2008年11月6日木曜日

久しぶりの京都 その2 「一条」当たりの距離は?

 
 京都の町も札幌の町も、基本的には碁盤の目状になっているとの認識で歩いていた。そして後者では何条何丁目と住所表記する。
 京の街の「一条」分も札幌のそれとあまり変わらないものと、勝手に思い込んでいたが、それは大間違いだった。

 さすがは歴史の長い街、そう単純ではなかったことを知る。グーグルマップ上で、おおよその距離を測ってみて驚いた。
 札幌のそれはどこも約120mほどだが、古都は一味違っていた。あくまでも概算だが、四条から五条は1 km、五条から七条は0.8 km(400 m/条)、七条から九条は1.1 km(550 m/条)、九条から十条は0.7 kmと出た。

 実に大らかだねーー。長い間にいろいろ変遷があったのか、地盤が大移動したのか、別に計画的にやった訳でもないのか、とにもかくにも味わい深い結果ですねーー。こういう曖昧さがいいねーー。

 とは言えもう少し調べてみると、古の「条里制」なるものと関係するようだ。そこで、
http://www.gunmaibun.org/guide/3/3-5-5-9-1.htm と  http://www.tabiken.com/history/doc/J/J027L100.HTM を参考に以下まとめてみた。

 条里制とは、古代の律令国家が、班田収授にもとづく口分田の班給を実施するために、耕地区画を行った土地制度である。
 1町(約109 m)四方の区画を1坪とし、坪を横に6個並べて1里、縦に6個並べて一条とした土地区画制度。この制度により、土地の正確な位置や面積が簡単にわかるようになった。

 7世紀の後半ころから、土地は国が6歳以上の男女に配分し、死ぬと没収する仕組み(班田収授-はんでんしゅうじゅの法)が始められた。条里制はこの仕組みにあった制度に見えるが、実際に行われたのは、50年以上も後になってからであるらしい。

 このころは、土地や人はすべて国のもので(公地公民)個人で土地を所有することはできなかった。 
 しかし、8世紀後半ころから大きな神社や寺、力のある貴族などが、自分の土地をもつようになってきた。そのため、国の土地と個人の土地を区別して管理する必要がでてきたので、条里制が使われるようになったとも考えられている。

 したがって本来、一条は109 x 6 = 654 m (6町) となるはずですが、1300年も経てば時代に即していろいろ変わって当然でしょうね。
 札幌の場合は一町分を一条としたのでしょうかね?

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

現在の五条通りは、旧五条大路よりも400mほど南にあるために、このような違いが出ます。

ですので、四条-九条の「1条」当たりの距離は600m~700mでほぼ一定になります。