2013年6月29日土曜日

ボイジャー1号、数か月後にも太陽圏を脱出


ボイジャー1号、数か月後にも太陽圏を脱出
太陽圏を近く脱出すると見られる米探査機「ボイジャー1号」のイラスト(NASA提供)

 36年前に打ち上げられた米探査機「ボイジャー1号」が数か月から数年後に、太陽から吹き出す太陽風が届く範囲(太陽圏)を脱出する見通しになった。
 米航空宇宙局(NASA)が発表した。太陽圏を出れば、恒星間の空間に到達する初めての人工物になる。

 ボイジャー1号は打ち上げ後、惑星の重力を利用しながら進み、現在は太陽から180億キロ・メートル(太陽と地球の距離の約120倍)離れた地点 を飛行中。長寿命の特殊な電池を搭載し、地球と定期的に通信している。知的生命体との遭遇に備え、地球の音楽や言語を録音したレコードも積み込んでいる。
 NASAは「ボイジャー1号は人類が最も遠くまで送り込んだ偵察隊。太陽風は劇的に減少しており、恒星間の空間が視野に入りつつある」としている。(2013年6月29日11時21分  読売新聞)

ワリ文化の霊廟と財宝を発見、ペルー


ワリ文化の霊廟と財宝を発見、ペルー
南米ペルーで発見されたワリ文化時代の墓の主室で、被葬者の骨の発掘作業が行われ た。ロベルト・ピメンテル・ニタ(Roberto Pimentel Nita)氏(左)、生物考古学者のビエスワフ・ビエツコフスキ(Wieslaw Wieckowski)博士(中央)、考古学者のパトリツィア・プジョントカ・ギェルシュ(Patrycja Przadka-Giersz)博士(右)の3氏が、プロジェクトの共同責任者を務めている。手前にある杖状の木彫りは、墓標の役目を果たしていたとい う。

Photograph by Milosz Giersz
 南米ペルーのエル・カスティーリョ・デ・ウアルメイ(El Castillo de Huarmey)遺跡で、未盗掘の王族の墓が発見された。西暦7001000年頃に南アメリカに最初の帝国を建設した古代文明、「ワリ文化」の霊廟と考 えられている。しかし、薄暗い埋葬室で黄金の輝きを目にしたポーランド、ワルシャワ大学の考古学者ミロシュ・ギェルシュ(Milosz Giersz)氏は素直に喜べなかった。

「ニュースが漏れたら、略奪者が大挙して押し寄せる」。ギェルシュ氏はすぐにそう危惧したという。ポーランド・ペルー合同チームが発見した1200年前の「死者の殿堂」には、貴重な金銀の財宝が溢れかえっていたのだ。

  ギェルシュ氏とプロジェクト共同責任者のロベルト・ピメンテル・ニタ(Roberto Pimentel Nita)氏は公表を思いとどまり、密かに埋葬室の1つを数カ月間掘り進めた。チームが掘り当てたのは、精巧な金銀の宝飾品、青銅製の斧、純金の道具な ど、工芸品1000点以上におよび、ワリ文化の3人の女王や60体分の遺骨も収集した。一部は人間の生贄だったと見られる。

 627日、ペルーの文化相や高官が現地で記者発表を行った。この調査は、ナショナル ジオグラフィック・グローバル探検基金と探査協議会が支援している。

◆見過ごされた帝国

  ワリ文化は長い間、後代のインカ文明の影に隠れていた。インカ文明の繁栄についてはスペイン人征服者が幅広く記録を残しているが、実際のワリの支配体制の 詳細は未だ不明である。現在のペルーの大部分に広がる帝国を、89世紀に築いていたことはわかっている。アンデス山脈の首都ウアリは当時、世界最大の都 市の1つだった。ウアリの全盛期の人口は控えめに推定しても約4万人。一方、フランク王国のパリは、わずか25000人に留まっていた。

  彼らはどのように帝国を築いたのだろう? 力ずくで周囲を征服したのか、それとも交渉で説得したのか。一方で、ワリの精巧な工芸品は略奪者の格好の標的となり、帝国の宮殿や神殿の遺物は荒らし尽く されている。重要な考古学情報の破壊が止まらず、さまざまな謎が残されたままとなっていた。

 首都リマから北へ車で4時間、ウアルメイ遺 跡での新発見が、数々の謎を解くカギになるかもしれない。面積約45ヘクタールの遺跡は何十年もの間、墓荒らしによって断続的に掘り返されてきたが、ギェ ルシュ氏は地下深くに霊廟が隠されていると推測していた。20101月、数人のチームを結成し、航空写真と電磁波地中レーダーを使って精査を開始。日干 しれんが造りの2大ピラミッドに挟まれた地中に、かすかな輪郭を見いだす。地上は隆起しており、もしかすると地下霊廟かもしれない。

 隆 起は、墓荒らしが長年投げ捨てた瓦礫が積み重なったためと判明。20129月、チームが瓦礫を掘り起こすと、石の王座をいだく古代の儀式用の部屋が現れ た。さらに掘り進めると、30トン分の軽石で覆われた大きな部屋にたどり着く。勢い込んだギェルシュ氏らはついに、大きな木彫りの杖を探り当てた。「墓を 示すマークだ。霊廟の主室に違いない」。

◆埋められた財宝

 軽石を注意深く取り除くと、座った状態で埋められた遺体が何 列も見つかった。体を包む布がかろうじて残っている。隣接している3つの小さな部屋には、ワリ帝国の3人の女王の遺体が横たわり、純金製の織物道具などの 貴重な副葬品が多数並んでいた。「ファーストレディーたちは宮廷で何をしていたと思う? 金の道具で布地を織っていたんだよ」。プロジェクトの科学顧問を務める考古学者クリシュトフ・マコフスキー・ハヌラ(Krzysztof Makowski Hanula)氏は語った。

 大量の財宝はこれだけではない。金銀細工の耳飾り、銀製のボウル、青銅の儀式用の斧、珍 しいアラバスター(雪花石膏)製のカップ、ナイフ、コカの葉を入れる箱、各地のアンデス文化で見られる鮮やかな彩色の陶磁器など、お宝の数々。「こんな経 験は初めて。王室の墓が無傷の状態で見つかるとは」とギェルシュ氏は興奮を隠せない。

 同氏のチームは、今後810年かけて遺跡の発掘を進め、霊廟やまだ地下に埋もれているほかの部屋を調査する予定だ。20130628日 毎日Heather Pringle for National Geographic News

2013年6月28日金曜日

カンボジアの密林に幻の古代都市


カンボジアの密林に幻の古代都市 アンコール遺跡群調査
クメール王朝の遺跡を上空からレーザーで調べた結果のCG画像。見つかった遺跡を赤で示している(クメール考古学ライダー研究コンソーシアム提供)


 カンボジア北西部のアンコール遺跡群から約30キロ離れた場所に、古代クメール王朝が8~9世紀に築いた首都の遺跡を見つけたと筑波大が参加する国際研究チームが28日、発表した。密林に覆われた幻の古代都市の全容を明らかにする成果という。
 遺跡は、王朝の最も初期の首都「マヘンドラパルバタ」とされ、これまで点在するれんが造りの寺院などが確認されていたが、都市が実在するかは謎だった。
 チームは昨年4月、上空のヘリコプターから地表にレーザーを照射して探査。レーザーは樹木の隙間から地表に届くため、密林に覆われていても正確に地形が分かる。2013年6月28日 20時36分 東京新聞

2013年6月27日木曜日

水凍らず生物に適した3惑星、22光年の距離に


水凍らず生物に適した3惑星、22光年の距離に

 欧州南天天文台は25日、南米チリに設置した望遠鏡の観測などで、太陽系から約22光年離れた恒星「グリーゼ667C」を回る惑星3個が、生物がすむのに適した環境であることがわかったと発表した。

 発表によると、天文台の研究チームが、これまで望遠鏡で得られたデータを分析した。その結果、三つの惑星はグリーゼ667Cから適度な距離にあり、水が凍らずに液体で存在するのに適した環境にあることが確認されたという。惑星はいずれも地球より大型だった。
 研究チームは「これらの惑星の存在は知られていたが、生物が生きることができると確認できた」と話している。(2013年6月26日12時05分  読売新聞)

2013年6月21日金曜日

メキシコ東部で新たなマヤ遺跡発見


世界の雑記帳:メキシコ東部で新たなマヤ遺跡発見、ピラミッド15基も

6月20日、メキシコのユカタン半島東部のジャングルで、スロベニアの考古学者らが古代マヤ文明の新たな遺跡を発見したことが分かった。写真は18日にメキシコ国立人類学歴史学研究所から提供されたもの(2013年 ロイター)


 [メキシコ市 20日 ロイター] - メキシコのユカタン半島東部のジャングルで、スロベニアの考古学者らが古代マヤ文明の新たな遺跡を発見したことが分かった。研究者らは、約1000年前に起きたマヤ文明の衰退を解明する手がかりになると期待している。

 スロベニア芸術科学アカデミーのIvan Sprajc准教授によると、遺跡が見つかったのはチェトゥマルの西約120キロ。ピラミッド15基のほか、舞踏会場、広場、彫刻を施した石柱などが見つかったという。

 赤い岩などの意味を持つ「チャクトゥン」と名付けられたこの遺跡の人口は、グアテマラにあるマヤ文明最大の都市ティカルよりは小さかったとみられ、Sprajc准教授は3万─4万人ぐらいが暮らしていた可能性があるとした。

 また、チャクトゥンが最も栄えた時期は、西暦600─900年の間ではないかとみられている。2013年06月21日 11時55分 毎日


2013年6月15日土曜日

アガサ・クリスティ語録


アガサ・クリスティ語録(ミステリーの女王)
「私は66の作品の中で161人殺してきたけど、私自身は生きることが大好きなの」
 
*「もし事実と理論が合っていないとしたら、捨てるのは理論の方ね」
 
*「ハイヒールは、額にキスされたことのある女性が発明したものです」
 

*「毎日他人の読まないものを読みなさい」
 
*「人生は死への前奏曲である」
 
*「蜜蜂が他の動物より尊敬されるのは、勤勉であるからではない。他の者のために働くからである」
 
*「必要が発明の母だとは思わない。私に言わせれば、発明は怠惰から生まれるもの。…少しでも楽をしようとすることで」
 
「人生は、決して後戻りできません。進めるのは前だけです。人生は、一方通行なのですよ」

アガサ・クリスティ経歴
1890年~1976年】イギリスの推理小説作家

ウィリアム・シェイクスピア語録1


ウィリアム・シェイクスピア語録1
「全世界は一つの舞台であり、すべての男も女もその役者にすぎない。彼らは退場があり入場があり、ひとりの人間が一度の登場で多くの役を演じる」
 
「世の中には幸も不幸もない。ただ、考え方でどうにもなるのだ」
 

「貧乏でも満足している人間は金持ち、それも非常に金持ちです。しかし、大金を持っている人でも、いつ貧乏になるかと恐れている人間は、冬枯れのようなものです」
 
「君、時というものは、それぞれの人間によって、それぞれの速さで走るものなのだよ」

「人の成すことには潮時というものがある。うまく満ち潮に乗れば成功するが、その機を逃すと一生の航海が不幸災厄ばかりの浅瀬につかまってしまう」

*「人々は悲しみを分かち合ってくれる友達さえいれば、悲しみを和らげられる」
 

*「友情は不変といってよいが色と恋が絡めば話は別になる」
 

*「愚者は己が賢いと考えるが、賢者は己が愚かなことを知っている」
 

*「金は借りてもならず、貸してもならない。 貸せば金を失うし、友も失う。 借りれば倹約が馬鹿らしくなる」

ウィリアム・シェイクスピア経歴
【1564 年~1616年】16世紀イングランドの劇作家、詩人であり、エリザベス朝演劇を代表する人物。四大悲劇「ハムレット」、「マクベス」、「オセロ」、「リア王」をはじめ、「ロミオとジュリエット」、「ヴェニスの商人」、「夏の夜の夢」、「ジュリアス・シーザー」など多くの傑作を残した。

2013年6月13日木曜日

smart boy


smart boy
二人の男が、サッカー試合の観戦に夢中になっていた。
ホットドッグが食べたくなったが、あいにく、近くに売り子がいない。
試合からは目が離せない。
そこで、近くにいた子供に頼むことにした。
「坊や、ホットドッグを買ってきて欲しいんだ。勿論、坊やの分も含めて3個頼むよ」
暫くして戻ってきた子供が言った。
「売り切れてて、僕の分の一個しか残っていなかったよ」

*新種?
ウェイター 「コーヒーはブラックでよろしいですか?」
客 「えっ~と、他にはどんな色があるんですか?」

*ラクダの疑問
ある日のこと、ラクダのお母さんとその子どもが会話をしていた。
子どもラクダ「ママ、なんでボクには3つの指がある大きな足がついてるの?」
お母さん「それはね、砂漠を歩いているときに、柔らかい砂に埋もれてしまうのを防ぐためについてるのだよ」
子どもラクダ「じゃーママ、なんでボクにはすごく長いまつ毛がついてるの?」
母「それはね、砂漠を歩いているときに、砂が目に入るのを防ぐためなのよ」
それからまもなく、息子はお母さんのほうを振り向き、こう質問した。
子ども「ふーん、ママ、何でボクの背中にはすごく大きなこぶがついてるの?」
お母さんは少しイライラしながら答えた。「それはね、砂漠を歩くときに備えて、水を蓄えておくためについてるのだよ。長い時間、水を飲まなくてもいいようにね」
子ども「それ、すっごいね、ママ。じゃあ、ボクたちには砂に埋もれないように大きな足がついてて、砂が目に入らないように長いまつ毛がついてて、水を蓄えておくためにこぶがついてるんだね。でもママ・・・」
母「なんだい?」
子ども「なんでボクたちは上野動物園にいるの?」

2013年6月11日火曜日

創業者語録2


創業者語録2
ゴードン・ムーア語録(インテル創業者)
「企業は放っておけば成功体験にしがみついてリスクを避けるようになります。その方が楽だからです。しかし、企業にとってこれが一番怖いのです」

*「インテルを創業して以来、33年間を振り返ると自分でも信じられないほど多くの失敗をしたと思います。忘れようとしても忘れられない失敗がいっぱいあります」

*「我々は、絶えず線幅を細くし、プロセスを複雑化し、ウェハの集積度を高めている。つまり、1つのチップに詰め込む機能を増やし続けている」

ゴードン・ムーア経歴:インテル創業者・名誉会長、物理学者。1929年サンフランシスコ南部の太平洋岸の小さな田舎町に生まれる。カリフォルニア工科大学大学院卒業、赤外線分光学分野の研究で化学博士号を取得。ショックレー半導体研究所に勤務、フェアチャイルドセミコンダクター設立などを経て、1968年にインテルを創業。彼の唱えた「ムーアの法則」は、半導体産業のガイドライン的な役割を果たした。



サーゲイ・ブリン語録Google創業者1)
*「人が検索をするときは何か特定の情報を求めているわけです。例えば私がゴルフクラブで検索しているとしたら、私はおそらくゴルフクラブを買おうと考えている。そういう人物に対して『○○のゴルフクラブが○○円で手に入ります』という広告付きの検索結果を表示すれば、興味をもつ可能性が高いでしょう」

*「自分の求めている情報に関係する広告であるならば、ユーザーにとっては有益なサービスになるし、広告としての価値も高まるわけです」(Googleの収益の半分がこの広告収入とされる)

サーゲイ・ブリン経歴:Google の創業者、技術部門担当社長。1973年ソビエト連邦・モスクワに住む東欧系ユダヤ人の家庭に生まれる。幼少時からコンピュータに興味を持ち始める。メリーランド大学理工学士号取得、アメリカ・スタンフォード大学コンピュータサイエンス修士号取得。スタンフォード大学の博士課程を休学し、1998年ラリー・ペイジとGoogle社を共同設立。


 
ラリー・ペイジ語録(グーグル創業者2)
*「『そんな馬鹿なことはできない』と誰もが思うことならば、競争相手はほとんどいない」(2009年ミシガン大学の卒業式でのスピーチ)

*「人は有用だと思うウェブページにリンクを張る傾向がありますよね?普通は嫌いであったり不要なものにはリンクを設定しないでしょう。ですからリンク状態から得られる情報は有用なウェブページかどうかを判断する材料になります」(どれだけリンクを張られているかが検索ランキングの上位になるかどうかの大きな基準となっている)

ラリー・ペイジ経歴:Googleの創業者。1973年アメリカのミシガン州に生まれる。祖父はゼネラルモーターズの工場労働者。父はミシガン州立大学計算機科学・人工知能の教授。母はミシガン州立大学でコンピュータプログラミングの教師。わずか6歳でコンピューターをいじり始める。ミシガン大学でコンピューター・サイエンスを専攻した後、スタンフォード大学へ進学し博士号を取得した。そこで出会ったサーゲイ・ブリン氏とともに1998年Google社を設立。検索エンジンを事業の中心に拡大を続け、世界的なIT企業へと成長させた。





ジェフ・ベゾス語録(アマゾンドットコム創業者)
*「失敗しても後悔しないのはわかっていたが、たった一つ後悔していたかもしれないのは、試さないことだ」

*「最も使えるアイデアは脱線したり、生き先が見えない会議から生まれるもの」

*「できるだけ長い間『正しい』状態でいるための唯一の方法は、自分が心変わりすることを喜んで受け入れることだ」

*「顧客を中心にすれば長期的な戦略が立てられる」

*「成功の秘訣は他社の動向に気をとられないこと」

*「インターネットをコミュニケーションの道具以外に活用しようと思った」

ジェフ・ベゾス経歴:Amazon.com の創業者。1964年ニューメキシコ州で生まれる。プリンストン大学卒業後、金融機関の会社に就職し、30歳で副社長に就任。94年に突然退社してオンライン書店、現・アマゾンドットコムを創業した。

 
リチャード・ブランソン語録(ヴァージン・グループ創設者 )
*「一瞬の成功なんて長続きしないものだよ」

*「僕が冒険を好むのは事実だ。しかし、冒険をやる前の学習が一番魅力的なんだ」

*「英雄とは、自分のできることをした人だ。凡人は自分のできることをせず、できもしないことをしようとする人だ」

リチャード・ブランソン経歴:ヴァージン・グループの創設者。1950年にイギリスの裕福な中流家庭に生まれる。幼少時代は学習障害の「難読症」に悩まされながら、セキセイインコの飼育やク リスマスツリーの育成などのビジネスに失敗。16歳で学校を中退すると「スチューデント」という雑誌を創刊するが、鳴かず飛ばずに終わった。レコードを安く通信販売する「ヴァージン」を設立したのは1970年のことである。セックス・ピストルズ、カルチャー・クラブ、マイク・オールドフィールドなどの人気ミュージシャンを排出するなど、音楽業界に新風を吹き込んだ。1984年には航空業界にも進出。ヴァージン帝国を一代で築き上げた。

創業者語録


創業者語録
スティーブ・ジョブズ語録(アップル創業者)
*「私たちアップルの第一の目標は世界一のパソコンをつくることだ。最も大きな企業になることでも、最も金持ちの企業になることでもない」

*「すべてのものごとを一変させるような革命的な製品が時として現れる。自分が働いているうちにそんなものをつくることができたら、これほど幸せなことはない。アップルは本当に幸運な会社だ。そうした製品を少なからず世に送り出してきた」(2007年iPhone がリリースされたとき)

*「創造性というのはものごとを結びつけることにすぎない。クリエイティブ担当者は・・・実際には何もしていない。彼らはただ見ただけだ。見ているうちに彼らには、はっきりする。過去の経験をつなぎ合わせ、新しいものを統合することができるからだ。それが可能なのは、彼らがほかの人間より多くの経験をしているから、あるいはほかの人間より自分についてよく考えているからだ」

*「偉大な大工は、見えなくてもキャビネットの後ろにちゃちな木材を使ったりはしない」(「神は細部に宿る」というのがジョブズの信念であり、マッキントッシュ開発の際にも誰も覗くはずがないマザーボードのデザインにも拘った)

*「墓場で一番の金持ちになることは重要ではない。夜ベットに入るとき、われわれは素晴らしいことをしたと言えること。それが重要なんだ」

*「デザインというのは妙な言葉だね。見た目のことだと思っている人もいる。でももちろん、もっと深く考えれば、機能ということになる。Macのデザインは、見た目じゃない」(デザイン=機能としたこともジョブズの画期的な発明とされる)

*「メモを取る必要はない。本当に大事なことなら覚えている」

*「昨日のことをあれこれ悩むより、明日を生み出そう」

*「リスクを冒し続ける人は、アーティストであり続ける。ディランもピカソも常にそのリスクを負い続けてきた」

*「残りの人生を砂糖水を売って過ごすつもりか、それとも世界を変えるチャンスを手にするか?」
(ペプシコで将来の社長と言われていたジョン・スカリーを引き抜いた時の殺し文句)

*「製品が全てを語ってくれる」

スティーブ・ジョブズ経歴:アップル創業者。1955年生、ポール・ジョブズ、クラリス・ジョブズ夫婦に養子として引き取られる。1972年リード大学に進学するも半年で中退。1975年ウォズと共にApple Iを開発。その利益でジョブズ・ウォズ・マークラで「アップルコンピュータ」を設立。1985年NeXTを立ち上げる。1997年アップルCEOに暫定復帰。1998年iMacを発売。2000年正式にアップルのCEOに就任する。2001年iTunes、iPod、Mac OS Xを、2007年iPhone、2010年iPadを発売。2011年56歳で没 





ビル・ゲイツ語録(マイクロソフト創業者)
*「成功は最低の教師だ」

*「失敗にどう対処するかで、会社が社員の良い発想や才能をどれだけ引き出し、変化に対応していけるかがわかる」

*「自分が出したアイデアを、少なくとも一回は人に笑われるようでなければ、独創的な発想とはいえない」

ビル・ゲイツ経歴:マイクロソフト創業者。1955年アメリカのワシントン州に生まれる。ハーバード大学在学中に友人ポール・アレンとアルテア用BASIC言語を作成する。19歳の時に二人でマイクロソフト社を設立、大学を中退。MS-DOSやOS市場を席巻するWindowsを創りだす。

ロスチャイルド語録


ロスチャイルド語録
*「私に一国の通貨の発行権と管理権を与えよ。そうすれば誰が法律を作ろうとそんなことはどうでも良い」 


*「自由・平等・博愛」これは我々の旗を掲げる軍隊を我々の指示と統制のもとに置く言葉である。「自由・平等・博愛」のための場など自然界に存在しない。ゴイム(豚)の自然発生的で世襲的な貴族社会の廃墟の上に、我々は金による貴族社会をつくりあげた。それは我々の拠りどころ、すなわち富を参加資格とする貴族社会である。

*自ら戦争を誘発しながら、敵対するどちらの側にも領土の獲得が生じない和平会議を主導しなければならない。戦争は対立する双方の国家がさらに負債を抱え込み、我々の代理人の手中に落ちるよう主導されなければならない。

*「金の力」はリベラルな支配者の権限を奪取した。「自由」が「信仰」に置き換えられても、大衆にはどのようにして自由を享受すればいいのかわからない。「自由」という思想を利用すれば「階級闘争」を生じさせることも可能だ。
そして勝者は必ず「我々の資金」を必要とするだろうから、計画さえ成功すれば、既存政府が内敵に破壊されようが外敵に破壊されようが、それは重要問題ではない。
群集心理を利用して大衆に対する支配権を獲得すべきだ。暴徒の力は無目的で、無意味で、論拠を持たないために、いかなる側の提案にも影響される。独裁支配者だけが暴徒を有効に支配できる。

*ロスチャイルドがホテルに泊まった時ボーイにチップを渡した。
ボーイはチップの額をみて不満げに
「息子さんはもっとたくさんくれましたよ」
「息子には金持ちの父親がいるが、あいにくわしにはおらんのでな」

マイアー・アムシェル・ロスチャイルド経歴【1744年~1812年】ドイツの銀行家。ユダヤ系。ロスチャイルド財閥の祖として一族の基盤を築いた。フランクフルトのゲットーで生まれた。

2013年6月4日火曜日

ES細胞で拒絶反応抑制


ES細胞で拒絶反応抑制、移植時の免疫抑制役に
 ES細胞(胚性幹細胞)を免疫のブレーキ役の細胞に変化させて、移植時の免疫拒絶反応を抑えることに成功したと、北海道大学の清野研一郎教授(免疫生物学)らが明らかにした。
 同じES細胞から作られた細胞に対する免疫反応だけを抑えることが原理的に可能で、再生医療の実用化に役立つと期待される。米ボストンで12日から始まる国際幹細胞学会で発表する。

 臓器移植では、拒絶反応を抑えるために免疫抑制剤を使うが、免疫機能全体が低下するため、感染症などにかかりやすくなる問題がある。清野教授は、 体内に侵入した異物を食べる免疫細胞の一つ「マクロファージ」の機能にブレーキをかける働きを持つ細胞を、マウスのES細胞から作製。放射線で増殖できな いようにしたうえで注射しておくと、同じES細胞を移植しても拒絶反応が抑えられ、実験した7匹全てでES細胞は生きたままだった。(2013年6月3日19時36分  読売新聞)

2013年6月3日月曜日

マンモスがクローンで蘇る?


マンモスがクローンで蘇る? 死骸から液体状の血液採取
 (CNN) ロシアの大学の研究チームが保存状態の極めて良好なマンモスの死骸をシベリアで発見し、液体状の血液を採取することに成功したと発表した。絶滅したマンモスをクローン技術を使ってよみがえらせる計画が1歩実現に近付いたと期待を寄せている。
ヤクーツクにある北東連邦大学の研究チームは、ロシア北東部のリャホフスキー島で、氷の中から1万年前のメスのマンモスの死骸を発見。腹部の下のあたりを突き刺したところ、血液が流れ出したという。
この時の気温はマイナス7~10度程度だったといい、「マンモスの血液には凍結を防止する性質があるのかもしれない」と研究者は推定する。筋肉組織の断片には生肉の自然な赤い色が残っていたといい、死骸の一部が氷に埋まっていたことから保存状態が良かったとみられる。

 研究者は地元紙の取材に対し、マンモスの血液が液体状で見つかったのは今回が初めてだと指摘。「この個体は水に落ちたか沼にはまり、抜け出せなくなって死んだと思われる。そのために、下あごや舌の組織を含む体の下部が良好な状態で保存されていた」と解説している。
同大学は、韓国の黄禹錫(ファンウソク)氏が率いる秀岩生命工学研究院との共同プロジェクトを通じ、クローン技術を使ってマンモスをよみがえらせたい意向。液体状の血液は、その実現に向けた極めて貴重な材料になると見ている。
黄禹錫氏は、かつてクローン研究で注目されながら、論文捏造(ねつぞう)が発覚して謝罪に追い込まれた研究者。
マンモスの死骸はまだ発見場所にそのまま残してあるといい、海外の研究者も加わって7月に詳しい調査を予定している。2013.05.31 Fri posted at 10:20 JST

遺跡・遺物の木材:1年単位の新測定法


遺跡・遺物の木材:1年単位の新測定法 確率ほぼ100%
 ◇名大大学院の中塚教授考案
 遺跡や遺物の年代を、樹種を問わず、少量の試料で測定できる画期的な木材の年代測定法を、名古屋大大学 院環境学研究科の中塚武教授(気候学)が考案した。1年単位の高精度で安く短時間に、年代測定ができるという。論争が続く弥生や古墳時代の開始時期など、 考古学や歴史学に多大な影響を与えそうだ。7月に開かれる日本文化財科学会の年次大会で発表される。【伊藤和史】
 新しい測定法は、木材の年輪に含まれるセルロースの酸素同位体比が、年ごとの降水量に左右される現象を応用した。
 雨が多い年は軽い酸素同位体の比率が高くなり、少ないと重い同位体の比率が高くなる。このためセルロースには、年輪が成長する夏季の降水量の多寡の情報が1年ずつ保存されている。

 中塚教授は現代から2000年前までの木材を測定し、1年ごとの変動パターンを突き止めた。さらに、北海道などの一部を除き、日本列島の各地域で樹種を問わず、同様の変動パターンが表れる見通しも立った。
 これにより、50年ほどの年輪が残る木材の酸素同位体比の変動パターンを測定し、データと照合すれば、ほぼ100%の確率で年代が特定できるという。
 遺跡や遺物の年代測定法としては、樹木年輪の1年ごとの幅を測る年輪年代法があるが、100年以上の年輪が必要で樹種も杉やヒノキなどに限られる。また、放射性炭素14年代法は測定費が高く、必ず誤差を伴う。
 新測定法にはそうした弱点がない。現在、3500年前までの木材を測定しデータを集める作業も進めている。

 ◇ことば:酸素同位体比
 酸素には原子核に含まれる中性子の数により、重さの異なる3種の安定同位体がある(質量数16、17、18)。地球化学では、質量数18の数量を16の数量で割った数値を「酸素同位体比」として盛んに利用している。毎日新聞 2013年06月03日 08時33分