2016年5月8日日曜日

長江家住宅  京都市指定有形文化財

長江家住宅
 京都市指定有形文化財

<長江家住宅概要>
下京区新町通綾小路通下ル船鉾町に位置し、中二階型の主屋を南北二棟持つ大型京町家。
長江家は1822(文政5)年に転居し、現在の北棟の土地に店舗兼住居を構えた。1864(元治元)年、禁門の変により当時の主屋は焼失するが、1868(慶応4)年に現在の北棟が再建され、その後1905(明治40)年に南棟が新築され、現在の姿になった。
代々呉服の卸を営んでおり、建物だけでなく明治以降の商い道具や生活用品等、貴重な品々が大切に受け継がれている。職住一体型の典型的な町家の佇まいを今に伝える数少ない京町家である。
2005(平成17)年に京都市指定有形文化財(建造物)に指定された。建物は間口7間、奥行30間、面積200坪(700平米)余。
現在は、主屋南棟や化粧部屋などを一般公開(予約制、一部非公開)している他、催事会場として、撮影や展示会、お茶会などにご利用いただいています。

*戦前頃の長江家住宅外観

長江家住宅の歴史
文政5(1822)年、長江家三代目の大坂屋伊助が袋屋町(現下京区船鉾町)に入町し、現在の主屋北棟部分35坪の土地家屋を買得しました。以後、その地で代々呉服卸商を引き継いできました。しかし、五代目の頃、元治元(1864)年、禁門の変による京都大火で家屋はすべて焼失してしまいました。
その後、慶応4(1868)年に主屋が再建(現北棟主屋)され、明治8(1875)年には、その背面裏地に大蔵が移建されます。
明治39(1906)年、六代目長江伊三郎が南隣地を取得し、同40(1907)年、同地に表屋造の主屋南棟、離れ座敷などを新築、新蔵を移建しました。その後、大正4(1915)年に、化粧部屋、浴室が新築され、現在の姿に至ります。それに伴い、職住機能の大半を南棟に移し、以降、江戸時代より86年間店舗兼住宅としていた北棟は、隠居所として利用されるようになります。現在も当時の姿を変えることなく大事に受け継いでいます。(HPより一部抜粋)(写真提供:立命館大学)

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実は長江家は遠縁の親戚(いとこの嫁ぎ先)にあたります。あの歴史ある由緒正しき京都にあっての「文化財」、なんと素晴らしいことか。一方、個人での維持管理が課題になるのは大きな課題ですが。

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