2008年12月3日水曜日

友人S君のブログより

 1958年に聖徳太子の肖像による初代の一万円札が発行されたらしい。いま流通している福沢諭吉さんモノは2004年からとのこと。
 現在、中国やマレーシアを拠点に、国際的活躍をしている大学時代からの友人で、かつ、大変几帳面なS君は半世紀前の物価を記憶/記録していた。生活に密着した貴重なデータであり、興味があったので以下引用させて貰いました。


(産経2008.12.1) 
 友人S君のブログより
 50年前の1958年とは、私が中学2年生で、この年の12月の暮れに、商店街の浜町の呉服店の家から現在の実家の若竹町に分家して引っ越した。そうか、この同年同月に我が家も引越しし、一万円札と同じ歴史をたどって来た訳である。この中国で、今は無き父とペナンで病院暮らしをしている老いた母を思い出している、ああ、この50年は ----- 、誰にも、物質にも歴史があるんだ ---- 。貨幣価値で記憶があるのは、記憶あるだけでも書いてみよう、孫娘に聞かせるために。

 - 子供の頃、50銭紙幣があり、これで駄菓子を買った。記憶が間違いでなければ、我が家は呉服商で割合裕福だったので、小遣いに毎日10円もらったような記憶がある。月300円であるから、当時としては価値があったと思う。あの当時の店員の給料が3000円と父に聞いた記憶がある。

 - 大学に入るために札幌に行く前夜、父が私にお前と弟の大学費用として100万円用意してあるから、金のことを心配せずに勉学に励めと強く言われたし、送金も毎月6 – 7000円であった。当時5000円あったら楽に暮せた。入学した1963年 ( S 38 ) の大学の入学金が1000円、授業料が年12000円で、幼稚園より安かった。
 大学院では、年額18000円で、その時の生活費は12000円位になっていた。父親の言う通り、アルバイトもしなかったが、勉学はあまり真面目でなく、寮生活で寮生とマージャン、酒飲み、ダべリング、読書等々の日々であった。
 当時の大学のクラーク会館の食堂の特別食は100円で、食べるとしても月に1回位。カレーライスが19円、A定食が30円、B定食が45円、C定食が60円だった。屋台のラーメンが50円だったし、ススキノの串カツ屋のコップ酒が100円したかなあ? 銭湯が11円から19円になり、卒業する時は20円台だったような記憶がする。いずれにしても、良き時代であった。

 - 1969年大学院卒業の初任給は、私の会社は33000円で、大卒が30000円だった。当時の物価を覚えていないが、初ボーナスは半月分の16000円位で、それで注文した登山靴を15000円で買ったら無くなった。この靴はオーダーでキチンと足型をとって私の足に合う登山靴を作ってくれ、これを30年以上はいて使った。

 - 今中国では、青島ビールの大瓶が4元 ( 60円 )、5 – 6人で6品の料理をお腹いっぱい食べて一人20元 ( 300円 )。安い、我が大学時代、入社時代を思い出す。

 - これを書いた後、と言ってももうビール2瓶飲んだけど、何となく屋台に行きたくて行ったが、ここ広東省も夜は寒くなったが、未だ屋台で飲めるし食べられる。一人でビール1瓶飲んで、椎茸の串焼と油揚げの串焼きと野菜の串焼きを食べてたったの6.5元は90円、止められないこの生活。

追加(2008.12.11)
 本日、本ブログでS君の実名で自己紹介文を掲載して欲しい旨、本人からの依頼があり、異例とは思いましたが、今回限りと言うことでご希望を入れて以下引用します。
 したがって、本ブロッガーは一切の責任は負えません。


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 2008年12月10日
  
        「 斎藤 正 」の自己紹介

* 学歴 :
   - 1963年 北海道大学に入学
   - 1969年 工学部応用化学科修士修了
                       
* 日本の電子部品製造会社での業務 : 30年半 ( 1969 / 04 ~ 1999 / 12末 )

1) 日本国内 :
製造技術開発、製造管理責任者、品質保証部門責任者、顧客やメーカー対応、
特に、品質保証体制の確立、顧客の品質監査 ( Audit ) 対応の責任者、メーカーの工場監査 等々

2) 海外勤務 :
   - USA : 2年間準駐在、技術課長
   - ペナン ( マレーシア ) : 7年駐在
1993 販売事務所開設し初代所長
1995 – 1997 製造会社初代社長 ( 上記の所長兼務 )
1997 – 1999 東南アジア販売会社社長
シンガポール、ペナン、マニラの3事務所を統括

l 1999年12月末希望退職 : 55歳 ( 生年月日 1944 / 11 / 23 現在 64歳 )

* 2000 / 09 ~ 2002 / 03 天津理工大学に中国語学習留学 : 二度目の青春時代を謳歌

* 2002 / 04 : 元の会社からの要請で復帰し、中国の蘇州工場を設立、副総経理
      
* 中国広東省東莞市の日系企業 : 副総経理  - 新工場移管業務、会社経営や管理 

* 中国広東省中山市の日系企業 : 顧問
  - 会社内管理体制の確立、ISO9001認定取得活動責任者等 、日本語教師希望で退職

* 2006 / 02 ~ 2007 / 07 天津理工大学 : 日本語教師 1年半
 - 管理学概論、ビジネス日本語、論文作成指導、就職指導 等々

* 2007 / 09 ~ 現在 : 中国広東省東莞市の中国人会社 時信電子有限公司 勤務
      役職名 : Marketing Director  ( 日本人一人、毎日英語と中国語 )

* 著書 :
    - 祖父から初孫へのプレゼント  : 2005年9月出版
    - 簡単な会社経営、会社管理方法 : 2009年中国で出版予定
        * 日本語、中国語併記の本 ( 後日、目次を紹介予定 )

* 1992年以降ずっと海外生活で、現在88歳の母、奥さん、息子がマレーシアのペナン在住

* モットー : 「 人生を楽しく みんなに感謝 あなたに感謝 」

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