(教育をタダにする オンライン授業の衝撃:下)自宅で受講、教室で「宿題」
ただ1人の著名教授が、インターネットで10万人に教えることが可能になれば、他の教授や大学は生き残れるのか――。そんな疑問に、カリフォルニア州・サンノゼ州立大学の講師オスロー・ガディリ氏は「大丈夫だ」と胸を張った。
「電子回路解析入門」の講座が開かれている教室のドアを開けると、学生が3人1組で問題を解いている。ガディリ氏は講義をせず、教室を巡回。問題を解けずに頭を抱える学生を見つけ、立ち止まった。「講義の動画を見てきましたか? ヒントはそこにありますよ」
あちこちで学生がパソコンを開き、動画を再生。流れてきたのはガディリ氏ではなく、名門マサチューセッツ工科大学(MIT)の教授の声だった。
学生は授業の前にMITの講義動画を見てくるように指示されていた。教室では、動画の内容に沿った練習問題を解いているのだ。
オンライン動画を使い、従来は教室で受けていた「講義」を自宅で学び、自宅でしていた「練習問題」を教室でする。こうした手法は「反転授業」と呼ばれ、米国で急速に広がる。
反転授業の利点は、理解度の異なる学生がそれぞれのペースで課題に取り組めることだ。「私の役割は学生一人ひとりの理解度をきちんと把握して助言し、学
費分の学習効果を得てもらうこと」とガディリ氏。MITの授業は高品質だが、難易度が高い。理解できない学生もいるので、大学が補助動画や教材を用意して
学習を助けている。
成果は上々だ。電子回路解析入門は必修科目だが、これまでは4割の生徒が落第し、大学の悩みの種だった。反転授業の導入で、落第率は1割に減った。
MITの教材を提供するオンライン教育機関「エデックス」は今春、コミュニティーカレッジ(公立の2年制大学)2校にも、同様の仕組みを導入する。エ
デックスのアガルワル学長は「数百年もの間、教員は教壇からの講義を続けてきたが、オンライン講座をうまく利用すれば大学教育をより効果的なものにでき
る」。
潮流に乗り遅れてはならない――。そんな危機感で世界の大学が動き出している。エデックスへの参加を申し出ている大学は140に及ぶという。
日本の大学も例外ではない。東京大、京都大、早稲田大などが2005年に教材を無料公開する団体をつくり、いま23大学が計3千科目の教材を公開する。
人気を集めているのが、京大の生体肝移植の動画。海外からのアクセスもあり、インドの医学生から研修の申し込みも来た。だが日本全体での広がりはいま一つ。「授業とは入試を突破し、授業料を払った者だけが見られる」と考える教員も多く、テキストだけの公開が大半だ。
そんな中、東大が2月22日、「国際化戦略の一環」として、日本勢で初めて、教授と受講生が双方向で授業を進める本格的なオンライン無料講座「ムーク」
への参入を表明。今秋にも、教授2人の講義を世界に発信し、「米国の一流大に引けを取らない」と、アピールしていきたいという。
「個人にも大学にも厳しい競争の時代が始まる」と、教育のオープン化に取り組む飯吉透・京大教授は言う。「無料オンライン授業は情熱増幅装置だ。本人の
意欲でどこまでも学べるから、生まれた条件を超えて真に力のある者が頭角を現す。大学側も、学生の意欲や能力を伸ばす実力がなければ優秀な人材を集められ
ず、生き残れなくなるだろう」
(金成隆一)
■「国境超えた人材獲得競争、激化」 東大・吉見俊哉副学長
世界中の大学で、国境を超えた人材の獲得競争が始まっている。グローバル化が進み労働力の流動化が激しくなる中、頭脳もボーダーレス化しつつある。東大
もこれまでのエリートだけでなく、世界を相手にするトップ大学として地球市民としてのエリートを育成していかなければならない。
まだ少ないが、東大に合格しても、東大を蹴ってハーバード大などに進学する若者が出始めている。東大は国内の評価は高いが、世界となるとポテンシャルが十分に理解されていない。放っておけば、頭脳流出は加速するかもしれない。
無料で誰もがアクセスできるムークは、世界中の名門大学が教育力を披露し合うフラットな舞台となる。世界中から、東大を志望するかもしれない大勢の若者が見にくるだろう。力を示せば、世界の優秀な若手の関心は集まる。
東大には、世界的に見てもアメリカの名門大学に対抗できる教授がたくさんいる。この実力は「グローバルキャンパス」ともいえるムークに出ても十分に通用すると思う。
もちろん、頭脳獲得競争自体は大いに問題がある。ローカルな価値を売り物にする大学なら、こんな舞台には乗らず、地域に根ざして地域の価値を守って欲しい。だがグローバルなトップ大学であることを運命づけられている大学は、それだけではすまない。
今回のムーク参入は、相当早く動いたと思う。ムーク誕生から1年たっているが、香港は別としてシンガポールと同じスピードで動いている。ソウルも北京もまだ動いていないが、何らかの形で参加するのは時間の問題だと思う。
2013年3月8日 朝日
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