2008年6月29日日曜日
6年前に書いたものです。終章
6年前に同窓会誌用に書いたものです。少し長文ですので4回に分けて紹介します。4回目です。ご笑覧頂ければ有り難く存じます。コメント頂ければなお感謝です。
時の過ぎ行くままに! (4/4)
想へば遠くへ来たもんだ早いものである、??年卒となる我々華のxx期世代は、あっという間に人生の新たな区切りを迎えようとしている(ゲンエキ入学のアナタにはもう少し執行猶予がついている)。ますます仕事に没頭する人、現役引退を許して貰えない人(社会や組織が許さない場合とホームローンが許さない二通り)、NPOでの活躍を目指す人、仕事を続けながらも趣味に比重を移す人、もう仕事は忘れて、元気なうちに旅行や趣味に生きたいと目論む人等々、まさにヒトそれぞれ――。
許されるものなら、私は即仕事をヒヨリたい部類のヒト。ゲルト面は勿論無視できない、一寸先は闇とは言え、今のところ日本より物価の高い地域はきわめて限られている、1/10のところに行けば10倍のインカムと同じ。ネットでどこからでも瞬時に必要な情報が得られ、価値観が多様化している今日この頃、めでたく第二の卒業証書を手にした暁には、直ぐにも日和りの実現を願っています。
日本はもとより世界中に?散らばっている知り合いを再度訪ね、改めて一献かたむけたいし、陽気で鷹揚〈いい加減〉なラテンの生き方も大変に魅力だ、同じラテン系と言ってもお国柄は千差万別、実際に各国の文化芸術にもっともっと触れてみたい。もはや食べ物は日本食が一番だけど期間限定、テンポラリーなら土地土地に伝わる物を味わうのも良いだろう。
是非にも書物で出会った土地を訪れてみたい、さらに、例え訳が分からなくとも、数千年前に栄えた大地を自分の足で踏みしめてみたい、ひょっとして何らかのメッセージが聞こえてくるかもしれない。南極大陸も魅力だ、自然豊かな土地もいい、野生動物も――。PADIのライセンスも活用したい、海の中にはまだまだ知られていない多くの古代都市が埋もれているに違いない。
島唄も好きだけど、モーツァルト、ベートーベンはこんなところで作曲してたのか。コペルニクス、キューリー婦人、ショパン、Popeはポーランドの誇りだ。へぇー、これがガリレオが使っていた教壇か。ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチはこんな雰囲気で育ったのかー。天才が生まれる風土ってあるのかなー。時代が産むのか?これがワトソン・クリックが創ったDNAモデルだ、もう半世紀前になる。ややや、パスツール愛用の顕微鏡がある、ロゼッタストーンだ。
セーヌは濁ってるなー、豊平川の方がよっぽど生き生きしてるぜ、サーモンだって登ってくるぜ。ふうーん、ジョコンダだ(アナコンダじゃないぜ、この件に関してはイタリアの味方なんだボクは)、書斎を飾るならミレー、シスレー、ヴァン・ゴッホ――なんてとこがいいかな。
マッターホルンが聳えてる、ウインパーの切れたザイルとピッケル、ザックもある。今さらこれらを見たからってどうって事ないかもしれないけれど――これまでは書物のなかの世界、夢のまた夢の世界と思っていたのに、いま目の当たりにしている。ひとり静寂の中でじっと佇んでいると結構感傷的になり、不思議にジンとくるものがある、百聞は一見に如かずだ。帰ったらもう一度読み返そう。贅沢さを満喫しながら、実に多くの仲間にいろんな場で助けて貰いつつ、良き時代に生かしてもらっていることを改めて想い、感謝するひと時でもある。
あのダルタニヤンはここで活躍したのか、モンテクリスト伯爵の舞台はここか、それにしても大デュマの筆力は驚嘆ものだ、ホラ吹きと言うのか、否、文豪と言うんだきっと。なるほどなー、これが第三の男の大観覧車か、木製か、今でもそのままだ。
とうとう来たな、ここはサウンドオブミュージックの舞台だ――ミーハーだけどカサブランカにも行って見たいAs time goes byさ!――想いはとりとめもなく続く。
どうか古いと一笑に付すことなかれ、もはやこれらは古典と呼んで欲しい。これからがまた新たな人生だ、青春だ。センチメンタルジャーニィーもまた良し、未だに流離いの風来坊、素浪人気質は治らない、風の吹くまま、気の向くままに、でも世界平和の4文字はいつも連れて行く!そして、どこか非日常的な場に次なるお役立ちの場を探るためもある。
長くなるのでもうやめます。最後に、斯くの如き好き勝手に駄文を連ねる機会を与えてくれた編集者殿に感謝するとともに、そろそろxxさんへの責任を果たしたつもりになっています。これにて筆を擱きます(Wordを閉じます?―では何とも味気も色気もなさ過ぎる)。ここまでお目を通して戴いた皆様、戯言にお付き合い下さり恐縮です。どうも有難うございました。(2002.10記)
6年前に書いたものです 3回目
6年前に同窓会誌用に書いたものです。少し長文ですので4回に分けて紹介します。3回目です。ご笑覧頂ければ有り難く存じます。コメント頂ければなお感謝です。
時の過ぎ行くままに! (3/4)
教育に課せられた問題も見逃せない、大きそうだ。国立大学の独法化でどうなるのか?関心事でもある、大学だからこそ皆が一度に同じ方向を向いてしまう愚はあり得まい。諸々の規制が撤廃・緩和されることで自由度が増し、これまで以上に独自性を発揮できる筈だと喧伝されていることに額面どおりの期待を寄せざるを得ない。
ところで、日本と世界の将来を担うべきこれからの皆さん、もしキミがそうなら、そろそろドメスティックにしか通用しないステレオタイプな考え方や価値観は、なるべく速やかに捨てても良いんじゃない?先人・先駆者の教えは最大に尊重し利活用した方がいいに決まってるけど、大樹の陰で昼寝しててもしょうがない、もしかしてグリーンハウスのなかの大樹だったらどうなるの?
まだまだ知らない世界が広がっている。キミがその気になりさえすれば、Webサイトから、望み得る世界最高クラスの講義だって受けられる時代だ。今のキミなら何でもできる。地球規模の視点で考えて行動するほうがきっと面白いよ。Be Ambitious!さ、Lofty Ambitionもいい。
ますます本物のオーガナイザー、リーダーシップが必要とされている。バイタリティー豊かなキミよ、才能が有り過ぎて現状に退屈しているかも知れぬキミよ、ヒトとお猿さんのDNAの違いはおよそ1.6 %らしいが、安心してくれたまえ、キミの頭脳は持てる力(脳細胞数?)の数%程度しか使っていないと言う説もある。まだまだキミには無限の可能性がある、1% 余分に使っただけで、どんなに凄いことが起こるのか見当もつかない(きっと、レオナルド・ツバイシュタインが生まれる)。
そんな訳で、自分が本当に興味を持てることに、ノビノビ楽しく、面白がって全力投球してみたらいい。チャレンジしてくれ!と無責任ながらケシカケタイ、強調したい。まあー、実際にそうやって、元気で活躍している若者(女性が目立つ?)を目にするから意を強くする。
そして野依良治教授の言ではないが、ナンバーワンよりオンリーワン(分野に無関係、テノール歌手新垣勉も同様の発言をしていた)を目指して欲しいものだ。大統領の代わりは何人もいるが、アインシュタインの代わりは誰もいない――と言うではないか。将来は国籍不問、地球人パスポートなんてのもできるかも知れないけれど、やはり、ニッポン人の魂と誇りはキープしていて欲しいな。
2008年6月28日土曜日
6年前に書いたものです (2/4)
6年前に同窓会誌用に書いたものです。少し長文ですので4回に分けて紹介します。2回目です。ご笑覧頂ければ有り難く存じます。コメント頂ければなお感謝です。
時の過ぎ行くままに! (2/4)
日々のマスコミ報道からも窺えるように(必ずしも実態を正確に伝えているとは云い難い部分もありそうだが)、プロ・アマを問わず世界に通じるスポーツ選手も多くなり、世界中で素晴らしい活躍をしている。
何でもいいから自分の得意技を駆使して良い仕事をしてくれ、これからの人たち!元気を出してくれニッポン!と一人吼えている――と言うのも、いわゆる途上国と目される国を訪れると特にそうなのだが、世辞にも研究教育環境が良いとは言えないにも関わらず、大学院生や若者の熱意、覇気が並大抵ではないことに強い印象を覚える。40年前の日本の状況を彷彿とさせるが、彼らには希望としっかりした目標と、明るい未来への期待があるので、時としてその溌剌さは眩しく、積極性にたじろぐ程だ。
ひとたび海を越えれば、ワタクシは日の丸背負って愛国者に変貌する。われらがニッポン人はもともと殺生を好まぬ仏教の精神が流れているはず、そのわが国が戦争の片棒を担ぐなんてのは戴けない、もっと賢い方法を使う方が良いんじゃないの?
こういう伸び盛りの国々に幾ばくかの税金を投入し、タイムリーに教育研究支援をすれば、未来永劫強い味方となる親日家を増やし、対費用効果は抜群、ひいては国家戦略にも良いのにと報告書には常に書いている(折角のスバラシイ意見が日の目を見ない体制も問題だ)。
いつの世も心の時代、時として単純明快な思考が効果的な場合も多い。CD機と揶揄されぬよう、木目細かい地道な現場主義の積み重ねによって、将来を見据えた戦略を大事にすべきではないの?「ガイムショウは何をしてるの、自分の仕事してくれない?」と文句のひとつも言いたくなるのはボクだけではなかろう。あまつさえ、ついつい嫌でもわが国のパラサイトシングルやら、フリーターシンドロームとも対比してしまうのであります。
しかしながら実際のところ、衆知のごとくニッポンには、誇りうるかけがえのない固有の文化や伝統芸術が沢山ある、多くの人が好むヨーロッパ印象派絵画へ与えた影響も大と言う。さらに継続的にもっと強化すべき大変優れた科学技術の基盤がある、基礎・応用両面にわたる素晴らしい独創性が証明されている。外に出るたびに、それらを学ぼう大切にしよう、そして、永田町と霞ヶ関の住人は世界に通じる人材であって欲しいし、血税をもっと相手国民の心に響くよう上手に使い、自国民・自国の利益を最優先して欲しい――という思いを強くする。
6年前に書いたものです (1/4)
6年前に同窓会誌用に書いたものです。少し長文ですので4回に分けて紹介します。1回目です。ご笑覧頂ければ有り難く存じます。コメント頂ければなお感謝です。
時の過ぎ行くままに! (1/4)
XX(同窓会誌名)52号が登場する頃にはもはや旧聞になっているか、果てまた、本号でも多くの方が言及しているかも知れませんが、何はともあれ今この話題に触れないわけにはいかない気分であります。本稿をしたためている時点は、2002年ノーベル賞の発表があり日本人の物理学(小柴昌俊東大名誉教授)と化学(島津製作所・田中耕一氏)分野でのダブル受賞と、3年連続の化学賞に沸いています。稀に見る素晴らしい出来事で、もろ手を挙げて慶びたい誠にめでたい快挙であります。このところ落日の感深い日本経済金融問題等とかく明るい話題が少ないなか、久し振りにニッポン国じゅうが元気を取り戻す良いニュースです。
大変興味深いことに奇しくも、両者は極めて対照的・対極的な事例としても印象的でした。心密やかに大きな衝撃を受けた大先生方が多かったのかも知れません。意外性ゆえか若さか人間性ゆえか、とかく後者が脚光を浴び勝ちに見えます。
すなわち、片や当然の理論武装のもとに税金と人脈、人材をふんだんに使い(浜ホト晝間社長が半分はオレにくれと息巻いていたのは、かなりの部分本音だろう)、十数年待ち続けたうえでの大御所リーダー・ゴッドファーザーの受賞であり、関係者一同の安堵感と言うか喜びもひとしおであろう。
ところがもう一方は、どうしたことか再び日本の学界、マスコミはほとんどノーマーク、税金使用度も恐らくゼロ、戸惑いを隠せない学士企業研究者の単独行、真に青天の霹靂とはこのことか。何人かの企業研究者の感想を聞く限り異口同音、誰かがどこかで見ていてくれる、特に若い研究者にはすごく励みになると言って感激していた(積年の思いがあるのかも)――正確を期すため日本特許成立日に遡り、オリジナリティー確認作業をしたとのこと、科学分野ではダントツの信頼と尊敬、そして権威を維持し続けている当該財団の見識の一端を示したものと言えるのでありましょう。
幸いにも、これまで世界各地で開催される生理活性物質関連分野の国際会議に発表・参加する機会を得てきた〈既にストックホルムも訪れ、会場の下見は済ませているのだが??〉。このところ強く感ずるのは、欧米企業からの研究発表内容が質、量ともに際立って高度だと思われる点である。基礎的考察と作用機構を踏まえてターゲットを明確にし、合成、新規評価法の確立、応用への橋渡し、そして、開発段階の部と一連の流れを完結した話が多い。
もとより、各種DBが使え、目標や研究体制の違いが最大要因とは言え、近々に独立行政法人化を迎える大学の研究室や、既に一足早く独法化を果たした我々が属する旧国立研のチンマリとした、一弱小研究室の今後のあり方を問わずにいられないプレッシャーがある。残念ながら、通常そうやすやすと方向性を律するような成果発信に結びつく現状にはない。
日本で弱いとされるトランスレーショナル・リサーチまで考慮すべきなのか?また一般的な感想ではあるが、我らがハラカラの発表は押しなべて、どちらかと言えばデータ開陳に留まるきらいがあり、より広い視野に立って、十分に説得力を持った効果的なプレゼンテーション方法訓練の必要性も痛感している。さらには、「評価、評価――」と叫ばれる昨今ゆえに、大所高所からもきちんとした、正当な評価ができる人材の育成と体制確立も急務であり、ユニークな顔を持った出る杭を早い段階で見つけ出し、引っ張り挙げ、時機を逸することなく支援することがますます重要になっている。
2008年6月27日金曜日
8年前に書いたものです。
いまの時点で読み返してみるのも意義があろうかと思います。加筆訂正なく当時のままをご披露です。
現場にもっと光を! 独法化に想うことなど
国立研究所の多くは、ちょうど一年後に独立行政法人として船出しているはずです。独法化の実態は行政改革の観点からは立派な赤点ですが、国研にとっては独立の名を冠した画期的な第一歩です。その波は我がxx省傘下のxxx15研究所にも押し寄せてきました。
今回は行政サイド主導ながら、むしろ積極的に「実に巧みな手法で」軌道に乗せてきたものと敬服しているほどです。三千人規模のxxx全体がxxxxxxx研究所として法人化し、研究部門は主に「センター」と「領域」に分かれ、役割分担が明確にされています。私はこれらを正しく紹介するには適任ではありませんので、ここでは無責任と勝手を承知で、個人的な解釈とそれらに寄せる思い入れ・希望のようなものを記してみたいと思います。
「センター」(発足時23)はトップダウン型の組織で、ミッション性の強い時限研究体です。原則として、社会的要請のある時宜を得た課題や収穫期の研究段階にあるものが対象で、いかに目標を達成するかを問われます。予想を超越した革新的な成果を期待される場ではありませんが、競争の激しい世界であり一定の成果を早く出す必要があります。
そのため人的資源や予算などが集中的に投入され、研究促進と研究管理が可能であります。ルートはあらかた決まっていて、やればやるだけ刈取りが見込まれ、原則として失敗は許されない場と言えましょう。高打率が尊ばれ、ぶっちぎりのリーグ優勝は当然として、日本シリーズ制覇が射程距離にあります。xxx省と連携して持続的な発展を期する新法人にとっては、欠くことのできない大切な部門で、知的所有権の確保が重要視されましょう。
一方、22の「領域」は反対にボトムアップ型です。所属の研究者は、自ら課題を設定し自らの知恵と工夫で解に導くことを求められます。ここでの成果は個性的なアイディアに左右されるところが大きく、物量作戦とは直結しません。必要に迫られてさらに新たなアイディアを生み、他の追随を許さぬ独創性を発揮することが優先されます。
研究者独自の発想が前提となりますので、管理には前者とは異なる評価基準が適用されるべきです。萌芽的研究や創造活動に相応しい場であり、多様な人種で構成され、個性派、天才肌、価値観の全く異なる人々、変わった視点の持ち主こそ許容されて欲しいと考えます。
極論すれば、予測不可能な「超科学」をも取り込み、例えばサイババ、エドガーケイシー、Bible Code三次元解読、地球外生命体探索等々、現在の常識的科学概念を超えたテーマが違和感なく存在する場もひとつの理想型でしょう。じっと出芽を待ち、出たら引っ張りあげ重点的に育てることが肝要です。領域長に絶大な権限と責任が委ねられることからそのキャラクターに大きく依存しますが、虫の良い願望を言えば親分肌の「外向けにはオレが責任取る、やりたいことをやれ」タイプ、内にあっては明快な「信賞必罰」を可能ならしめるカリスマ性を求めたい。
二つの対極する部門と、各々に適した人材、別個の評価基準を設けるのが賢い選択でしょxxxxx省直属とは言え、主体を伴って行政側と対等に物言わぬ限り、社会的責任を踏まえた独立した成人とはみなされません。それには確としたヴィジョンを持ち世界に通じる力をつけねばなりません。幹部は研究現場の痛みを具体性を持って実感・理解すべきです。研究そのものにコミットする時間を可及的に多く確保し生産的でないといけません。
いくら形を整えることに長けても、適切な指導と育成、実践部隊の質と量を確保できなければナンセンスです。企業の研究所や大学とはまた異なる側面がありますが、基礎応用を問わず何よりも実効を挙げ創造的成果を世に問う点は変わりません。
構えることもない、やってみれば良い、歩き始めておかしければ直せば良い、理念が明確であれば細部は朝令暮改で構わない、初めから完璧なものを求めても土台無理と言うものでしょうーーという心境です。徒然なるままに思いを巡らしていますと、活用次第でこの制度は「案外よさそうだ」と思えて、正直なところ期待が膨らんできます。(2000.3記)
11年前に書いたものです。
自戒を込めて
研究を進める際大事なものは何か?と問われて、敢えて「モウチベーション」を挙げる。未知への好奇心を満たす知的行動の源泉である。現実の研究活動は、厳しい国際競争のなか、呻吟しながらの結果も、時として後塵を拝し苦汁をなめるやも知れぬ。研究に運、不運は確かにあるが、自ら課題を設定し、自らの知恵と工夫で解を求め、原著論文として自己表現する嬉びは研究者として至福である。論文には実験者・著者の生き様や品格までが色濃く投影される。グローバルに高い評価を得てモウチベーションはさらに高まる。秀逸な成果はthe big prizeからroyaltyまでの両極端で自然開花する。
真に独創的な研究は、少数の限られた人物の発想によって拓かれる。だから組織体として、優れた発想を持つ人材を重視し、誰もやっていない新しいことにチャレンジすることが大切だ、という揺るぎなき価値観の共有が重要である。アインシュタインの特殊相対性理論の論文は引用文献ゼロと言う。万人が認める独創性の極致である。
講演やスピーチを、我が同胞は謙遜の言葉で始め、アメリカ人はジョークで始める。共に聴衆を心理的に武装解除し、共感を得るための方策である。クローン羊ドリー嬢の登場は、西欧的合理主義・科学価値観を、東洋的思想哲学・輪廻転生の世界へ誘った。欧米流の価値観だけで科学を論じることを潔しとしない所以でもある。
わが国の伝統と独自性に思いを馳せ、研究活動にある種の大らかさを求めたとき、例えば、多様なテーマに一定のチャンスが保証される必要がある。ただし評価は、情報の公開と透明性に裏打ちされ、グローバルスタンダードに基づき厳正になされるべきだ。 全身全霊を注ぎ込むことのできるテーマに巡り会えることは、研究者として最大の幸福せである。そこに不純な動機は馴染まない。
ひと度テーマが定まれば全精力を注ぐのみ。大樹の下で雨露凌ぐ考えは捨て去るべきだ。昨今の物理的研究環境は押し並べて良い。外野席の野次に一喜一憂することなかれ。lofty ambitionをもって正攻法で本丸を攻めよう。幾たびか返り討ちに会うやも知れぬ。むしろ励みとなそう。ウィンパーのマッターホルン初登攀が教えた如く、一見非常識なルートこそが成功へ導くこともある。
艱難辛苦を楽しみと化し、自らの力量を信じて実践すれば良い。あとは目に見える形で示せばいい。これはmustである。舞台はグローバル、研究者としての存在と評価は、主体の伴う原著論文の存在によって可能化する。もとより研究者のQOL(quality of life)は研究の成果で大きく左右される。
どこか倫理・価値観のずれに戸惑う平成の世にあって、愚直なまでの美意識へのこだわりは、改めて内村鑑三や新渡戸稲造、ラッセル卿への原点回帰を促すこの頃ではある。
(1997.6記)