフ・マコフスキー・ハヌラ(Krzysztof Makowski Hanula)氏は語った。
大量の財宝はこれだけではない。金銀細工の耳飾り、銀製のボウル、青銅の儀式用の斧、珍 しいアラバスター(雪花石膏)製のカップ、ナイフ、コカの葉を入れる箱、各地のアンデス文化で見られる鮮やかな彩色の陶磁器など、お宝の数々。「こんな経 験は初めて。王室の墓が無傷の状態で見つかるとは」とギェルシュ氏は興奮を隠せない。
同氏のチームは、今後8~10年かけて遺跡の発掘を進め、霊廟やまだ地下に埋もれているほかの部屋を調査する予定だ。2013年06月28日 毎日Heather Pringle for National Geographic News
「ニュースが漏れたら、略奪者が大挙して押し寄せる」。ギェルシュ氏はすぐにそう危惧したという。ポーランド・ペルー合同チームが発見した1200年前の「死者の殿堂」には、貴重な金銀の財宝が溢れかえっていたのだ。
ギェルシュ氏とプロジェクト共同責任者のロベルト・ピメンテル・ニタ(Roberto Pimentel Nita)氏は公表を思いとどまり、密かに埋葬室の1つを数カ月間掘り進めた。チームが掘り当てたのは、精巧な金銀の宝飾品、青銅製の斧、純金の道具な ど、工芸品1000点以上におよび、ワリ文化の3人の女王や60体分の遺骨も収集した。一部は人間の生贄だったと見られる。
6月27日、ペルーの文化相や高官が現地で記者発表を行った。この調査は、ナショナル ジオグラフィック・グローバル探検基金と探査協議会が支援している。
◆見過ごされた帝国
ワリ文化は長い間、後代のインカ文明の影に隠れていた。インカ文明の繁栄についてはスペイン人征服者が幅広く記録を残しているが、実際のワリの支配体制の 詳細は未だ不明である。現在のペルーの大部分に広がる帝国を、8~9世紀に築いていたことはわかっている。アンデス山脈の首都ウアリは当時、世界最大の都 市の1つだった。ウアリの全盛期の人口は控えめに推定しても約4万人。一方、フランク王国のパリは、わずか2万5000人に留まっていた。
彼らはどのように帝国を築いたのだろう? 力ずくで周囲を征服したのか、それとも交渉で説得したのか。一方で、ワリの精巧な工芸品は略奪者の格好の標的となり、帝国の宮殿や神殿の遺物は荒らし尽く されている。重要な考古学情報の破壊が止まらず、さまざまな謎が残されたままとなっていた。
首都リマから北へ車で4時間、ウアルメイ遺 跡での新発見が、数々の謎を解くカギになるかもしれない。面積約45ヘクタールの遺跡は何十年もの間、墓荒らしによって断続的に掘り返されてきたが、ギェ ルシュ氏は地下深くに霊廟が隠されていると推測していた。2010年1月、数人のチームを結成し、航空写真と電磁波地中レーダーを使って精査を開始。日干 しれんが造りの2大ピラミッドに挟まれた地中に、かすかな輪郭を見いだす。地上は隆起しており、もしかすると地下霊廟かもしれない。
隆 起は、墓荒らしが長年投げ捨てた瓦礫が積み重なったためと判明。2012年9月、チームが瓦礫を掘り起こすと、石の王座をいだく古代の儀式用の部屋が現れ た。さらに掘り進めると、30トン分の軽石で覆われた大きな部屋にたどり着く。勢い込んだギェルシュ氏らはついに、大きな木彫りの杖を探り当てた。「墓を 示すマークだ。霊廟の主室に違いない」。
◆埋められた財宝
軽石を注意深く取り除くと、座った状態で埋められた遺体が何 列も見つかった。体を包む布がかろうじて残っている。隣接している3つの小さな部屋には、ワリ帝国の3人の女王の遺体が横たわり、純金製の織物道具などの 貴重な副葬品が多数並んでいた。「ファーストレディーたちは宮廷で何をしていたと思う? 金の道具で布地を織っていたんだよ」。プロジェクトの科学顧問を務める考古学者クリシュトフ・マコフスキー・ハヌラ(Krzysztof Makowski Hanula)氏は語った。
大量の財宝はこれだけではない。金銀細工の耳飾り、銀製のボウル、青銅の儀式用の斧、珍 しいアラバスター(雪花石膏)製のカップ、ナイフ、コカの葉を入れる箱、各地のアンデス文化で見られる鮮やかな彩色の陶磁器など、お宝の数々。「こんな経 験は初めて。王室の墓が無傷の状態で見つかるとは」とギェルシュ氏は興奮を隠せない。
同氏のチームは、今後8~10年かけて遺跡の発掘を進め、霊廟やまだ地下に埋もれているほかの部屋を調査する予定だ。2013年06月28日 毎日Heather Pringle for National Geographic News
0 件のコメント:
コメントを投稿