2008年6月27日金曜日

8年前に書いたものです。


いまの時点で読み返してみるのも意義があろうかと思います。加筆訂正なく当時のままをご披露です。

現場にもっと光を! 独法化に想うことなど

国立研究所の多くは、ちょうど一年後に独立行政法人として船出しているはずです。独法化の実態は行政改革の観点からは立派な赤点ですが、国研にとっては独立の名を冠した画期的な第一歩です。その波は我がxx省傘下のxxx15研究所にも押し寄せてきました。

今回は行政サイド主導ながら、むしろ積極的に「実に巧みな手法で」軌道に乗せてきたものと敬服しているほどです。三千人規模のxxx全体がxxxxxxx研究所として法人化し、研究部門は主に「センター」と「領域」に分かれ、役割分担が明確にされています。私はこれらを正しく紹介するには適任ではありませんので、ここでは無責任と勝手を承知で、個人的な解釈とそれらに寄せる思い入れ・希望のようなものを記してみたいと思います。

「センター」(発足時23)はトップダウン型の組織で、ミッション性の強い時限研究体です。原則として、社会的要請のある時宜を得た課題や収穫期の研究段階にあるものが対象で、いかに目標を達成するかを問われます。予想を超越した革新的な成果を期待される場ではありませんが、競争の激しい世界であり一定の成果を早く出す必要があります。

そのため人的資源や予算などが集中的に投入され、研究促進と研究管理が可能であります。ルートはあらかた決まっていて、やればやるだけ刈取りが見込まれ、原則として失敗は許されない場と言えましょう。高打率が尊ばれ、ぶっちぎりのリーグ優勝は当然として、日本シリーズ制覇が射程距離にあります。xxx省と連携して持続的な発展を期する新法人にとっては、欠くことのできない大切な部門で、知的所有権の確保が重要視されましょう。

一方、22の「領域」は反対にボトムアップ型です。所属の研究者は、自ら課題を設定し自らの知恵と工夫で解に導くことを求められます。ここでの成果は個性的なアイディアに左右されるところが大きく、物量作戦とは直結しません。必要に迫られてさらに新たなアイディアを生み、他の追随を許さぬ独創性を発揮することが優先されます。

研究者独自の発想が前提となりますので、管理には前者とは異なる評価基準が適用されるべきです。萌芽的研究や創造活動に相応しい場であり、多様な人種で構成され、個性派、天才肌、価値観の全く異なる人々、変わった視点の持ち主こそ許容されて欲しいと考えます。

極論すれば、予測不可能な「超科学」をも取り込み、例えばサイババ、エドガーケイシー、Bible Code三次元解読、地球外生命体探索等々、現在の常識的科学概念を超えたテーマが違和感なく存在する場もひとつの理想型でしょう。じっと出芽を待ち、出たら引っ張りあげ重点的に育てることが肝要です。領域長に絶大な権限と責任が委ねられることからそのキャラクターに大きく依存しますが、虫の良い願望を言えば親分肌の「外向けにはオレが責任取る、やりたいことをやれ」タイプ、内にあっては明快な「信賞必罰」を可能ならしめるカリスマ性を求めたい。 

二つの対極する部門と、各々に適した人材、別個の評価基準を設けるのが賢い選択でしょxxxxx省直属とは言え、主体を伴って行政側と対等に物言わぬ限り、社会的責任を踏まえた独立した成人とはみなされません。それには確としたヴィジョンを持ち世界に通じる力をつけねばなりません。幹部は研究現場の痛みを具体性を持って実感・理解すべきです。研究そのものにコミットする時間を可及的に多く確保し生産的でないといけません。

いくら形を整えることに長けても、適切な指導と育成、実践部隊の質と量を確保できなければナンセンスです。企業の研究所や大学とはまた異なる側面がありますが、基礎応用を問わず何よりも実効を挙げ創造的成果を世に問う点は変わりません。

構えることもない、やってみれば良い、歩き始めておかしければ直せば良い、理念が明確であれば細部は朝令暮改で構わない、初めから完璧なものを求めても土台無理と言うものでしょうーーという心境です。徒然なるままに思いを巡らしていますと、活用次第でこの制度は「案外よさそうだ」と思えて、正直なところ期待が膨らんできます。(2000.3記)


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