2015年5月31日日曜日

Mission Impossible: Babies Escape

Mission Impossible: Babies Escape
あなたたち本当に赤ちゃんなの!? インポッシブルなミッションを遂行するベイビーたち
階段に侵入しないための柵。ベビーベッドから落ちないようにするための柵。危ない部屋に入れないようにするための柵。ぜーんぶ赤ちゃんの安全を守るための便利グッズですが、一部の赤ちゃんには通用しないようで。驚くべき知能と身体能力で限界を超えて行くベイビーたち。
【脱出・脱出・脱出】
最初の赤ちゃんは、カメラ目線でこちらに合図を送りながら、ゆっくりと柵を乗り越え、階段スペースへと入って行きます。侵入成功した時のドヤ顔がたまりません。

次の赤ちゃんはベビーベッドの柵を颯爽と乗り越えるも、着地のことは考えなかったらしく、もろに転落。危ないよ〜!!!!
さらには隣のベビーベッドをたぐり寄せて乗り移る知能犯の赤ちゃんや、柵の下をくぐって行くネコのような赤ちゃん。もうみんな、すごい。

特に驚くのが、再生開始から130秒経過した頃に現れる赤ちゃん。注意深くベビーベッドから抜け出すと、となりのベビーベッドまで走り寄り、柵を下げてそちらの赤ちゃんを脱出させた後、下げた柵を元に戻して遊びに出かけるという、一連の作業を難なくこなしてしまうのです。赤ちゃんってこんなに物事を順序立てて考えられるものでしたっけ?

参照元=YouTube 執筆=南野バンビ (c)Pouch msn

2015年5月29日金曜日

「地球の盾」地磁気、弱まる

「地球の盾」地磁気、弱まる 有害な太陽風増え 寒冷化、大停電の恐れ
*方位磁針で方角を知ることができるのは、地球が磁石の性質(地磁気)を持っているおかげだ。地磁気には有害な太陽からの高エネルギー粒子(太陽風)や宇宙線などからわれわれを守ってくれる働きもあるが、近年、その地磁気が急速に弱まってきているという。【田中泰義】

 万葉集にもうたわれた筑波山のふもとに、1世紀以上にわたって地磁気を測り続ける気象庁地磁気観測所(茨城県石岡市)がある。近くに鉄などの磁性を帯びた物があるだけで測定結果に影響を及ぼすため、職員は計測機器のある建物に入るときには腕時計やベルトを外す。その徹底ぶりから、ここのデータは世界トップ級の精度とされる。
 こうした観測所で機器による観測が始まった19世紀半ばに比べ地磁気は約10%弱まり、特にこの数十年で弱まり方が加速している。また、方位磁針が指す北の磁極は20世紀初頭にはカナダ北端にあったが、徐々に北極点に近づき、ロシア側に迫っている。

 古い岩石に残された磁気の痕跡などから、過去360万年の間に11回、地磁気の南北の磁極が入れ替わり、その前後に地磁気がかなり弱まることが分かっている。地磁気観測所調査課の長町信吾さん(35)は、訪れた見学者に「1000年後には南北の磁極が逆転するかも」と説明した。
 気象大学校(千葉県柏市)の藤田茂教授(宇宙空間物理学)は地磁気を「地球の盾のような存在」と例える。棒磁石の周りに砂鉄をばらまくと磁力線が筋になって浮かび上がるが、磁石の性質を持つ地球の周辺も似た状況だ。この磁力線が形成する地球磁気圏は、太陽風や宇宙線の主成分である電子や陽子などの電気を帯びた粒子を通過させにくい性質がある。
 もしこのまま地磁気が弱くなると、磁気圏も小さくなる。その分、盾の効果が薄れ、地上付近に届く太陽風や宇宙線が増え、さまざまな障害を引き起こすと懸念される。

 人工衛星に宇宙線が当たると、電子部品などが故障する恐れがある。国際宇宙ステーションに滞在する宇宙飛行士への健康影響も心配だ。宇宙線が強いと雲ができやすいという研究もあり、地球が寒冷化する可能性がある。
 また、北磁極の移動などから今後、オーロラを発生させたり、送電網に異常電流をもたらして停電を起こしたりする範囲が日本付近に及ぶ可能性がある。北米では激しいオーロラが現れた1989年に、大停電も起きた。日本では東日本大震災を教訓に、万が一に備える機運が高まり、経済産業省の検討委員会は昨年、国内の送電網に問題がないか調査することを決めた。
 藤田教授は「遠い将来、日本で年10日ほどオーロラが観測できるかもしれない。同時にインフラ障害も警戒する必要がある」と話す。毎日新聞 20150528

2015年5月28日木曜日

ルーシーの隣に新種猿人

ルーシーの隣に新種猿人 エチオピアで化石発見
 
見つかった化石の型を取り、再構築した猿人の上下の顎(研究チーム提供)
 アフリカのエチオピアにある350万~330万年前の地層から、新種の猿人の化石を発見したと、米クリーブランド自然史博物館などのチームが28日付の英科学誌ネイチャーに発表した。

 ルーシーの愛称で知られるアファール猿人(アウストラロピテクス・アファレンシス)のすぐそばで同時期に生息していたとみられ、チームは「同時期に少なくとも2種が共存しており、アフリカ東部における初期人類の多様性を裏付けた」と主張している。一方、専門家からは新種と判断するのは早計だという指摘も出ている。(共同)2015528 0201分 東京新聞

スキタイの黄金の埋葬品を発掘

スキタイの黄金の埋葬品を発掘、「世紀の大発見」
服の縫い目までわかる装飾に、麻薬の儀式の痕跡も。ロシア南部
*バケツ型の器が2つ、杯3つ、指輪1つ、首輪2つ、腕輪1つ。ロシア南部にあるスキタイ人の墳丘墓から発見された純金の埋蔵品の数々だ。
 ユーラシア大陸の広大な草原をおよそ千年間にわたって支配した騎馬民族。彼らは古代ギリシャ人やペルシャ人を恐怖で震え上がらせたが、都市や住居の痕跡は一切存在せず、今はただモンゴルから黒海にかけて広がる草原にクルガンと呼ばれる墳丘墓が点々と残るのみ――。

 ロシア南部のカフカス山脈にあるそのクルガンから、このほど興味深い発見が報告された。見つかったのは、騎馬民族のなかでもギリシャの歴史家ヘロドトスがさまざまな偉業と麻薬の儀式について書き残した勇猛にして謎の人々、スキタイの黄金の埋葬品だ。
「これは世紀の大発見です。これまでに一帯で発見された中でも、とりわけすばらしい逸品です」。ドイツ、ベルリンにあるプロイセン文化財団の考古学者アントン・ガス氏はそう語る。

 埋蔵品が最初に発見されたのは2013年の夏のことだった。略奪を防ぐため、これまで情報が伏せられていたのだ。ロシア、スタブロポリの考古学者アンドレイ・ベリンスキー氏は当時、送電線を通す前の調査の一環として、「シンギリェフスコエ-2Sengileevskoe-2)」と名付けられたクルガンの発掘を行っていた。
 発掘を始めた当初は、この場所からはたいしたものは見つからないだろうと考えられていた。クルガンにはすでに略奪された痕跡があったからだ。ところが作業開始から数週間後、発掘チームはぶ厚い粘土層に突き当たった。さらに掘り進めると、その下から平たい幅広の石で囲まれた長方形の部屋が見つかった。そこに鎮座していたのは略奪者の目を逃れた埋葬品の数々――2400年前にこの墓に安置された黄金の宝物だった。

 バケツ型の黄金の器が2つ、逆さまに伏せられていた。その中には、黄金の杯が3つ、ずしりと重たい指輪が1つ、首輪2つ、腕輪1つが入っていた。保存状態の良い黄金の埋葬品の数々は、合わせて3.2キロもの重量があった。
「まったくの予想外でした。こんなものが見つかるとは夢にも思っていなかったのです」とベリンスキー氏は言う。

*スキタイ人の器に施された見事な意匠。怒り狂った夫が、不実な妻が産んだ子供を殺す場面ではないかとも言われる。
 黄金の器に残された黒い物質の分析をベリンスキー氏がスタブロポリ近郊の犯罪学者に依頼すると、そこにはアヘンと大麻が含まれていることが判明した。これは古代ギリシャの歴史学者ヘロドトスが記録に残した内容と一致する。ヘロドトスは、スキタイ人が植物を燃やして発生させる煙が「ギリシャの蒸し風呂とは比べ物にならないほど強烈なもので……その煙で興奮した人々は、大きな叫び声を上げる」と書いている。
 ねっとりとした黒い物質が付着していたのが器の内側だったことから、スキタイ人は器の中で強力なアヘン入りの液体を調合して飲み、そばで大麻を燃やしていたのだろうと考えられる。「アヘンと大麻が同時に使われていたことは間違いありません」とガスは言う。

殺人の記録か、権力争いの象徴か
 黄金の器から黒い物質と汚れを取り除くと、施された装飾が一層輝きを増した。一方の器には、若い戦士を殺そうとするあごひげを生やした老人の姿がかたどられている。もう一方の器に描かれているのは、馬を引き裂くグリフォン――鷲の頭とライオンの胴をもつ神話的な生物と、荒涼とした土地に立つ牡鹿で、これはスキタイの冥界ではないかとベリンスキー氏は考えている。
 黄金の器の意匠に含まれる情報は、考古学者にとっては興味が尽きないものだ。戦士の履いている靴から髪型まで、その描写は目を見張るほど生き生きとしている。「スキタイ人の衣服や武器がこれほど詳しく描かれているものは見たことがありません。衣服がどうやって縫われているのかまでわかるほどです」とベリンスキー氏は言う。

 ガス氏によると、若い戦士を殺す老人の図は、ヘロドトスが記録に残している「私生児戦争」に関連していると考えられるという。スキタイ人は28年間にわたって隣国のペルシャと戦争をしていたとヘロドトスは記している。スキタイ人がようやく帰国すると、自宅の天幕には思わぬ侵入者がいた。取り残された妻と奴隷との間に生まれた、混血の子供たちだ。その結果巻き起こった流血の惨事は、黄金の器に残すほど重大な出来事だったのだろう。

 一方、ベリンスキー氏はこの図はむしろ比喩的なもので、スキタイ人の王あるいは支配者が死んだ後に起きた権力争いの象徴だろうと考えている。「王が死に、国が混乱します。王の死によって精神世界が乱され、新たな秩序の確立が必要となったのです」
 主な墳丘墓の発掘は昨秋に終了した。新たな埋葬品は見つからなかったが、ガス氏とベリンスキー氏は、墳丘墓の周囲に連なる溝や、土を円状に盛り上げた構造物を発見した。これらは巨大な儀式用施設の一部だった可能性がある。


 不安定な政治状況のせいで発掘プロジェクトは現在中断されているが、関係者はじきに作業が再開されることを期待している。ガス氏は語る。「まるで事件を捜査する刑事のような気分です。全貌を解明できるのはまだ先です。とにかく掘り続けなければなりません」2015.05.28 ナショジオ

YS11、再び空へ

YS11、再び空へ…整備に3千万・使い道未定
隅田川上空を通過し、高松空港へ向かう「YS11」(27日午後、読売ヘリから)=菅野靖撮影
 国土交通省が昨年12月に売却処分した国産旅客機「YS11型機」が、売却先の航空部品販売会社「エアロラボ インターナショナル」(大阪府八尾市)の整備を終えて復活し、27日午後、羽田空港から高松空港へ向けて飛び立った。
 YS11型機は戦後初の国産旅客機で、今回飛行したのは、国交省が所有していた6機のうち最後の1機。1968年製造で、引退後の2009年から売りに出されたが買い手がつかず、一時はスクラップ処分も検討されていた。

 同社は223万円で落札したが、飛ばせるようになるまで3000万円近い整備費がかかったといい、同社の担当者は「フライトが成功してほっとしています」と喜んだ。当面、高松空港で保管する予定だが、今後の使い道は未定という。20150527 1941分 読売

2015年5月27日水曜日

国内最古の青銅鏡鋳型

国内最古の青銅鏡鋳型 紀元前に生産技術か、福岡・春日
 
福岡県春日市教育委員会は27日、市内の須玖タカウタ遺跡で、国内最古となる紀元前2世紀ごろ(弥生時代中期前半)の青銅鏡鋳型の破片が見つかったと発表した。これまで鏡の国内生産は紀元後1世紀ごろから始まったとされ、それをさかのぼる青銅鏡鋳型の出土例はなかった。専門家は「鏡の製作史を見直す貴重な発見」としている。

 遺跡は、中国の歴史書「魏志倭人伝」に登場する奴国の中心部にあり、青銅器生産の一大拠点として知られる。青銅器の中でも鏡は所有者の権威を象徴する希少品で、市教委によると、古い鏡はこれまで朝鮮半島や中国からの渡来品に限られるとみられていた。(共同)2015527 1922分 東京新聞

2015年5月26日火曜日

象が「自撮り」

象が観光客のカメラつかみ「自撮り」 タイ
*実は狙っていた? 観光客のカメラで象が「自撮り」
(CNN) タイのパンガン島で象が鼻を伸ばして観光客のカメラをつかみ、一緒に写った光景を「自撮り」する出来事があった。
タイに留学しているカナダ人のクリスチャン・ルブランさん(22)は2カ月ほど前、観光でパンガン島を訪れた。「ガールフレンドと一緒に島を歩き回っていると、2頭の象に出くわした。そこで、50セントで売っている餌のバナナをあげることにした」と振り返る。
しかしこの象は与えられたバナナだけでは満足せず、もっと餌が欲しいと鼻を伸ばしてきたという。「気付くとカメラをマウントごと取られていて、一生の思い出に残る自撮り写真を手に入れた」(ルブランさん)。
ルブランさんが持っていたのはウェアラブルカメラの「ゴープロ」。象に取られた後も、連続撮影で鼻の先からの光景をとらえ続けていた。
ルブランさんは、「象は非常に知能が高いので、意識した行動だったのではないかと思えてしまう」と話している。この写真はインターネットで注目を浴び、各国のメディアも取り上げた。

象が写真を自撮りしたというニュースはこれが初めてではない。英国のサファリパークでは昨年、観光客が落とした携帯電話を象が拾って自分の姿を撮影したと伝えられている。2015.05.26 Tue posted at 12:39 JST

江戸時代は「好老社会」だった

江戸時代は特筆すべき「好老社会」だった
 孔子が開いた儒教では、「人は老いるほど豊かになる」という思想を打ち出し、「敬老精神」というものが重視されました。その敬老精神が日本で最も大きく花開いたのが江戸時代でした。江戸は日本史に特筆すべき「好老社会」だったのです。

 『日本書紀』によれば4世紀ごろに『論語』が伝えられ、その後、儒教は律令制のもと、大学寮で教えられた時期もありました。しかし本格的に日本に受け入れられたのは江戸時代、幕藩体制を支える思想的基盤に用いられるようになってからです。このとき、儒教は宗教としてではなく「儒学」という学問として受け入れられました。この儒学の考えが武士から町人にまで浸透し、江戸の人々は親孝行に努め、老人を大切にしました。

 今年で没後400年になる徳川家康は江戸幕府を開く前に『論語』を愛読していたといいますが、75歳まで生きたことで知られています。今でいえば100歳ぐらいの長寿ですが、当時の平均寿命から考えると、老人として生きた時期がものすごく長かったわけです。ずっと老人であった家康は当然ながら「老い」というものに価値を置いたわけで、これがたとえば織田信長なら「老い」を重視などしなかったでしょう。

 その家康は幕府の組織をつくるにあたり、将軍に次ぐ要職を「大老」とし、その次を「老中」としました。また各藩では、藩主に次いで「家老」が置かれました。家康がいかに「老」という文字を大事にしていたかがよくわかります。大老は絶大な権限をもっており、大老が一度決定したことは将軍といえども変えられなかったといいます。また、町人たちも古典落語でおなじみのように横丁の隠居を尊敬し、何かと知恵を借りました。江戸には、且那たちが40代の半ばから隠居してコミュニティの中心となる文化があったのです。

 江戸という社会が「好老社会」であったのに対し、現代の日本は「好若社会」であると言えます。それはエネルギーやスピードや大きさに価値を置いた社会であり、つまり力や量の論理がまかりとおる社会であり、「若さ」の文化と言い換えることもできます。江戸にはエネルギーやスピードといった価値や、力や量といった論理はありませんでした。現代日本社会から見て、江戸という社会の特徴は「リサイクル」と「ボランティア」という2つの言葉で言い表わされます。その2つの言葉がいま、注目されているのは、日本がかつて江戸時代に持っていた循環型の暮らしや、相互扶助の豊かな伝統が失われたことを逆に示しているのです。江戸の暮らしは自然のリズムにそって流れていましたし、人もモノもゆっくりと動いていました。人がその一生を通じて蓄えた知恵や技能がいつまでも役に立ったのです。

 そうした社会には年寄りの役割というものが厳然としてありましたし、社会そのものも、年寄りのようにスローな動きをしていました。若さが物を言うスポーツや芸能などなく、今でいうところの情報量も、若者よりも老人の方が豊かでした。また固定した社会は競争社会ではなく、のんびりしていました。

 「先憂後楽」という語に集約されるように、江戸の人々にとっては、今日と違って人生の前半より後半に幸福がありました。若返りという思想はなかったのです。こうした「老い」が尊重された社会というのはまた、「若さ」をたたえる社会よりも、人にも自然にもやさしい社会であり、文化であったと言えるでしょう。

 江戸時代にはすぐれた思想家が多く出ましたが、文芸というスタイルで「老い」の思想を唱えたのが井原西鶴でした。西鶴は『日本永代蔵』で現代に通じる「詰まりたる世」を生きていくさまざまな人間の生きざまを描きました。西鶴は、今日のように幸福を人生の前半に置くのではなく、人生の後半に置くという生き方がはっきりと説いたのです。そして、その「老いの楽しみ」を味わうためには、若いころからの心がけが大切であり、『日本永代蔵』は全編にわたって、その心がけを説いています。

 また、江戸時代には「死光り」という言葉がありました。これは「死際が光る」、つまり死際が立派なこと、あるいは「死後に光る」、つまりは死後にほまれが残るという意味です。西鶴は『西鶴織留』で、「親でも子でも欲に極る世の中なれば、死跡に金銀を残すべし、是を死光りといふ」と述べており、死後に金銀を残し、お葬式を立派にする意味として使っています。


 古代エジプトにしろ古代中国にしろ、その他にも多くの例があるのですが、古今東西の「好老社会」というのは「死」をネガティブにとらえず、お葬式を大事にするという共通点を持っています。「老い」の先には「死」があるのですから当然といえば当然ですが、江戸も例外ではありませんでした。江戸には『養生訓』の貝原益軒もいましたし、「病い」に対する考え方もしっかりしていました。江戸の人々は確固たる「生老病死」の思想を持っていたのです。2015/5/26 6:00 日経

2015年5月24日日曜日

お姉ちゃんの真似


お姉ちゃんの真似(米国・ニューヨーク州)

グランド・プリズマティック・スプリング(米国・イエローストーン国立公園

空中でハンモック



写真を撮る僧たち(カンボジア)

 ナショジオから

自転車は「未来の交通手段」

自転車は「未来の交通手段」 専用道路の建設計画も
*ロンドンでは自転車専用道の建設計画が持ち上がっている
(CNN) 最新の自動車技術がニュースの見出しを飾る中、自転車の存在は忘れられがちだ。だが、自転車の基礎的なデザインが定まった19世紀末、自転車は未来の交通手段として脚光を浴びており、米カリフォルニア州では自転車専用の高架道路の建設も進められていた。
自動車の普及によりこの計画は未完のまま頓挫したが、実は今、自転車専用道路を建設する動きが再び各地で広がっている。建設計画の多くは革新的なインフラやテクノロジーを導入して近未来的な様相を呈している。
クリーンで安価で、路上を行く他の交通手段よりもスピーディーなことも多い自転車は、古くて新しい未来の乗り物になれるだろうか。

自転車専用道路を建設する動きが特に目立つのはロンドンだ。ロンドンは人口密度が高く市街が入り組んでいることから、将来的な交通手段として自転車に期待が集まっている。(以下略)2015.05.23 Sat posted at 09:15 JST

2015年5月22日金曜日

地上に生まれた最初の生命

地上に生まれた最初の生命
テーマ:地球上に生命が誕生するきっかけを作った、シンプルな構造の生命体と有機化学物質。
最初の発見:1950年代以降、生命は温暖な浅い海から生まれたとする発想をヒントに、天体それぞれに、ハビタブルゾーン(生命居住可能領域)があると考えられるようになった。
画期的な発見:1970年代以降にさまざまな発見が相次ぎ、ハビタブルゾーンという考え方は時代遅れになった。
何が重要か:生命の起源を調べれば、他の星に生命体がいる可能性を予測できる。

*極限環境微生物を発見してからというもの、生命が存続できる条件に関する考え方がここ数十年で、がらりと変わった。たとえば、ここにあるスルホロブス・アシドカルダリウス(超好熱好酸性古細菌)は、高温や極端な酸性環境の中でも生き残ることができる。

 化石を調べると、地球上に生命が誕生したのは今から36億年以上前にまでさかのぼることがわかる。しかし、動物や植物といった複合生物が現れたのはほんの6億年ほど前だ。原初の生命体は、シンプルな構造の単細胞生物で、あまりにも小さく繊細であったため、存在していた痕跡は化石にかろうじて残されているだけだ。それも、化石そのものに刻印されているのではなく、微量の元素として検出されるだけだ。そのうえ、地球は誕生の過程で地殻変動や化学反応のサイクルを繰り返しているため、原初からまったく形を変えていない岩などほぼ存在しない。(特にオーストラリアを中心に)発見された原始生命体の痕跡を見ると、地球最初の生命体は、微生物マット、つまり、単純構造の有機体が日当たりの良い浅瀬から大量に発生し、層を成していたことが示されていた。旧い世代の死骸の上に砂や沈殿した土や泥が積もり、新しく生まれた世代がその上で繁殖した。長い年月をかけてこれを繰り返していくうちに、ストロマトライトという層状の岩石の柱が作られていった。今でも世界各地でこうした不思議な有機体の生きた標本を見ることができる。最も有名なものは西オーストラリア州のシャーク湾にある。

原初の地球環境をシミュレート
 ストロマトライト化石は、最初の生命は温暖な浅い海から生まれたという古くからの定説を裏づけているように見える。1952年にはすでに米国の微生物学者スタンリー・ミラーと、ハロルド・ユーリーが原初の地球環境をシミュレートする室内実験で、たんぱく質の構成成分となるアミノ酸に代表される有機化学物質を作り出すことに成功している。生命がこうした環境で進化した、という考え方にヒントを得た初期の研究者たちは、地球以外の天体にも生命がいる可能性について考えるようになった。相応の大きさの惑星で十分な量の大気と水を表面に保てるほどの気温がある領域、名付けて「ハビタブルゾーン(生命居住可能領域)」、または(英国の童話で暑すぎず、寒過ぎない居場所を求めた少女ゴルディロックスの名にちなんで)「ゴルディロックスゾーン」という概念がこのときに登場した。

 ハビタブルゾーンの欠点として多くの人々が共通して指摘するのは、宇宙のあらゆる生命体が地球と同じ過程をたどって誕生すると考えるため、多少なりとも地球に近い環境でなければ生命体が出現しないと想定している点だ。現実の生化学はこれほど都合よくははこばない。制約の多いこの推論は見た目ほど万能ではなかった。たとえば生命に不可欠な複合分子、二酸化炭素を作れるのは炭素だけだし、有機化合反応を起こしやすくする理想的な溶媒は水しか考えられない。

 批判の中で最も説得力のあったのは、単にこれが時代遅れだという意見だ。太陽系の随所で行われた探査活動から、太陽からはるか離れた場所に、液体の形で大量の水が存在していることがわかってきた。さらに1970年代後半以降の地球上の発見からは、海底火山の火口や極端な酸性やアルカリ性の中、高温の地下岩石層のような明らかに過酷な場所でも、極限環境微生物は生き延びられることがわかった。いまや生物学者の中には、浅い海水よりも海底火山の火口周辺のほうが、原初細胞が誕生するのに適した環境だと信じる者もいるほどだ。もしこれが地球について当てはまるのだとしたら、この条件を他の惑星に当てはめても差し支えはないはずだ。

生命は宇宙から?
 地球生命の起源がどんな環境であったにせよ、繁殖と自然淘汰、というメカニズムがはたらき出すまでには、途方もなく長い複雑化のプロセスを重ねなければならなかったはずだ。ユーリー・ミラー実験で再現したように、混沌とした巨大の水溜りの中で単純な化学物質から、どんな下等動物にも存在する高度な組織、たんぱく質やDNAなどが作られたり、分解される循環が起こらなくてはならない。だから、最初の単細胞の生命体がひょっこり誕生するまで数十億年はかかったはずだ、と考える科学者もいた。ところが化石を見ると、地表環境が整うと同時に最初の生命が誕生したことが示されていたのである。

*米国ワイオミング州のイエローストーン国立公園にある間欠泉周辺。見るからに生存に適さないこのような環境にも、極限環境微生物が数種類繁殖していることが科学調査からわかった。

 この明らかな矛盾から、なぜこれほどまでに早い時期に最初の生命が誕生できたのかを説明する数々の理論が生まれた。たまたま運が良かったとする説もあれば、生命の構成要素をいとも簡単に生み出す試行錯誤のプロセスができ上がるまでのいきさつを述べる説もあった。ごく一般的な進化論的アプローチにあくまでもこだわる科学者たちもいる。原初の生命体の急速な進化を助けられるような、ダーウィンの自然淘汰説を超えるほどの原理があるのにまだ発見されていないのではないか、というのが彼らの主張だ。

 さらには、宇宙から「スターター(初心者用)キット」一式が届いて地球上の生命が活動し始めた、という説を信じる者たちもいた。パンスペルミア説と呼ばれるこの理論では、生命の基本構成要素、つまり、複雑な有機化合物や、ことによっては細胞そのものが宇宙に広く散在していて、それが彗星や隕石の内部で超凍結状態のまま宇宙から運ばれているのだと説いている。こうした生命の基本構成要素が幸運にも地表に着陸して、その土地が幸運にも生命維持可能な環境だと判断できたら、そこで生命活動を始められるのだという。

 パンスペルミア説が最初に登場したのは19世紀のころにまでさかのぼるが、これが科学的理論として扱われるようになったのは1970年代になってからだ。英国の天文学者フレッド・ホイルとスリランカ出身のホイルの研究仲間チャンドラ・ヴィクラマシンらがこの説を最初に提唱した。化石になった生命体がそのまま隕石の内部に潜んでいるという主張はたいがい相手にされなかったが、新しい可能性を示唆する一連の証拠がこのあとにいくつも明らかになった。この説はまだ裏づけられてはいないが、まったくあり得ないこととは言い切れない。


 現在では、巨大な隕石が衝突すると必ず、惑星の表面から飛び出した物質の塊が惑星間の宇宙空間に放出されることは、よく知られている。さらには、驚くほど長時間宇宙空間にさらされ、場合によっては岩石層などに守られなくても生き延びるさまざまな種類の生物がいることもわかっている。彗星の中には、星間空間を長時間旅して、太陽系のファミリーのメンバーである惑星をすり抜けているものもあることも、その軌道からわかっている。最も見過ごせない出来事は、遠方の星雲に存在することが確認された有機化合物のかけらが隕石の中から発見されたことだ。NASAのゴッダード宇宙飛行センターのマイケル・キャラハンらは2011年に、炭素質隕石の試料の中からDNAの構成要素をいくつも発見している。ナショジオ

カホキアの謎に新事実

北米最大の先史都市カホキアの謎に新事実
ミシシッピ川の大洪水との連動が最新の研究で明らかに
*メキシコ以北最大の先史集落として栄えたカホキアはゴーストタウンと化した。その名残であるこの「モンクス・マウンド」は後にヨーロッパからやってきた開拓者たちを大いに悩ませた。

 現在の米国イリノイ州セントルイス近郊でかつて栄えた先史都市カホキア。高さ30メートルにもなる謎の遺跡「モンクス・マウンド」を築くほど繁栄したものの、大集落はおよそ300年で姿を消した。早すぎる滅亡の背景には一体何があったのか、長い間研究者らの論争の的になっていた。しかし、最新の調査で行われた堆積物コア分析によって、カホキアの盛衰がミシシッピ川の大洪水と連動していたことが明らかになった。

 考古学データによると、最初に農耕集落がこの地に現れたのは西暦400年頃のことだった。西暦1050年頃には、カホキアは隆盛期を迎え、人口数万人規模の政治的、文化的中心地となっていた。ところが、そのわずか3世紀後の1350年には、カホキアは姿を消してしまう。
 彼らがどのような運命をたどったのか。その謎を探るべく、ウィスコンシン大学マディソン校の地理学者サミュエル・ムニョス氏とジャック・ウィリアムズ氏率いる研究チームは、カホキアがあった場所に程近い三日月湖ホースシューレイクで堆積物サンプルを採集、分析した。その結果、この地域は過去2000年の間に8回の洪水に見舞われていたことが分かった。
*モンクス・マウンドから第72マウンドまでの距離は約800メートル。

 研究者らは、洪水の規模と頻度の変化と、考古学的な証拠から得られたカホキアの全歴史における人口、土地利用、定住集落の変遷のタイミングが一致していることを発見した。

 洪水が長いこと起こらなかった期間が西暦600年前後から始まり、その頃から、ミシシッピ川の氾濫原より外側の高い場所にあった定住集落が低い氾濫原に移動してきた。そこでは農耕が集中して行われ、人口も増加し始めた。やがて、カホキアは米国先史時代最大の都市として栄えていった。

 では、なぜ都市は滅亡してしまったのだろうか。これまで、干ばつ、資源の過剰搾取、人間同士の争いなどが原因に挙げられてきたが、ホースシュー湖の堆積物を分析した過去の調査では、西暦1200年ごろにこの地域で大規模な洪水があったらしきことが報告されていた。

 今回、ムニョス氏の研究チームは、ホースシュー湖からさらに190キロ下流域にある別の三日月湖の堆積物も分析したところ、ここでも同時期の壊滅的な洪水の跡が確認された。ミシシッピ川の水位は10メートル以上も上昇し、それから150年以内にカホキアが完全にうち棄てられる要因となったものだ。
 この研究には、ナショナル ジオグラフィック協会のヤング・エクスプローラーズ・グラントの資金も提供されている。ムニョス氏は、こうした発見を聞いて、考古学者たちが今後、先史時代の洪水の記録を使うようになってくれればと願っている。「考古地理学を従来の考古学に取り入れることはお互いにとって望ましいことです」2015.05.22 ナショジオ

2015年5月21日木曜日

30代のシェークスピア?

30代のシェークスピア? 英歴史家が肖像画を「発見」
*今回発見されたシェークスピアの肖像画とされる絵
(CNN) 英国の研究者がこのほど、1598年の植物図鑑の表紙に描かれた人物がシェークスピアだったことが分かったと発表した。英誌「カントリーライフ」が画期的な発見として最新号に掲載した。ただし、専門家からは疑問の声があがっている。
この説を発表したのは植物学者で歴史家のマーク・グリフィス氏。もし正しければ、生前に描かれたシェークスピアの肖像画の発見は初めてとなる。これまでに確認されている2点の肖像画は、いずれも1616年の死後に描かれたものだった。
*シェークスピアの肖像画として知られる絵のひとつ
有名なのは1623年の戯曲集「ファースト・フォリオ」に描かれた肖像で、前頭部がはげた姿をしている。もう1点は出身地ストラトフォードアポンエイボンの教会にある。
一方、グリフィス氏が発見したという植物図鑑「ハーボール」には、30代前半ごろとみられる姿が描かれている。当時のシェークスピアは既に「リチャード3世」「ヘンリー4世」などイングランド王を題材にした戯曲を次々に発表していた。
グリフィス氏はエリザベス朝時代の暗号を解き、ハーボールに描かれた4人の男性のうち3人の人物を特定。4人目については時間がかかったが、植物の種類などを手がかりに、この人物はシェークスピアに間違いないと断定した。

ただし専門家は同氏の説に疑問を投げかけている。バーミンガム大学シェークスピア研究所長のマイケル・ドブソン教授は、「現時点でこれがシェークスピアだと考えられる証拠はない」と言い切った。2015.05.21 Thu posted at 13:29 JST

猿人が使う?最古の石器

猿人が使う?最古の石器150点、ケニアで発見
 
アフリカ・ケニア北部の約330万年前の地層から、人類史上最古と見られる石器が見つかったと、米仏などの研究チームが21日、英科学誌ネイチャーに発表する。
 これまでに見つかっている石器より約70万年古く、ホモ(ヒト)属より古い時代に生きていた猿人が使っていたと考えられる。

 
見つかったのは、ハンマーのように使う石器や、石器をたたきつける台になる石、石を割って作ったと見られるナイフのように使える鋭利な破片など約150点。これまで最古と考えられていた、隣国エチオピアで見つかった約260万年前の石器と比べると、作りは粗く、より原始的という。

 チンパンジーなども木の実を割る時に石を使う。石器に残された痕跡から、研究チームは、猿人も同じような使い方をしていたと推測。石器の使用がどのように発展したかを探る手がかりになるという。20150521 0721分 読売

2015年5月19日火曜日

銅鐸…「国宝級発見」評価も

積み上げた砂山から銅鐸…「国宝級発見」評価も
出土した銅鐸。左2個が最初に見つかった。右奥は入れ子状態の4個。右下は壊れた1個。手前の銅鐸の前に置かれた棒3本が舌(19日、兵庫県南あわじ市で)=金沢修撮影

 弥生時代の祭器・銅鐸どうたく計7個が、兵庫県南あわじ市(淡路島)で見つかり、県教委と市教委が19日、発表した。
 市内の砂利加工会社が海岸近くから採取し、積み上げた砂の山から見つかった。出土数では、島根県雲南市・加茂岩倉遺跡(国宝、39個)などに次ぐ4番目。同時代中期の紀元前2世紀後半頃に埋納されたとみられ、一度に大量に埋められた最古のケースとなる。専門家は「国宝級の発見」と評価している。

 同社の社員が4月上旬、工場内の砂山で、銅鐸2個を発見、市教委に届けた。市教委は工場とともに、同市内にある仮置き場の砂山も調べ、大きな銅鐸の中に小さな銅鐸を入れた「入れ子」状態の2組計4個と、壊れた銅鐸1個も見つけた。
 最初の2個も入れ子だったのを、発見した社員が外したという。
 銅鐸は、高さ22~32センチ、底幅13~19センチで、絵画などが施されていない古い時期のもの。うち3個には、銅鐸を鳴らすため内部につるす青銅製の棒「舌ぜつ」3点(長さ8~13センチ)が付いていた。一度に見つかった舌の数としては最多という。

 銅鐸が埋まっていた砂は数年前、海岸沿いの松帆まつほ地区から採取した。市教委などは今後、出土場所の特定を進め、ほかに銅鐸が埋もれていないか調べる。20150519 1805The Yomiuri Shimbun

火星の素顔 夕日に映えるさざ波

火星の素顔 夕日に映えるさざ波
(NASA提供)
 さざ波が立つ海面が、夕日に映えている。詩的な光景に見えるこの写真も、実は火星のクレーター内に広がる砂丘だ。米航空宇宙局(NASA)の探査車オポチュニティーが撮影した。色彩は加工されている。

 火星の大気は希薄だが、砂を動かす程度の風が日常的に吹いていることが、別の探査機の観測で分かっている。青く見えるのは酸化鉄の細かい粒々。NASAはこの風景の美しさを「まばゆい」という言葉で強調している。

 砂丘の観測は探査車にとって、車輪が埋もれて身動きが取れなくなる危険を伴う。知恵と勇気を結集し、人類の火星探査は続く。(草)2015.5.18 10:30 産経

2015年5月17日日曜日

腸の驚くべき素顔

腸の驚くべき素顔
食物から栄養を取り込む腸は、つねにウイルスや細菌と闘う免疫発動の最前線。全身のさまざまなシステムとの関わりを軸に、独自の遺伝子をもつ「腸内細菌」との共進化の場でもある腸の驚くべき素顔。

皮膚の表面積は成人で畳1畳分(1.8m2)、腸の表面積はテニスコート1面分(260m2 )

地球誕生46億年前→生物38億年前→脊椎動物5億年前→魚類4.6億年前→両生類3.5億年前→爬虫類3億年前→鳥類、哺乳類2億年前→ヒト15万年前

消化管の長さ(m)と体長比
ヒト7m 4.5、マッコウクジラ300 16-24、牛51 22-29、ヒツジ31 27、ウマ30 12、豚22 15、ネコ2 3-4

ヒト細胞の寿命(日)
小腸1.5 胃(噴門)9.0 (幽門)1.8 大腸10.0 肛門4.3 気管47.5 肺胞8.1 白血球2.0 赤血球120.0 皮膚(腹部)19.4  神経系 再生しない?

腸の神経細胞数は1億個
腸内細菌は健康を左右する第2のゲノム
腸内細菌は免疫と対話する


からだの中の外界腸のふしぎ (上野川修一)より

腸内細菌との共生

腸内細菌との共生
「善」も「悪」もない「共生」を体内にとり入れて、人間は進化してきた。健康を支える秘密がここにある! 腸内細菌を中心に、免疫、エピジェネティクスなどにキーワードを広げ、「共生」にまつわる話が紹介されている。一部をピックアップしてみた。

細胞数とゲノム数
ヒト;60兆 25000、 チンパンジー;60兆 22000、 線虫;1000 20000

共生・・・腸 皮膚表面 膣  
腸・・免疫機能 
自然免疫 白血球・・マクロファージ、好中球、NK細胞
獲得免疫・・リンパ球(T細胞、B細胞)
 腸内細菌による消化力、 VB群、VKの供給

かつては腸内細菌の共生バランスが良く(汚い環境?)O-105などの排除力・免疫力が強かった。
腸内細菌は白血球のような免疫細胞と協働して、腸内で体全体の免疫の70%を作っている。

最近の見積もりでは・・3万種類、1000兆個以上(培養できるのは100種類程度)
腸は40億年前の地球生物の姿を映し出している
[個体発生は系統発生を繰り返す]ヘッケル

免疫力を高める=腸内細菌が多い
腸内細菌がメンタルを操る
神経伝達の起源は脳ではなく消化管のなかに見出される。腸内細菌に関わりも大きい。
神経伝達物質ドーパミンやセロトニン、GABAが腸で作られている(元は腸内細菌同士の情報伝達)

寄生虫がアレルギーを防ぐ
チョイ悪の菌も必要
腸内細菌が腸壁をガードする膜の役割を担なっている 
腸内細菌の餌植物性の食べ物(穀類、野菜、豆類、発酵食品など)
生後1年で腸内細菌のパターンは決まってしまう(無菌状態で生まれる赤ちゃんは、まず膣で母親から菌を得、その後何でも舐めて腸内を大腸菌だらけにしようとしている)

解糖エンジン(35℃で活性化:炭水化物)とミトコンドリアエンジン
年をとったらミトコンドリアエンジン(37℃で活性化:脂質と酸素、たんぱく質)
共生の相性(エボラ/オオコウモリ、SARS/センザンコウやハクビシン、エキノコックス/キタキツネ)

ウンチがプカプカ浮かぶ川
清潔さがアレルギーを生む?
かつては、寄生虫と暮らしてきた日本人

イスラム教が豚をタブーにしたのは、普及地域に有鉤条虫(サナダムシ)が多かった
ヒンドゥー教インド地域はマラリア蚊が多かった 蚊は牛をより好む 牛を大事にする

ウンチの量と組成(水分60%、腸内細菌とその死骸20、腸粘膜細胞の死骸15、食べかす5
腸内細菌が多くなるほどアレルギーにかかりにくく、免疫が正常に機能しやすい

サナダムシ(日本海裂頭条虫)を飲む
腸内細菌が多いと賢くなる 腸内日和見菌
不安や心配の源は腸にあり
土壌菌で朝立ちした?
太古の時代からミトコンドリアとの共生を最大限に活用しているのがヒト
腸と心はつながっている
菌の種類によって体型が決まる 腸内細菌をごっそり入れ替える [便移植](便抽出物)
腸内細菌とサーカディアンリズム



エピジェネティクス epigenetics 後天的遺伝子制御変化
 遺伝子の配列がすべてではない
 眠っている遺伝子のオン・オフ 環境からの信号(がん遺伝子を持っていても発現有無制御)
 腸内環境のエピジェネティクス
 腸内細菌の種類と量で太るか痩せるか大きく変わる
 遺伝子配列は後天的な努力で操ったり、変化させられる
 
ミトコンドリアエンジンのフル活用で120歳までの延命も可能
腸内細菌をフル活用
若返り遺伝子をオンに 

ミトコンドリアエンジンを使うには、糖質よりもタンパク質や脂質をエネルギー源にし、身体を温めて、ミトコンドリアを動きやすくする必要がある

健全なる腸が、健全なる精力の源!


「腸内細菌と共に生きる」藤田紘一郎より

脳と腸 

脳と腸   
藤田紘一郎氏による、腸を元気にすることで「脳の暴走」を抑えて健康になり、活力を取り戻す方法。

脳は意志薄弱、腸は頑固
腸の思考力は脳より上
「食べること」と「セックスすること」とは同じ水源にある
隠されてしまった「爬虫類脳」
あるがままの生き方
糖質を食べ過ぎると、食欲をコントロールする脳細胞が傷つく 

生まれたての赤ちゃんは何でも舐めて腸内を大腸菌だらけにしようとしている
精神的に弱い[よい子]ではなく、心の免疫力のある[たくましい子]を育てる → 腸内細菌を増やす → そのエサである野菜、豆類、穀物、納豆、みそ、ヨーグルト等を摂る

著者が実践する[腸が喜ぶ]生活習慣
 糖質は摂らない ②飽和脂肪酸やトランス脂肪酸を摂らない 
③食品添加物や化学調味料は摂らない ④色のついた野菜や果物を摂る 
⑤発酵食品を摂る ⑥ステーキを週1-2回食べる 

⑦フランス料理やイタリア料理を月1回食べる ⑧食べ過ぎない 
⑨食事は大好きな人とゆっくり ⑩嫌いな人とは絶対食事しない 
⑪よく噛んで食べる ⑫お酒は気の合う人と一日2合まで 
⑬湧き出た生の水を飲む ⑭脳だけでは考えない 

⑮腹で呼吸する ⑯あるがままに今を生きる 
とにかくたくさん大笑いする ⑱ポジティブに生きる 
ウォーキングは楽しく毎日 ⑳バカでいつづける 

㉑常に好奇心を持ち続ける ㉒多様性を認める 
㉓週一回温泉に入って身体を温める ㉔早寝早起きをする 
㉕いつまでも恋をしつづける ㉖セックスを楽しむ

生命

生命
おおまかに言って、新陳代謝と生殖の二つこそが生命の二大特質だ

5億年前の私の先祖は魚だった。20億年前、私の先祖はみな微生物だった。
同じことが、すべての生物について言える。

生物が死んで風化すると、その原子は環境の中に戻される。するとその一部は、やがて他の生物の一部になる。そこで簡単な統計計算をしてみると、あなたの体のなかには1000年以上もまえに死んだ生物由来の有機物質が入っており、その有機物質1mgごとに一個の炭素原子が存在することになる。

すなわち、あなたの体の原子の中の10億個ばかりは、以前イエス・キリストに、あるいはジュリアス・シーザーに、あるいはお釈迦さまに、あるいはお釈迦様がお座りになった樹木に属していたものなのである。


生命の起源(ポール・デイヴィス)より

腸内細菌

腸内細菌の一考察
人間一人の体内には、細菌の遺伝子が300万個――人間の遺伝子の約150倍――も存在すると言われる。

私たちの体内にいる細菌のおよそ40%は多くの人が共通して持っている細菌だが、それ以外の細菌は共通する人が限られているため、300万個の遺伝子グループも、ヒトそれぞれ大きく異なるはずだ。
 
ピロリ菌の減少に伴って、アレルギーや糖尿病が劇的に増加した。

若者と老人では腸内細菌叢が大きく異なる。ある種の細菌は、老化のプロセスに深く関わっている。

たとえば肥満は、既知の人間の遺伝子によって説明できるのはわずか1-2 %だが、胃腸にいる細菌とその遺伝子によって50%まで説明がつく。

「スーパーウンチ」注入――便移植が病気を防ぐ

出来るだけ多くの果物や野菜を食べ、たくさん運動をしなさい。カロリー制限よりわたしはいっぱいのワインを選ぶ。

おばあちゃんの教え[野菜をもっと食べなさい]

自分の遺伝子も変えることができるのだ

実のところ、遺伝子から確実に予測できる病気はきわめて稀なのだ

遺伝子をエピジェネティック(Epigenetics;遺伝子によらない遺伝の仕組み)に変化させることによって、記憶が娘細胞に受け継がれていくことを学んでいる

あなたは自分の遺伝子も、自分や子どもや孫の運命も変えることができる


「双子の遺伝子」(ティム・スペクター)より

2015年5月16日土曜日

モアイ

モアイとストレッチするウマ(チリ領イースター島)

時の流れ(フランス)

ハンモックと少女(ポーランド)

コルカタの朝(インド)

カルブコ火山の噴火(チリ)

ナショジオから

à la carte

à la carte
10年前に不可能だといわれたことが、5年経つと困難だに変わり、さらに5年経つと可能かもしれないというふうに周囲の反応が変わってきた。だから大事なのは執念だ。松村昭雄  

悲観主義者は、風向きが悪い、と不平を言い、楽観主義者は風向きが変わるのを待つ。しかし、現実主義者は帆の向きを調整する。ウォード

わたしに特別な才能はない。ただ好奇心がきわめて旺盛なだけなのだ。アインシュタイン

イギリス人を幸せにするもの――高学歴、宗教活動への参加、ガーデニング

DNAのヒトとの相違*
600万年前に分岐したチンパンジーとは99%が同じ
 1億年前に分岐したネズミとは90%が同じ
 15億年前に分岐した酵母とは30%が同じ 

一般的な病気は単一の遺伝子ではなく、数百から数千の遺伝子によって支配されている可能性がある。*

スプライシング再配置によって、同じ遺伝子でも数百種類の異なるたんぱく質を作ることができる。
すなわち、同じ遺伝子でも環境によって異なるたんぱく質を生成し、異なる病気を引き起こす。*
    *「双子の遺伝子」(スペクター)より